第七回島清ジュニア文芸賞「奨励賞」散文(高校生の部)「虹と瓢箪」

ページ番号1002724  更新日 2022年2月15日

印刷大きな文字で印刷

松任高校2年 桑島 唯子

今日も喫茶店に風変わりなお客がやって来る。

「牛乳を切らしてしまったので買ってきてくれませんか?」
マスターはアルバイトのウェイトレスであるマチに頼んだ。
マチは浅茶色のエプロンを脱ぎ、すかざず店から出て行った。
店内はマスターだけになった。普段は4、5人のお客が来るものだが、今日はまだ1人も来ていない。
チャームポイントである八の字の口髭を撫でながら、そろそろマチが牛乳を買った頃かなと思った時、雨が降り始めたのがドアの隣に位置している窓から見えた。
(とてもいい天気だったのに。通り雨だろうか。)
すると、カランとベルが鳴り、1人のお客が店に入ってきた。
灰色のリュックサックを肩に担いだ男だった。彼は同じく灰色の傘を傘立てに差し込んだ。リュックサックにも数本の傘らしき持ち手がはみ出している。
カウンターの前で男は静かにリュックサックを下ろし、マスターの手前の席に座った。彼から微かに雨の匂いがした。彼はオレンジジュースを注文した。
「先程まで良いお天気でしたのに。」
そう言いながらマスターは「どうぞ。」とオレンジジュースが入ったグラスを差し出す。
「そうですね。」
男はオレンジジュースをストローで一口飲み、一服した。
「それはすべて傘ですか?」
マスターはリュックサックの中身が気になった。
「まぁ、はい。僕は傘売りですから。」
男はリュックサックから傘を1本取り出してみせた。変わった柄で、持ち手も凝っている。とても面白いデザインの傘である。
「とても素敵な傘ですね。では、今が売り時で。」
「もともと今日は1日中晴れの予定でしたから。急に降られて困っているところを僕が1本300円で売るんです。」
「300円?それはとても安い。」
ビニール傘でも大抵500円はするもの。どう見ても新品でかなり凝っているこの傘にしてはあまりにも安いのではないか。
「だからたまに、どこか不具合あるんじゃないかって言われます。でもみんな、傘を差すと嬉しそうに帰っていくんです。」
男は朗らかな笑みを浮かべながら、売り物である傘をリュックサックにしまった。
「その気持ち、分かりますよ。ほんと使うのが勿体ないくらいですよ。しかし、1本300円というのは。元手を取り戻せるものなのですか?」
「まぁ、そう思いますよね。」
そう言いながら、男はストローでグラスの中の氷をかき混ぜ、オレンジジュースを一口、二口飲んだ。
「この傘はすべて捨てられていたものなんです。穴が開いていたものや、骨が折れていたもの。最悪骨組みしか残っていなかったものを沢山集めて、新しく作り替えるんです。そうやってまた、この子達を必要としている人々のもとへ帰してやるんです。リサイクル、まぁ、そういう事になるんでしょうか。」
マスターは先程見せてくれた傘を思い出してみる。とてもあれが、もとはゴミだったとは思えない。
「本当は昔、無料で配っていたんです。今は夢を叶えるためににお金を貯めていて。」
男は少し照れ臭そうに笑った。
「それはどんな夢ですか?」
「・・・…笑いませんか?」
「私は人の夢を馬鹿にはしませんよ。」
男はまた一口オレンジジュースを飲み、少し間を置いて彼は口を開かせた。
「僕は生まれて一度も、虹を見た事が無いんです。」
「虹、ですか?」
「いや、信じられないかもしれませんが、僕は天性の雨男でして、晴れに恵まれず、おかげで周りのみんなにはとても迷惑を掛けているんです。せめて、雨に濡れたせいで風邪を引く事のないように傘を配り続けていました。ある日、僕は1冊の世界の風景写真集を見ました。そういう物でしか晴れを見る事ができませんからね。それで、そこに載っていたんです。虹が。今でも目に焼きついています。こんなに美しいものが存在するなんて、かなりの感銘を受けました。一度でもいいから見てみたい、そう思いました。」
雨男は遠い目をした。彼の瞳は雨雲のように深い灰色だ。
灰色の世界しか知らない、太陽に見放された男。彼は幼少時代をどのように過ごしてきたのだろう。学校生活では遠足も運動会も侭ならなかったに違いない。周りの人々が、彼は雨男だと気づいた時、どのように彼に接してきたのだろう。彼の思い出はすべて雨の中なのだ。
熔けて一回り小さくなった氷がカラリとグラスの中で響く。
「それで僕、風邪の噂で聞いたんです。不思議な瓢箪売りがこの街に来ていると。」
「不思議な瓢箪売りですか?」
マスターはとても興味深そうに聞き返すので、雨男はそれに対して嬉しそうに話を続けた。
「その人は仙人で、自分の庭園で栽培して磨き上げた瓢箪の中に、普通は考え付かないようなものを入れて売るんだそうです。でもいつも神出鬼没で、いつどこに現れるか分からないそうで。僕みたいな人がいるんですから、きっといるに違いないと信じて探し回りました。そしたら、本当にいたんですよ。お隣の新緑街の中心に立っている立派な大木の下で。仙人だっていうからどんなに白い髭を伸ばしていて頭が長いのかと思いきや、意外と平凡なお爺さんの姿でした。白い髭という点は合っていましたけど。それで、その瓢箪売りの仙人に僕の話を聞いてもらったんです。そうしたら、“虹の瓢箪はあるが、ただお金を払うだけでは面白くない。君は何の為にその力を授けられたか、考えた事はあるか。それが解ったとき、またこの場所で会えよう。”と言われました。僕、その時は本当に困っちゃいましたが、とにかく考えましたよ。」
「答えは見つかったのですか?」
「ええ!」
雨男は力強く答えた。
「今、世界は水不足で苦しんでいる人が沢山います。それを僕が助けてあげるんです。自分で言うのも何ですが、僕の雨の綺麗さには自身があります。そこらの酸性雨などとは違います。僕は空を飛ぶ事ができませんから、だから今はお金を貯めて、貯まったら世界中を渡って周るつもりです。もちろん傘も沢山持ってね。」
雨男はまた遠い目をした。きっと今度はまだ写真でしか見た事の無い世界を夢見ているのだろう。彼の目はとても輝いて見えた。

