第七回島清ジュニア文芸賞「散文賞」(中学生の部1)「おず薬局」その2

ページ番号1002719  更新日 2022年2月15日

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美川中学校3年 玉井 菜月

翌日、その日のバイトは午後からだったため、僕は出勤前にあの信じられない出来事のことを話しにおず薬局を訪ねに行った。今日はあのおばあさんが出てくる気配がなかったので、自分から店の戸を開けた。
「こんにちはぁ、安藤です。」
僕は異様な雰囲気の店の中にむかって誰に向けるでもなく声を出した。
「おや、今日はどんな薬がいるんですか?」
僕はびっくりして振り返った。返事は、店の中からではなく背後から聞こえてきたのである。
「あっ、外にいたんすか・・・。」
僕はしどろもどろしながらおばあさんの方に向き直った。
「前にこのお店で買った飲み薬のことなんですけど、不思議なことがあったんです。」
僕は昨日の朝、駅の改札口で起きたことを話し、そのあと女の人にあの瓶を渡したこと、そして夜にかかってきた電話の内容などかくかくしかじか話した。おばあさんは僕が話している間、口を挟むことなく耳を傾けていた。
「・・・と、こんなことがあったんですけど・・・。」
一通り話し終えて僕はおばあさんの反応を待った。
「あの薬は普通の薬と変わらない薬だよ。」
おばあさんは驚く様子もなく、ただそう言っただけだった。
「えっ、じゃあ、女の人の怪我が治ったのはあの薬の効果ってわけじゃないんすか?」
「わたしゃ知らんよ。それより、薬がいるんだったら中にお入り。」
おばあさんはそう言うと、以前と同じように、店の中へ僕を導くかのように入っていった。本音でそう言ったのか、話題をずらそうとしたのかはわからなかった。
店の薬は前と同じ配置で、ただ、あの瓶の置いてあった所には他の薬が置かれていた。一瞬それを手に取ろうとしたが、同じ位置から薬を取るんじゃおもしろみに欠けると考え直し、今回はちょっと店の奥まで足を運んでみることにした。すると、店の奥に並んでいた棚と棚の間には通路があり、さらに奥があることを発見した。僕はその通路に入った。
周りはとにかく棚、棚、棚で、通路は直進が少なく、曲がり角ばっかりだった。棚が高いため薄暗く、先が見えないものだから、迷路のようだった。もうずいぶん進んだころだろうか・・・。これ以上進むと戻れなくなるような気がして、とうとう引き返すことにした。するとどうだろう。行きの十分の一ほどの時間でおばあさんのいるレジに戻ることができたのだ。
「?!」
驚きで声も出なかった。奇妙で鳥肌がたった。この店の奥は限りなく続いているように思えたからだ。
「いい薬は見つかりましたか?」
おばあさんはやさしい声で、唖然とする僕にそう聞いてきた。
「あ・・・あ・・・あ〜、えっと、種類が多すぎてよくわからなかったんすよ。」
僕は薬をよく見ていなかったくせにそう返事を返した。
「それじゃあ、こんなものはいかがですか?」
おばあさんが僕に渡したのは、普通の絆創膏と、悪臭を放つ湿布だった。
その日の午後、僕はいつものようにバイトのため出勤した。
僕が今バイトをさせてもらっている会社は普段午前中から出勤し、窓拭きやトイレ掃除、部屋の掃除、ゴミの分別などいろいろなことをしなければいけない制度になっている。ビルがでかいだけあって特に窓拭きには大人数の作業員を必要とする。そのため広告でバイトを募集したところ、会社の予想を遥かに上回る人が申し出た。それで、その中から何人かは削ったものの、すこし多めに雇ったもので、今日の午前中は僕の代わりに他の人が窓拭きをしている。だから、今日は午前中が休みだったということだ。この会社は軽い交代制になっている。要するに、僕の代わりなんていくらでもいるということだ。それを実感するたび僕は、自分の無力さを感じるのであった。
