第九回島清ジュニア文芸賞「奨励賞」散文(高校生の部)「よみがえれ地球 ありがとう チマ」

ページ番号1002708  更新日 2022年2月15日

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金沢大学人間社会学域学校教育学類附属高等学校 二年 東 陽子

西暦三〇〇八年、ちょうど今から千年後の地球で起こったできごとだ。
地球は死にかかっていた。雨に混じった強い酸は地表のあらゆるものを溶かし、空を覆いつくす真っ黒な雲は太陽の光をさえぎっていた。
そんな薄暗い世界の中で、一部の富裕な人々は地下にシェルターを作って暮らし、そうでない人々はその日その日の生きる糧を求め地表をさまよっているのだった。
人々の心もまた廃れていた。地表の人々は生きるために殺し合い、シェルターに住む人々は時折地表に出てきてはその様子を眺め、ひいては地表の人々を銃で撃ち殺してまわり、それを楽しみとしているのだった。
地表でただ一箇所だけ、森が生き残っている場所があった。小さな池と、数十本の木がまだ息をしている。
一人の少年が、その森の淵に横たわっている。ももと腹から血が流れていた。少年は横目で、遠くのドロドロした地平線を眺めていた。
ふと少年は人影を見た。こちらへ向かってくる。さっきの人間狩りハンターか。だが自分はまだ死ぬわけにはいかない。この森も——少年は力をふりしぼって体をおこし、近づいてくる人影を待ちうけた。
「無理するな。おとなしく寝ていろ。」
人影は若い男だった。手に黒いカバンを持っている。なんだ、人間狩りじゃないのか…。少年はその場にばったり倒れてしまった。

