第一回島清ジュニア文芸賞「奨励賞」散文「山頭火の俳句と出会って」

ページ番号1002772  更新日 2022年2月15日

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美川中学校3年 鍛冶紗織

分け入っても 分け入っても 青い山

私がこの俳句を知ったのは、国語の授業で、級友の発表を聞いてからだ。この時までもちろん、種田山頭火について何も知らなかったし、俳句自体にもあまり興味がなかった。けれど、この句に出会ってから、山頭火の人生、山頭火が書きつづってきた俳句やその内容をもっと知りたいとおもった。

瑞瑞しく光り輝く若葉の中をくぐりぬけ、山道をたどる山頭火。どこまでも、どこまでも続く道。それと比例するかのように、青々と連なる山脈が見える。その景色を私はとても椅麗だと思う。でも、まるでそれが、山頭火にとって迷路のようなものにも思える。歩いても歩いても晴れない悩み。少し切ない感じがするのは、山頭火がこの句にそんな想いをこめたからだろうか。

この句は、山頭火が旅に出て最初に作ったものだ。山頭火はきっとこの句にこれからの旅や想い、抱える悩みをもこめたのだろう。

山頭火は資産家の家で生まれ育った。一見何不自由ない生活を送っているように見える。しかし、父は女道楽にあけくれ、家は崩壊し、さらに、彼がわずか十歳のとき、母のフサが井戸に投身自殺をした。ずぶ濡れで引き上げられた実の母の変わり果てた姿を、その少年は見てしまったのである。こんな受け入れ難い事実を、彼は祖母のせいとも父のせいともせず、己れの優柔不断のせいだと自らを責めることは、私にとって信じられないことだった。だって普通なら、母の死を悲しみ、ふさぎ込むか、それでなければ母の自殺は祖母のせいだ、父のせいだなどと二人を責めたてるだろう。きっと私も、山頭火と同じ状況に立たされていたら、その原因だった祖母と父を責めたてるに違いない。

しかし、山頭火は何もしなかった。ただ、原因は己れの優柔不断にあるのだと、自分を責め続けたのだ。

まっすぐな道でさみしい

この俳句からも、山頭火の想いが伝わってくる。深い想いが込められているような、そんな率直な俳句に、何故か心がひかれた。それにしても、「まっすぐな道」とは何なのか。

まっすぐな道なんて決してないと私は思う。どんな道だって、必ず歪みはあるものだ。だからこの句の「まっすぐな道」というのは、山頭火の唯一の心の支えであった、俳句なのではなのではないだろうか。俳句こそが山頭火の人生の支えであった。今までも、そしてこれからも、それは変わることはないだろう。けれど、そんな道にも山頭火は何かさみしさを感じたのではないだろうか。

「このみちをゆく—このみちをゆくよりほかない私である。それは苦しい、そして楽しい道である、はるかな、そしてたしかな、細い険しい道である。それは凄い道である。冷たい道ではない」
と、山頭火自身書いている。これは山頭火だけではない、私達の人生も似たようなものだろう。誰もが人生は一度きりであり、それは決して繰り返すことはできない。確かに苦しいこともある、辛いこともある。だけどその分、楽しいこともきっとある。山頭火もそんな風に、毎日自分に言い聞かせていたのだろうか…。冷たい道ではない。人は決して一人ではないと。

山頭火も一人ではなかった。彼には大切な友達がいた。その友達に、自分の悩みを打ち明けたり、旅の疲れを癒したりしただろう。ときには、弱音も吐いただろう。私には彼らも山頭火の唯一の救いであったのだと感じられる。

山頭火は、生きている間に数多くの作品を残してきた。現在、それらをこよなく愛する人は多い。山頭火の俳句には、感動や驚き、母への懺悔、自分自身の人生の在り方など、いろいろな想いがこめられている。私はそれに共感し、感動をおぼえた。

山頭火は、俳句を心の支えとした。私は自分の人生で何が見つけられるだろう。私はこれからをできるだけ自分に正直に生きていきたいと思う。自分の思うままにこれからの人生を歩んでいきたいと思う。けれど、失敗や挫折もするだろう。弱音を吐くときもあるかもしれない。でも、そんなのに逃げないできちんと自分自身と向き合っていきたい。そんな、自分で誇れるような人生を、私は歩んでいきたい。

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