でも、薬を手にした今は違う。「僕にしかできないことがある」と、うっすら感じるようになってきたのである。
それにしても、これらの薬をどうやって使おうか・・・。僕は駅前の道路を歩いている途中に考えていた。
「湿布は多分腰かどっかに使うし・・・絆創膏は切り傷とかすり傷に使えばいいし・・・」
僕は周りに聞こえないぎりぎりの声でぼそぼそと呟いた。でも、それと同時に疑問点も浮かんできた。以前薬を使用したのは打撲の時、しかも飲み薬で治ったのだ。今回も何か違う使い方をするのかもしれない・・・。はっきりいってそんな保障はなかったし、何をどう使えばいいのか見当もつかなかったが、何かを考えていないと落ち着かなかったので僕は答えの出ないことを何度も考えていた。
薬の出番はその日の夕方にやってきた。バイトが終わった僕は、駅に向かう途中公園の前を通りかかった。その公園はいつもバイトの行きと帰りの通り道になっている。公園を横切るだけで相当な近道になるのだ。普段僕がこの公園を通りかかるのは夕方で、6時半くらいだから、ほとんどの日は子供の姿がないのだが、今日は違った。小学校低学年くらいの男の子が二人、ジャングルジムの下にいた。「ときどきいるんだよなぁ。夕方になっても帰んねぇ子供が・・・。」僕はそう思いながらいつも通り公園を通り過ぎようとした。でも、男の子達の横にさしかかった時、ちらっと横を見てみたら、男の子が膝に怪我をしていたのが見えたので足を止めた。怪我をしているのはもう一人の子より小さい、キャシャな子だった。大きいほうの子は、その子に「大丈夫?」と聞きながら、心配そうにケガをのぞいていた。小さい方の男の子はずっとうつむいたままだった。男の子の怪我はたいしたことないすり傷だったが、土がついていたし、傷口が広範囲だった。それに、小さいときはこういう痛さを我慢するのがきついもんだ。初めのうちは気付かないフリをして通り過ぎようと思ったが、絆創膏のことを思い出して考え直した。その結果、使い方がまんまでいいのか不安だったものの、絆創膏を使うことにした。
「坊主、立てるか?」
僕は男の子に近づいて話しかけた。男の子は首を縦に振った。立てるらしい。
「にいちゃん、こいつおれとおっかけっこしてたらこけたんだ。」
大きい方の男の子が僕にそういってきた。
「まだ時間はそんなに経ってないのか?」
「うん。さっきこけたばっかりで、それで・・・おれ・・・こいつが、うごかないから・・・どうしようかと、おもって・・・。」
男の子は焦っているのか、言葉をつまらせながらしゃべっていた。
「よし、わかった。にいちゃんが絆創膏やるから、頑張って水道のところまで歩くぞ。」
僕は男の子を立たせて、水道に行き、血に触れないように砂を洗い流した。怪我の具合は、小さい子にはちょっときついかな?と思えるくらいだった。そのあと男の子をベンチに座らせて、絆創膏を貼ってあげた。
「にいちゃんありがとう。」
お礼を言ったのは大きい方の子だった。僕は、
「今度からはこんなことにならないように気を付けろよ?そんでもって、早めに帰らねぇと親が心配するから、時間は守ること。今回のはそのバチだ。」
と答えて二人の頭を軽くなで、そのまま帰ろうとした。そのとき、小さい方の男の子が貼ったばかりの絆創膏をペリっとはがした。一瞬、何がしたいのかわからなかったが、そのあとすぐにわかった。男の子の傷はきれいさっぱりなくなっていたのだ。打撲のときよりもっと早い効き目だった。僕は、だいたい予想していたにもかかわらず再び驚いた。
「えぇぇぇ?!ずげぇよにいちゃん!どうやったの?!てじな??」
大きいほうの男の子は興奮して僕のほうを見てきた。僕は、答え方に迷ったが、
「そうそう、手品。」
と答えて片付けておいた。そして、あまりしつこく問われないうちにさっさと立ち去ろうと、すくっと立ち上がって公園の出口へと向かった。