ふと、少年は自分が池のほとりにいるのに気がついた。腹とももには包帯が巻かれている。すぐ横にさっきの男が寝ていた。少年は男の顔を横目でじっと見る。こうしてよく見ると、女のようでもある。
「む・・・。」
男はうっすらと目を開ける。横目で少年を見つめ返す。少年はびくっとして目をそらした。
「む・・・いかんいかん、あんまり気持ちいいもんだからつい、な。」
男は大きく伸びをして、体を少年のほうに向けた。
「もう動けるだろう、体起こしてみな。なに、そんなたいした傷じゃない。」
少年はきょとんとしていた。
「言葉、わかんないのか。えっと、キャン・ユー…」
「あ、わかるってば。」
少年はそう言って体を起こした。
「なんだ、わかるのか。」
「あの、ありがとう。」
「いやいや、どういたしまして。」
男はまた気持ちよさそうに目を閉じた。少年はどうしていいかわからず、きょとんとした顔をしている。
「なあ…聞いていいか?」
「え?」
「どうしてここだけ森が残っていられるんだ?」
すると少年はすごくさびしそうな顔をした。
「やっぱり、もう、ここだけなの…。」
「ああ、ほかの森は全部死んじまったよ。あの暗さと、あの雨じゃあな。おれはこんな気持ちいい場所でまた昼寝ができるなんて、夢にも思わなかったさ。これはおまえさんのしわざなのかい?」
少年は困ったような顔をしている。
「それは…。」
少年は口ごもり、目にいっぱい涙をためた。
「おいおい、泣かなくてもいいんだよ。おまえさん、名前はあるのかい?」
すると少年は赤い目で男を強くにらみつける。
「…相手に名前を聞くときは、自分から名乗るもんだよ。」
これには男も面食らった。
「おっと、なかなかキザな言葉を知ってるんだな。でもそうだな、よく知らないやつに大事なこと教えちゃダメだよな。おれはヨウヘイっていうんだ。」
「お医者さん?」
「医者?ああ、医者さ。人間はもちろん、イヌネコ、ライオンにトラ、カブトムシも毛虫もゴキブリもみーんな治せるんだぜ。」
「ゴキブリは治してほしくないなあ。」
少年はケタケタと笑った。初めて見せた笑顔だった。
「ゴキブリを知ってるってことは、おまえさんも地下の世界にいたことがあるんだね。」
少年はぴたりと笑うのを止めた。
「うん、逃げてきたよ。僕は大事な友達を残してきてしまったからね。」
「ほう、だれだい、その友達ってのは。」
「…おれ、小さい頃この森に捨てられてたんだ。ずっと泣いてたよ。泣いて寝て、泣いて寝て、そのくり返し。でもある日、寝ているおれの体を温めてくれているやつがいるのに気がついた。友達っていうのは彼のことだよ。名前はチマ。おれがつけたんだ。」
「いい友達だな。そうだ、おまえさんの名前は?」
すると少年はぶすっとした顔になった。
「名前、おれの名前か。ああ、あるさ。おれが自分の名前を知ったのは、五年くらい前のことさ。おれの両親とかいうやつらがおれを下の世界に連れて行ったとき。あいつら今度はおれをサーカスに売りやがった。だからおれはチマと暮らしにここに逃げ帰ってきたのさ。」
「で、なんて呼ばれてたんだ。」
「だから、そんなのおれの本当の名前じゃないってばよ。」
「教えてくれよ。気になるだろ。名前ぐらいは親からもらっとくもんだぜ。」
「…ユキ、ユキって呼ばれてた。」
「そうか、ユキ。で、おまえの友達のチマっていう子はどこにいるんだい?」
少年は黙った。また目が涙ぐんでいる。
「ヨウヘイ、おれヨウヘイのことまだなんにも知らないぞ。自分から名乗るもんだぞ、言っただろ!」
「ははっ、悪い悪い。そう熱くなるなよ。そうだな、おれは医者だ。正確にいうと、医者だった。一年ほど前、おれは下の世界で政治を取りしきっているお偉い大臣さまの治療を任された。あれはひどい病気だった。とてもおれの手におえるものじゃなかった。そのことを打ち明けたとき、その大臣さまはなんとおっしゃったと思う?大臣さまはこうおっしゃったよ。“地表の生き残りを殺して、わしの悪い所と入れ替えればいいじゃないか”とね。」
ヨウヘイの表情がこわばってくる。ユキの歯がきりきり軋んでいる。
「下のやつらはもうほとんど心をやられちゃってるよ。でも、よく聞きな。あいつらだけを憎んだってしようがないんだ。ここ三千年ほどの歴史の中で生きてきた人間全員が、ちょっとずつ道を間違えてきてここまで来てしまったのさ。ほんとうは道を間違えてきたことに途中で気がついていても、前の世代のせいにしちゃって引き返そうとしない。そして自分たちが間違えてきた分は次の世代にお任せ、このくり返しでここまで来ちゃったのさ。」
ユキはうん、うんとうなずきながら聞いている。
「ヨウヘイ、それでその大臣さまをどうしたの?」
「もちろん、おれには地表の人間を殺すなんてできないさ。おれだって元は地表人だったんだから。」
「そうなんだ。」
ユキは体を少しヨウヘイのほうに寄せた。
「ああ、はげた山のほら穴に住んでいた。そんな小さい頃のある日、おれは目の前で父さんと母さんを殺されて、それでもって、父さんと母さんの死体と一緒に下の世界へ連れていかれた。あれは父さんと母さんの解剖からはじまり、死ぬほどの知識を詰め込まされることで医者になったのさ。薄暗い部屋に閉じ込められて、何年も、何年もね。もう、そのときからおれに感情なんてもんはなかったよ。まるで洗脳状態だった。」
ユキはごくんとつばを飲み込んだ。顔が真っ青だ。
「だけど…なんでだろうな、もう完全に心はからっぽになってたはずなのに、そう、そのときの大臣の顔を見てたらさ、急にむらむらと怒りが込み上げてきてよ、おれが愛する人を解剖した時のように、その大臣さまをバラバラに解剖してやった。あいつの腹の中は汚いできもので真っ黒だったなあ。」
ユキは泣きそうな目でヨウヘイを見つめる。
「おれはその足で逃げてきた。やつら、まだ血眼でおれを捜しているだろう。そうさ、おれはお医者なんて呼べる代物じゃないのさ。」
「…違うよ、ヨウヘイはいい医者だよ。だっておれを治してくれたもん。」
ヨウヘイはユキの今にも泣きそうな目を見つめた。
「ごめんな、ユキ。ちょっとしゃべりすぎたな。もちろんおれはこのまま医者をやめるなんてことはしないよ。医者は素晴らしい職業さ。おれはもう一度医者になる。無理強いで医者になるんじゃなくて、自分の意思で経験をつんで医者になるんだ。しかも、人間だけじゃなく、生きているすべてのものを病気から救ってやれる医者になりたい。おれが今、一番治してやりたいのは、地球だ。地球は今、病気にかかっている。おれはそのときから今までずっと、地球を診て回る旅をしている。おれは今、地球を治せる医者になるための勉強をしているんだ。」
ユキとヨウヘイはまっすぐ向かい合った。
「ユキ。おれは、地球がまたここみたいな気持ちのいい場所になることを信じているんだ。」