「ご馳走様でした。」
雨男は上着のポケットから財布を取り出そうとしたが、マスターがそれを止めた。
「代金はいいです。その代わりといっては何ですが、先程の傘を譲っては頂けませんか?気に入ってしまったものですから。」
マスターはにこやかに微笑んでいた。
雨男は一瞬キョトンとした表情を見せたが、次にとても晴れ渡った笑顔を見せた。
「ええ!是非、使ってあげてください。」
雨男はリュックサックを担ぎ、席を立つ。
「初対面だったけど、何だか貴方になら何でも話せてしまいます。また、来てもいいですか?もちろん、雨の日にですけど。」
「ここは喫茶店ですから。」
マスターは優しく微笑んだ。雨男もホッとしたように同じく笑った。
傘立てから自分の傘を取り出す。ドアを開ければ当たり前のように降っている雨が待っている。
雨男はふと振り返った。
「僕、雨神といいます。代々受け継がれてきて、生まれた時から付いていた称号です。昔は大嫌いでしたけど、今は妙に誇らしいんです。」
最初にこの店に来た時よりも堂々としていた。マスターに自分の話をしているうちに心が清々しくなっていたのだ。
マスターは「ほう。」というように顔をほころばせた。
「では雨神さん。いつでもお待ちしておりますよ。」
雨神は一礼すると傘を差し、雨の中へ消えていった。
静かに閉まっていくドア。ガチャッ、と完全に閉まると、ベルもカランとなった。
しかしまた、今度は活気良くドアが開かれた。ベルもそれに比例するかのように荒々しく鳴る。
現れたのはショートヘアの女の子。この喫茶店のウェイトレスのマチだった。
「あなたの事だから、雨の中走って帰ってくると思っていたのですが、意外と遅かったですね。」
マスターは変わらず朗らかな笑みを浮かべるが、マチが雨に濡れていない事を疑問に思った。
ふとマチが手にしている傘に気付く。買い物に行く前には持っていってはいなかった。彼女の持つその傘のデザインを見てすぐに納得した。
「その傘は傘売りから買ったんですね。」
マチは「そうです。」と愛想なく言った。それを聞いて、マスターはこっそりと譲ってもらった傘を隠した。
「走って帰るからいいって言ったのに、それじゃあ風邪を引くって言うから仕方なく買ってあげたの。結構古臭そうな服着てたし。」
買ってきた牛乳が入ったビニール袋をマスターに手渡すとマチは顔をうつむかせた。
「それで、仕方なく傘を差したら、つい、嬉しくなって近所を散歩してました。」
どうやら少し、顔が赤くなっているようだ。
それを隠しながら浅茶色のエプロンを身に着けた。今にして思えば彼女自身、不甲斐無く思っているのだろう。
普段は仏頂面でマセている彼女が出した幼心に、マスターは雨神が語っていた事を思い出した。