「にいちゃん!」
公園を出る直前、大きい方の男の子とは違った声が僕を呼び止めた。
「ありがとう」
呼び止めたのは、今まで一言もしゃべっていなかった小さい方の男の子だった。
僕は、なんでもないその一言が妙に重たく感じた。そして、とても嬉しかった。
「ありがとう」なんて普段何に使っているだろう。考えて改めて、自分は軽い「ありがとう」しか使っていないことに気付いた。
湿布の出番が来たのはそれから一日空けた木曜日だった。湿布は火曜日から鞄に潜めておいてあったので、鞄の内ポケットは悪臭に染まっていた。湿布の使い方にも疑問があったのだが、絆創膏が普通の使い方で効いたので、今回も普通に使えばいいのかなと思っていた。
湿布を使ったのはバイトの昼休み中、僕がコンビニに安い弁当を買いに行っているときだった。
コンビニに向かうとき、僕はスクランブル交差点を渡っていた。そして、ひとりのおじいさんに目をつけた。おじいさんは都会に慣れてなさそうな雰囲気があった。地図と思われる紙切れを大事そうに持っていて、その紙切れを時々覗き込んでは前を見て、立ち止まっては振り返り、信号が赤に変わる前に渡りきれるのかどうかわからないスピードで歩いていた。僕はその様子を見て危なっかしく感じ、歩きながらおじいさんの様子を伺っていた。幸い、おじいさんも僕も信号が赤になったときには交差点を渡りきることができていた。普通の人が僕の立場ならここで一件落着し、その場を離れてゆくのだが、そのとき僕はあえてその場を離れなかった。駅で女の人を助けた時も、公園で男の子を助けたときも、立ち止まったからいい結果がついてきたのだ。今回も何かあるかもしれない。おじいさんはその場から、右にも左にも動けず、立ち往生していた。今までの経験から考えて、僕はおじいさんに声を掛けることにした。
「道が分からないんすか?」
僕がこう聞くと、おじいさんは振り返って、驚いたような顔で僕を見つめた。そして、
「あんたぁ、この家知らんかぁ?」
とかすれた声で聞いてきた。そして、小さな紙切れを渡された。それは絵で表してある地図ではなく、文字のみで表されているものだった。なるほど、こんな地図じゃ目的地にたどり着けるわけがない。ましてや都会に慣れてないじいさんだ。
「これ、誰が書いたんですか?」
「駅にいた若い女の人に書いてもらったんだがぁ、その人は絵が苦手だとか言って、文字だけで渡してきたんじゃがぁ・・・。」
僕がおじいさんに質問すると、案の定、道を尋ねる相手を間違えたことが分かった。
こんな地図、僕にも分からない、と心の中で苦笑した。
「せめて目的地の住所が分かれば交番で地図を書き直してもらえると思いますよ。交番まで行きますか?」
交番が近くにあることを知っていたので、僕はそれを頼りにしようと思った。
「あぁ、助かる、助かる。そうしてくれんか?」
僕はおじいさんを近くの交番に連れて行くことにした。
交番には一人の警官がいた。中年には見えたが、背はでかかった。
「すいません、このおじいさんが道を知りたいようなんで、ちょっと説明してあげてくれませんか?」
交番の戸を開けてすぐ、僕はのっぽの警官に向かってそう言った。
「はいはい、じいさんどこに行きたいんだい?」
警官は面倒そうにそう言って、おじいさんを交番の中に入れた。
「君、ありがとう。あとは私がなんとかするから。ご苦労さん。」
警官は軽く、そしてあっけなく僕にそう告げた。
「あ、はい・・・。」
僕はその言い方がどうも気にくわなかった。さっさと交番を出てコンビニに行こう、と思った。しかし、その前にまた新たなものが僕の足を止めた。警官の机のそばに、かごに入れられ、布をかぶせられた生き物がいたのだ。僕は興味本位で警官に、
「そこにいる生き物はなんですか?」
と聞いてみた。警官はおじいさんの面倒を見ながら、
「猫だよ。」
と答えた。猫??