ユキは小さくうなずいた。
「チマのこと、教える。」
「え、ほんとか。」
「この森の秘密、教えてあげる。」
ユキはそう言って立ちあがると、手招きをした。
ユキとヨウヘイは、森のちょうど真ん中あたりにある大きな木の根もとまでやってきた。
「木、登れる?」
「ああ、小さい頃よくやった。」
ふたりは木を登っていく。地面から三メートルぐらいの所に、大きな穴があいていた。
「ほら、こいつがチマだよ。覗いてみて。」
「……。」
ヨウヘイは声が出せなかった。木の穴の中にいたのは、一匹のネコだった。ヨウヘイが驚いたのは、そのネコのうっすらと開いた目があかあかと光を放っていたからだった。
「ほら、ちんまり丸まってるだろ。いつもこうなんだ。だからチマってつけたんだよ。」
ユキの横顔が照らされている。
「…ああ、そうだな。ピッタリの名前だな。」
「降りよう、最近チマは疲れてるんだ。」
ふたりはするすると降り、その根もとにすわりこんだ。
「…話すよ、全部。この森がこうして生きていられるのは、チマのおかげなんだ。おれがまだ、泣いて寝て、泣いて寝ての生活をしてた時、おれのことを毎晩あっために来てくれたあいつは、まだ普通のネコだった。そう、今よりもずっと小さかった。きっと生まれたばかりだったんだと思う。そのころはこの森も今よりずっと広かった。だんだんおれが物心ついてきて、森の中を歩き回るようになると、チマはいつもおれのところに寄ってきた。」
ユキの顔には安らぎの色がついていた。こうしてよく顔を眺めてみると、そんなに幼くもない顔だ。十五くらいだろうか。
「でも、おれは恐ろしいことに気がつきはじめた。森がどんどんなくなっていること。そして、おれたちの森の周りは、見渡す限りどろどろに溶けた大地が広がっていること。森にとどく光が、だんだんと弱くなっていること…。そしてとうとう、昼と夜の境がわからなくなってしまった。体も心も、ひどく寒くなった。森の端っこが、一目で見渡せるくらいまで森はちぢんでしまった。おれはチマを抱いて泣いた。おれの涙がチマの毛並みをぽろぽろと濡らした。そういえば一度もチマに水浴びをさせたことがなかったなあ。ああ、一度だけでもぱしゃぱしゃと水をかけて洗ってやって、ぽかぽか暖かい太陽の下で乾かしてやればよかった。おれはそんなどうしようもないことを思いながら、ただひたすら泣いた。そのときだったよ。おれの胸の中から、チマの瞳がきらきらと森に光を放ったんだ。思えば、おれはそのときまでチマが目を開けたのを見たことがなかったかもしれない。そしてそのときからチマは、体を動かさなくなった。かわりに目だけを、開いたり閉じたりしてる。朝から昼のあいだ、チマはまばたき一つしないで、さっきみたいにうっすらと光りの目を開けている。そして、夏は夜七時、冬はだいたい夜五時ぐらいになると、チマは目を閉じ、そして森には夜がやってくるんだ。」
ヨウヘイは冷や汗をたらしながら話を聞いていた。
「…なるほど。」
ヨウヘイは思いっきり上を見上げた。
「ああ、チマは高い木に上るのが好きだったんだ。むかしチマとよくこの木に登って遊んだから…。」
「そうか…いい友達だな。」
だがユキは悲しそうだった。
「ヨウヘイ…ネコの寿命って、どのくらいか知ってる?」
「ネコか。二十年から三十年の間くらいじゃないかな。」
「…あいつはおれと同い年だとしてまだ十五歳、そしたらあと十年くらい生きていられるよね。でも、チマはもう弱ってきてるんだ。日に日にやせこけて、明日にでも死んでしまいそう。おれにはわかるんだよ。」
「チマは、何も食べないのか?」
「うん、何にも食べようとしない。…ヨウヘイ、チマを診てやってくれないか。チマは病気だよ。お願い、チマを治してやって。」
ユキは泣きながら頼んだ。ヨウヘイは落ち着いた口調で言う。
「ユキ。おれが思うに、チマを治すには、チマの目から出る光を止めなくちゃいけない。でも、そうなったら一体どうなると思う。この森は死ぬぜ。おまえさんとチマは一体どうやって生きていくんだい?」
「この森が…死ぬ?」
「ああ、光が照らなくなれば、木々は息をできなくなって死んじまう。そうしたらこの場所にもあの死の雨がふりそそいで、どろどろの汚い地面に混じっておしまいさ。」
ユキはひざを抱え込み、顔をうずめてしゃくりあげた。
「チマ…。」