“みんな、傘を差すと嬉しそうに帰っていくんです”

まだ幼かった頃、新しく買ってもらった傘は最初差すのが勿体ないと思ったものだ。そして、早く雨が降ってくれないものかと待ちわびていた。長靴を履いて、クルクルと傘を回しながらスキップして、勢い良く水溜まりに飛び込む。一度傘を差せば、どんなに嫌気がさすような雨でも好きになれる。雨神が作り傘した傘にはそんな童心を蘇らせる力があるのだろう。
(“何のためにその力を授けられたか”か。)
どうやら最初から答えがあったのではないか。十分、貴方の力は人々に役立っていたのだ。
「雨、止みましたね。」
窓の外を窺ったマチが呟いた。
いつの間にか雨は通り過ぎていた。つまりそれは、雨神が遠くの方へ行ってしまったという事を表していた。
「あっ。」と声を上げたマチは外へ飛び出した。マスターは何事だろうと窓の外を覗いた。マチが「マスター。」と声を上げながら手招きしている。気になり外へ出てみると「わぁ。」と目の前に繰り広げられている光景に、思わずマスターは歓喜の声を上げた。
雨上がりの空気はとても澄んでいた。水溜まりは光が反射して銀色にキラキラと輝いていた。青色の天空には黄色と赤色が入り混じり、オレンジ色が薄っすらと彩られた巻雲が途切れ途切れの螺旋状に浮かんでいた。そして、これまでには無いような大きな虹のアーチがくっきりと描かれていた。
「これは、随分と素敵な置き土産ですね。」
しかし、その置き土産を残した本人はそれを見ることが出来ないのだが。
マスターは八の字の口髭を撫でた。
対してマチは不審に思った。
「あたしがいないうちに客が来たんですか?」
「ええ。とても大きな夢を持った方でした。」
マスターは虹を見つめたまま答えた。
マチは「ふーん。」と口を尖らせながら何度も小さく頷いた。
「その人また来てくれるんですか?」
「ええ。」
マスターは大きく頷いた。
「もちろん。」
あの人がまた訪れてきた時、きっと世界中の土産話があることだろう。いや、まず初めて虹を見たときの気持ちはどんなものだったかを語ってくれるかも知れない。またオレンジジュースを頼むのだろうか。“虹の瓢箪”も是非見てみたいものだ。
お客が気軽に立ち寄り、暫く一服して気を和ませる場所、それが喫茶店。マスターはいつでもコーヒー豆を煎り、カップを拭いてお客が来るのを待っている。彼にとって、皆が世間話をしてくれる事が何よりも楽しみなのだ。
後方から飛行機が雲を引きながら飛んできて、虹のアーチを潜った。
「これは面白い。」
マスターが感心していると、「あっ、そうだ。」とマチは何かを思い出したようで、すぐさま店に戻ったかと思うと、ある物を持って出てきた。
マスターは目を丸くした。
「その瓢箪は?」
「この前、変なおじいさんがこれを売ってました。安くしてくれるって言うので買ってあげました。」
彼女の事だ。何だかんだ理由を付けて安くさせたのだろう。
「一体、私の店のどこにしまっていたのですか?一言教えてくれればいいのに。」
マスターは苦笑した。
「それはさて置き、何の瓢箪ですか?」
「見れば分かります。」
呆気の無い答えを返したマチは勢い良く瓢箪の蓋を引き抜いた。スポンと景気の良い音がした。
すると、瓢箪の口から淡い七色の微光が溢れ出したかと思うと、それが天空に向かって伸び、それが虹の上空にカーテン状に広がった。
マスターは一驚した。
「もしや、その瓢箪は。」
マチは不適な笑みを浮かべた。
「これ、“極光の瓢箪”です。」
極光。本来なら北極や南極地方でしか見られないはずの自然現象、即ちオーロラだ。
さすが仙人と言うべきだろう。このような物まで瓢箪に閉じ込めていたとは。
「虹とオーロラの夢の饗宴という奴です。」
マスターは思わず一笑した。
「あなたの意気には適いませんね。」
虹とオーロラは互いに負けまいとするかのようにその色を強調し合っていた。

より良いホームページにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページは役に立ちましたか。

このページに関するお問い合わせ

観光文化スポーツ部文化振興課
〒924-8688 白山市倉光二丁目1番地
電話:076-274-9573 ファクス:076-274-9546
観光文化スポーツ部文化振興課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。