「飼ってるんですか?」
「ふぅん。」と言って終わればいいものの、僕はさらに質問を重ねた。
「いや、近くの住民が『かわいそうだから』って言ってここに持ってきただけだ。車に引かれて、足を骨折してたんだとさ。保健所に預けるのも酷だから、時間の問題だろうが交番で保護することにしたんだよ。」
骨折・・・。僕は警官の返事にピンときた。
「ちょっと失礼します。」
僕は警官の許可をもらう前に勝手に交番の中へ入った。そして猫を見に行った。猫は布にくるまって寝ていた。
「多分足が痛むんだろうよ。ずっと寝たまま動かないんだ。」
警官がしゃがんで猫を見ている僕にそう言った。
「骨折したのはどっちの足ですか?」
「前の右じゃなかったかな?」
僕はダメ元で湿布を取り出し、猫の足をそっと持ってみた。途端に猫は暴れようとしたが、余計足に負担がかかったのか、すごい鳴き声をあげた。僕はびっくりして手をひっこめた。
「おいおい、あんま乱暴に扱うなよ?!余計弱るだろうが。」
警官は猫の鳴き声に驚いて注意してきた。
「それでぇ〜次はどこを曲がればいいんじゃぁ?」
そこへおじいさんが話を遮ってきた。僕は、湿布のナイロンをはがし、次は足を持ち上げるのではなく、湿布を足の下にくぐらせる作戦を実行した。この作戦は成功した。猫は抵抗せず横たわっていた。ゆっくりと、慎重に湿布を猫の足に巻きつけ、そのまま様子を伺ってみた。猫は湿布の悪臭に鼻をヒクヒクさせ、顔をしかめていた。
「ん?何か変な匂いがするぞ・・・?あぁ〜〜っ!!君、何してるんだ?!」
異常に気付いた警官が僕に向かって言ってきた。
「猫に湿布が効くわけないじゃないかぁ!!」
「それでぇ?!この次はどうするんじゃ?」
そこへおじいさんがまた口を挟んできた。
「騙されたつもりで貼っといてください。」
僕は警官にそう言った。
5分後、警官に地図をもらって満足したおじいさんは僕に、
「こんな都会でもあんたみたいに優しい若者がいたとはビックリじゃぁ。ありがとう、感謝しちょるよ。」
と言って交番を出て行った。薬を使うことはなかったけれど、感謝してもらえたので嬉しかった。
更に五分後、おじいさんが出ていったあとも交番に残り猫を観察していると、猫に変化があらわれた。寝ている最中に突然目を開け、右足を動かしたのだ。そろそろかな?と思い、僕は湿布をはがした。すると、猫はムクッと起き上がり、悪臭に染まった右足を毛づくろいしはじめた。その時ちょうど警官はトイレに行っていたので、僕は説明がややこしくなる前に交番をでることにした。へぇ、動物にも効き目があるんだ・・・と感心して交番の戸を開けたとき、猫が「ニャー」と鳴いた。僕は、「どういたしまして」と心の中で呟いた。
僕はこのあともおず薬局にちょくちょく通い、薬を手に入れてはいろいろ試していった。全てにおいて、薬が害を及ぼすことはなかった。蜂に刺された人をムヒで助けたり、目薬で水虫を治したり、綿棒で中耳炎を治したりした。その他にもいろんな薬を使った。とくに面白かったのは、頭痛薬で物忘れを解消したことだった。これは質問攻めにあった。
通い始めて何週間も経った頃、店のおばあさんが僕にこんなことを言ってきた。
「あんたさん、なんで人にばっかり薬を使うんだい?」
僕はどきっとした。なんで自分に使っていないことを知っているのだろう。でも、確かに、僕はなんで自分に薬を使わないのだろう。
「あんまり怪我とかしないんで・・・」
そのときはそう答えてみたものの、本当の理由なんて自分でもわからなかった。普通の薬ならいざというときまで家に備えておくものだ。でも、僕が今まで買った薬は普通ではない。だから人に使ったのか?いや、違う。
おばあさんの質問で僕は今まで人に薬を使ってきたことに疑問を抱き始めた。
始まりが突然ならば終わりも突然だった。