ふとヨウヘイはユキの包帯が取れかかっていることに気付いた。
「ユキ。包帯、とれかかってる…」
直してやろうとヨウヘイが身を乗り出したそのときだった。銃弾がヨウヘイの背中をかすめた。見ると、二人組みのハンターがユキとヨウヘイを狙っていた。
「ヨウヘイ、こっち!」
ユキはヨウヘイの手をつかんで走り出した。二人は岩かげで息をひそめた。
「しーっ、静かにね。もうすぐチマが目を閉じるから、それまで…。」
ユキがそう言っている間に、あたり一面が闇に包まれた。ハンターたちはすごすごと引き上げていった。

「ヨウヘイ…チマを助けてほしい理由はまだあるんだ。」
「ああ、おれもいつ切り出そうかと思っていたよ。この森は、下のやつらに狙われているんじゃないかって…。おまえさんにこの傷をつけた銃弾は、そこらの道楽ハンターの使っているやつと違う。政府命令でのみ使用が許される特殊なやつだ。もうすでに着々とこの森をのっとる計画が進んでいるんだろう。」
「そうか…もうそんなに…。」
「この森がのっとられたとする。そのあとあいつらが考えることといったらなんだ?ユキ。」
「ヨウヘイ…あいつらはこの森の秘密をさぐり出すに違いないよ。そしてチマのことがばれて…それから…。」
「よし、もういい。何も考えるな。今日はもう寝よう。そのほうが傷の治りも早い。」
ヨウヘイは上着でユキを包み込んだ。
「ヨウヘイ…おれとチマはどんなことをしてでも生きのびるよ。そうだ、おれたち、ヨウヘイさんと一緒に旅をするよ。そのうち、こんな森がいっぱい、いっぱいできるように…。だから、チマを元気にしてやって。お願い、お願い…。チマがいなかったら、おれは…。」
ユキは眠ってしまった。まったくこんなに赤い目で寝てると、明日の朝、目がぱんぱんにはれてるんだからな…。ヨウヘイはワイシャツを脱ぎ、くるくるまるめて、ユキに抱かせてやった。

ユキが寝てから五時間くらいたったときのことだった。カッと周囲がまばゆい光に満ちた。ユキは驚いて目を覚ました。異常だった。チマが目を開けるまであと三時間はある。ふと横を見ると、ヨウヘイが横でぐったりしていた。
「ヨウヘイ!なにかあったのか。」
「おれは大丈夫だ。それより、ついに下のやつらがやってきたみたいだな。」
いきなりのまぶしさに二人ともうまく目が開けられなかった。
そのとき、不意に後ろから何人もの大男が二人におそいかかった。
「!」
「ヨウヘイ…!」
二人は気を失った。