ある日、いつものように朝起きて、裏道側の窓を開けると、おず薬局が跡形もなく消えていた。
「?!」
もしかすると僕はおず薬局が現れた時よりびっくりしたかもしれない。寝ボケているのか?夢なのか?それとも今までのことが夢だったのか?僕はろくに着替えず玄関から飛び出した。
おず薬局は確かになくなっていた。今まで薬局があった位置には、薬局の両隣にあった家が並んで建っている。僕はその場でたちすくんだ。
そのあとの生活は僕にとってとても中途半端なものになった。それにしても不思議だ。生活が元に戻っただけなのに、いつまでも違和感が残った。なんでこんなに違和感が残るのだろう、と何度考えても答えにたどり着けなかった。おず薬局は突然現れ、突然消え、一体なんのためにあったんだ?そもそも、どこへ行ったんだ?僕があの店に関わったのは意味があったのか?疑問は浮かんできては消え、消えては浮かんできた。おず薬局に関わらなかったら、こんなに空虚な気分にはならなかったのに、と後悔さえした。
僕はおず薬局がなくなって初めての土曜日、高松さんの店にパンの耳を求めに行った。しかし、店は開いていなかった。定休日でもないのに、なんでだろう?と思い、店のドアに近づいていくと、張り紙に「本日は急用のため休みになりました。」と書いてあった。「急用」という言葉に疑問を持ち、僕は勝手口に回ってみた。念のため、高松さんがいるかどうか確認しようと思ったのである。鍵がかかっているかな、と思ったが、ドアノブが回ったので中に人がいることがわかった。
「すいません・・・」
ドアを開け、店の中にちょっとだけ顔を覗かせてみると、高松さんが慌しく調理場を行ったりきたりしているのが見えた。その途中僕に気付き、急いでこっちへやってきて、僕にこう言った。
「車のキーを探してくれないか?!」
××市総合病院。ここはこの県で3番目にでっかい病院だ。
あのあと僕は焦っている高松さんになんとか状況を話してもらった。落ち着かせるのに少々時間はかかったものの、なんとか状況を飲み込むことができた。高松さんの孫が高熱で入院したらしいのだ。高松さんは50代でおじいちゃんなのだ。高松さんの孫はまだ幼稚園に通っている女の子で、3日前体調を崩してついに今日入院したらしい。説明を受けた後もまた
「車のキーを探してくれ。」
と言われたので、一緒に探すハメになった。しかし、探しはじめて1分後。僕の、
「電車とタクシー使うのってダメっすか?」
という軽い一言がきっかけで結局電車とタクシーを使うことになった。
高松さんはあまり外出をしないし、電車なんて滅多に使わない人だから、心配になって僕もついていくことにした。しかし、来てどうするつもりだったんだ?おず薬局の薬もないのに・・・。
病室に入った時、高松さんの孫のお母さん、要するに高松さんの娘さんがいた。
「具合はどうなんだ?」
高松さんは恐る恐る自分の娘に聞いた。
「さっきより熱はひいたけど、まだ下がりきらなくて・・・。お医者さんは今日一日入院して具合を見てから先のことを考えましょうって・・・。」
娘さんも不安気に答えていた。
「・・・?そちらのお方は?」
急に僕のほうへ話題が振られた。確かに、相手にとっては知らない人が病室に入ってきてるもんな・・・。
「安藤と言います。高松さんにはいつもお世話になってて・・・。偶然店に行ったら高松さんから話を聞いたんで、ついてきちゃいました・・・。」
僕はなんだか居づらい気持ちで答えた。
「あら、それはありがとうございます。父1人だったらここまで来れませんでしたよ、きっと。」
そのあと病室でしばらく話し、結局今日のところは帰ることになった。が、帰りのタクシーの中、高松さんから1つ頼みごとをされた。
「すまんが安藤君、実は明日はわしのパン屋の30パーセントオフの日で、事前に広告を配ってしまったんだ・・・。今になってやめるというわけにもいかん。明日はそれなりの客が来ると思う・・・。だが、わしは孫が心配で、明日も午前中病院に見舞いに行きたいんだ・・・それで・・・。」
すまんが、という言葉から始まった頼みごとだったので大体予想はついていた。要するに、明日の午前中だけ高松さんの店を手伝ってほしいということだ。
もちろん、僕がパンを作ることは不可能だ。なので僕は、パンの仕込みなど専門的なことではなく、パンを並べることや材料がなくなった時の買い物係をすることになった。
日曜日はバイトもなく都合がいい。僕は開店2時間前の午前6時にパン屋へ行った。
「おはようございます。今日1日だけ手伝うことになった安藤です。」
僕が勝手口から顔をのぞかせたときにはもう店員が勢ぞろいしている、という状況だった。店員は男性2人、女性2人の計4人。皆、忙しそうにパンを袋詰めにしたり、焼き上がったばっかりのパンをオーブンからだしているところだった。袋詰めにされたパンはバスケットに入れられ、種類別に分けられている。
「店長から話は聞きました。僕は一番弟子の坂下です。今日1日、よろしくお願いします。」
そう言って帽子をとり僕に挨拶したのは、僕と同じ年くらいの男だった。
「役に立つかわかりませんけど、お願いします。」
僕は坂下さんとその他の店員三人に頭を下げた。店員は、「お願いします」と丁寧に挨拶をして、また作業に戻った。
「一之瀬さん!ロッカーまで案内してください!」
坂下さんが一人の女性店員に向かってそう言った。
「エプロンと帽子を貸しますんで、あの人、一之瀬さんについていってください。」
坂下さんにそう言われ、僕は一之瀬さんのあとについていった。なんだか慣れない職場だ・・・。
着いた先は、従業員のロッカーがある所だった。
「衛生面を考えて、髪の毛が落ちないように帽子をしてもらいます。あと、服が汚れないように、エプロンもして下さい。それが終わったら、あちらの洗面台で手を洗って下さい。手首も洗ってくださいね。」
一之瀬さんは僕に白い帽子とエプロンを渡し、最後に洗面台の位置を教えてすぐに戻ってしまった。僕は言われたとおり、エプロンと帽子を身につけ、手を洗った。
「なんだか大変そうだ・・・。」
手を洗いながら僕は独り言を呟いた。
店は開店と同時に人でごった返した。見る見るうちにパンは減っていく。僕はバスケットにパンを追加したり、焼き上がったパンをオーブンから出したり、慣れないことをたくさんやった。材料切れで急遽商店街に買い物へ行くことになったときは、大急ぎで走っていき、袋を両手に提げて帰ってきたりした。
パンは昼の12時以降、追加で作らないことになっていた。12時以降作っても、できあがるのが閉店時間をとっくに過ぎてしまうからだ。この店は天然酵母にこだわっているので、完全にできあがるまでには10時間ほどかかる。なので、12時以降に創ったパンは翌日のものになるのだ。ちなみに、この店の閉店時間は夜8時だ。僕は、「12時以降は楽になるから頑張れ」と坂下さんに言われていたので、それを希望に頑張った。
時間は刻一刻と過ぎていき、そろそろ高松さんが帰ってきそうな時間帯になった。僕がちょうど「生種おこし」に使った後の空になった容器を洗っている時、勝手口のドアが開き、高松さんが帰ってきた。
「いやぁ、助かったよ安藤君!孫もだいぶ具合がよくなってきていた。明日には退院できるよ。」
高松さんは調理場に入ってすぐ、満面の笑みで僕にそう告げた。
「よかったっすね!役に立てて嬉しいです。」
僕はひとまずホッとした。しかし、ここで帰るのは惜しいので、
「せっかくなんで、午後からも手伝っていいっすか?」
と聞いてみた。