気がつくと、二人はおりの中に入れられていた。何人もの人間が、その周りを取り囲んでいた。そこは森のなかで、チマのいる大木の根もとだった。
「…チマ!」
チマは二人の目の前にいた。一人だけ、イスに座って偉そうにしているやつがいて、チマの入った小さなおりを、そいつが大事そうに抱えていた。
「ふふ…このネコが目を開くまで、あとどのくらいじゃ?捜査官よ。」
「はっ、あとたったの十五分でございます。」
「楽しみだ…。早くこのネコをわしの珍獣コレクションに追加したいものじゃ。」
「お言葉ですが、大臣。」
「なんじゃ。」
「われわれの本当の目的をお忘れになられては困ります。われわれはこのネコの能力を確認しにきたのです。そのあとは、国へもち帰ってこのネコを精密検査にかけます。からだのすみずみまで解剖して調べ、太陽エネルギーがどこでどのように発生しているのかを突き止めます。そうすれば地底国に第二の太陽を造ることが可能となります。われわれの予備調査によると、そのネコのからだの核を培養するのが有効であります。」
「なに、バラバラに解剖してしまうだと!そんなことは断じて許さんぞ。」
「大臣、ご安心ください。一度バラバラに解剖しても、もう一度もとどおりにつなぎ合わせることのできる医者が、あなたの目の前にいるのです。」
その男はヨウヘイを指差した。そのときユキは泣きじゃくっていた。もうどうすることもできないの…?ユキはおそるおそるヨウヘイを見つめた。ヨウヘイは深く目を閉じ、腕をかたく組み、あぐらをかいて落ち着いて座っている。
「おお、そうか。それなら安心じゃのう。ついでだから、はく製にする処理も君にお願いしようかの。」
ふと、照明が落とされ、あたりは薄暗くなった。
「大臣さま、そろそろこのネコの目が開く時間です。」
そこにいるすべての人の視線がチマに集中した。たった一人を除いて…。ヨウヘイだけは、まるで死期を悟った人のようにかたく目を閉じて座っていた。ユキはヨウヘイのほうに体を寄せた。するとヨウヘイはユキにささやいた。
「ユキ。チマをちゃんと守ってやるんだぞ。」
「え…。」
そのとき、大臣のひざの上で、チマがみぶるいをした。その瞳が開かれていく…。
瞬間、そこにいる誰もがあぜんとした。確かにチマの目はわずかな光を浴びてきらきら光っていた…が、それはどうみてもチマの目から大量の光が出ていると言えるようなものではなかった。
「おい、なんだ。こいつはどこにでもいる普通のネコではないか。これはどういうことなんじゃ、捜査官よ!」
「なぜ…そんなはずは…。」
しかし、大臣よりも、捜査官よりも、一番驚いていたのはユキだった。
「チマ、チマ…?」
ユキは口をぱくぱくさせていた。

あたりは大騒ぎだった。
「どうなっているんだ、捜査官!わしをだましたのか!」
「やはりあのネコだけでなくほかにも秘密が…。」
ざわめきの中、ヨウヘイはユキの耳にそっとささやいた。
「いいかユキ。チマを抱いて逃げるんだぞ。」
「え…」
突如、ヨウヘイが叫んだ。
「おい、よく聞け!そのネコは、この子がなでてやらないと目を光らせることができないんだ!」
ざわめきが止まり、まわりをとり囲む全員の視線が二人のもとへ集まった。
「なんじゃ、そうだったのか。おい、捜査官、はやくその男の子を出してやらんか。」
「はっ、ただいま。」
おりが開けられる。ヨウヘイはユキの頭に手を置いた。
「さあ、行くんだ。」
大臣はおりからチマを出した。
とたん、ユキは大臣のひざからチマをひったくり、一目散に走り出した。
「なっ、子どもがネコを持って逃げたぞ!追え、追うんじゃ。」
そこにいた誰もがこぞってユキを追いかけようとしたそのとき、ヨウヘイはその前に立ちはだかった。
「なんだおまえは!」
「撃て!そいつを殺して早くネコを追いかけるんだ!」
「待て!そいつを殺しちゃいかん…」
騒ぐ者たちを前に、ヨウヘイはかたく閉じていた目を開けた。