CROSEの文字が店の正面の入り口に掲げられた。今日の作業はこれにて終了、の合図。そして、調理場には帰る準備が完了した店員と僕がいた。僕はあの後結局店に残って仕事を手伝い続けた。手伝っているうちにやりがいを感じるようになって、結構慣れてしまった。売れ行きも良く、今日は充実した1日だった。
「たいして役に立てませんでしたけど、貴重な経験ができました。またいつでも手伝えますよ。日曜日なら。」
僕は別れ際に皆にそう言った。
「いや、役に立ってないなんてことないさ。本当に助かったんだよ。雑用ばっかりだったかもしれんが、楽しかっただろう?」
高松さんは悪戯っぽく笑って僕にそう言ってくれた。続いて店員たちも、
「今日は店を手伝ってくれてありがとうございました。おかげでいろんなことが楽になりました。」
「うちの店は定員がギリギリなんで、安藤さんが手伝ってくれて本当に良かったです。」
「それに、初めてのわりにいい働きっぷりでしたよ。」
「普通に溶け込んでました。」
と僕に言うのだった。
僕はそのとき気付いた。
おず薬局がなんで僕の目の前に現れたのか。
フリーターになって、まともに職を持たず適当にバイトを探して生活していた僕は、夢もお金もない単調な毎日を繰り返していた。就職活動もあきらめ、いっそフリーターとして人生をやり通そうかと考えていた。そんなある日、目の前にあの薬局が現れた。
薬をなんで自分に使わないのか。いつかあのおばあさんにそんなことを聞かれたっけ。きっと僕は誰かに必要とされたかったんだ。
僕の代わりなんていくらでもいると思っていた。でも、薬があったおかげで、自分にも役目があることに気付いた。薬がなくなった今も、役目は残されている。
薬が手に入ってから、僕は何度立ち止まって、何度人の役に立てただろう。これまでは困っている人を見かけても、見て見ぬフリして通り過ぎることしかできなかった。けど、今はもう逃げることはない。
薬は、人に使った分だけ、僕に「希望」という効き目をもたらしたのだ。

数年後、僕は国際的なボランティア集団の一員として、アフリカ大陸に滞在していた。給料はほとんどないが、食事はできる。
「安藤はなんでボランティアに参加しようと思ったんだ?」
昼食をとっていたとき、ボランティア仲間のアメリカ人ジョンが、英語でそう尋ねてきた。
「人に役立つことがしたかったからだよ。」
と、僕は英語で答えた。外国でボランティア活動を始めてもう一年以上経ったので、英語はペラペラだ。最初はまともに話せなくて苦労したけれど。今ならおず薬局のことを英語で説明することもできる。でも僕は、おず薬局のことを誰にも話したことがない。ジョンにも、友達にも、高松さんにも。
ある日、僕らの集団はひどい干ばつにあっている地域を訪れた。水を供給しにきたのだ。住民は我先にと先を争ってタンクを押しつけて来た。
「大丈夫です!水は充分にありますから、ちゃんと列になってください!!」
集団のリーダー的存在のアルベルトさんが住民たちに向かって大声で指示を出した。皆それに素直に従ったので、作業はスムーズになった。しかし、さっき人が争っていた場所に、まだ一人の少年が残っていた。少年は左膝を立てて座っている。よく見るとそこには、誰かの爪にひっかかれたのか、パックリ割れた切り傷があった。僕がその少年のもとへ行こうと思った瞬間、アルベルトさんが僕よりも早く彼に駆け寄った。なので僕はアルベルトさんに任せて様子を伺うことにした。
水を求める人々がひしめいている傍らで、少年をかかえたアルベルトさんはポケットから大きい絆創膏を取り出した。僕は一瞬息がつまった。アルベルトさんは少年の傷に絆創膏をし、そしてすぐにそれをはがした。傷は、跡形もなく治っていた。
僕は誰にも気付かれないように微笑んだ。とても幸せな気分で───

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