光が満ちた。ヨウヘイの目から出た光は、そこにいたすべての者の目をくらました。
「い、痛い。目が痛い。」
「捜査官、引き上げるのじゃ。」
「はっ、しかし…。」
そこにいた者たちはみな目をおさえながら引き上げていった。ただこの捜査官だけは、ヨウヘイにとびかかっていった。
「この目の秘密さえわかれば…!」
ところが、ヨウヘイは目を閉じてぐったりとその場に倒れこんでしまった。
「おい、どうした、しっかりしてくれ!それにしてもこれは一体どういうことなんだ?」
ヨウヘイはかろうじて口を開き、しゃべりだした。
「…おまえさん、太陽の光がそんなにほしいかい?」
捜査官は真剣な顔をして答える。
「ああ、ほしいさ、ほしいとも!地底国のすべての人々が待ち焦がれているんだ!」
「…おれのみたところ、おまえさんはなかなかの科学者だ。だから、おまえさんもわかっているはずだ。地底にまねごとの地球を造ったってしょうがない。今必要なのは、真正面から地球と向き合って、治療してやることなんだ。」
捜査官はぐっとくちびるをかみしめた。遠くの物かげに隠れてみていたユキとチマが、かけよってきた。
「ヨウヘイ…」
「ユキ。来てくれたのか。チマは元気か。」
「うん、チマ、元気になったよ。ほら。でも、どうして…」
ユキは泣き出しそうだ。
「ははっ、ちょっと目つきが変わっただろう?なんてったって、チマのほんとうの目はここにあるんだからな。」
ヨウヘイは自分のまぶたを指差す。
「ユキ、チマはすごいやつだよ。この光る目ってのは、ものすごいエネルギーの消耗だ。何年もの長い間、チマはよく耐えたもんだ。そして、よくこの長い間この森を守ってくれた。」
「チマ…」
ユキは自分の腕の中でまるまっているチマをみつめた。
「ユキ、たとえこの森がもうすぐなくなる運命でも、おまえ、言ったよな。おれと一緒に、地球を治すための旅をするって。この地表を、こんな森でいっぱいにするんだって。ユキ、おまえはチマと一緒に旅に出るんだ。あいにくおれは一緒に行けないが、ここにいるこの人が、おれのかわりをしてくれる。」
捜査官が驚いた目でヨウヘイを見つめる。
「おまえさんの能力があれば十分さ。それに下の世界にも、おまえさんと同じようにまともな心をもった人が何人かいるだろう。その人たちと協力して、どうかおれのやり残した仕事を引き継いでくれ。」
捜査官はとまどった表情になった。
「しかし、地底国の人々は、地上に対してものすごい偏見を持っているんだ。私がそんな活動をするのを、人々はどのように見るだろうか…。」
「今は、ほかのだれの目も気にしなくていい。おまえさんたちが、一生付き合っていかなけりゃならない相手は、この地球さ。人々の心は、次第によくなっていくだろうさ。信じるんだ…。」
捜査官はうなずいた。
ヨウヘイはうっすらと目を開いた。まばゆい光がこぼれる。
「チマの目…。こいつも長いお勤めで疲れたろう。おれはこいつと一緒に寝るとするよ。じゃあな、あとはよろしくな。おやすみ、みんな…。」
ヨウヘイのまぶたからこぼれでる光はしだいに細くなり、そして途切れた。
「ヨウヘ……」

その瞬間だった。森を包み込む木々の葉の間から光がこぼれた。みるみるうちにあたりが光に包まれていく。黒い雲は晴れ、太陽が顔を出していた。何百年ぶりものまぶしい太陽の光だった。
「これは、奇跡…?」
ユキはヨウヘイの安らかな顔をのぞきこんだ。
「きっと地球も、治りたくてしょうがなかったんだね。」
捜査官もうん、うんとうなずいた。
「あなたは、立派なお医者だったよ。」
チマが、そのくぼんだ頬をぺろぺろとなめていた。

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