暁烏敏賞 昭和60年第2部門本文「第二回所沢サマースクール 高校生ボランティアの受け入れを通して」1

ページ番号1002679  更新日 2022年2月15日

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第1回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

  • 論文題名 第二回所沢サマースクール 高校生ボランティアの受け入れを通して
  • 氏名 和田 明広
  • 年齢 34歳
  • 住所 新潟県上越市
  • 職業 小学校教諭

1、八月一日まで

(1)八月一日

高校生のリーダーを先頭に夏の日射しを浴びながら大きな荷物を背にした長い列が見えた。「お客様の到着だ」急に最後の準備もそこそこにしてグランドに出る。「こんにちは」の挨拶が行き交う中、スタッフ一同緊張が走る。名栗の空は青い。又、今年もサマースクールがはじまった。今年は長いそ。十泊十一日。五泊六日のニクールだ。子ども達は、グランドにならびはじめる。所沢市内の各小学校の六年生。男女あわせて約百名。高校生たちの顔もほころぶ。自分の担当の部屋の子どもたちを整列させている。初めての対面だから、顔も名前も}致していない。子どもを整頓させるだけで、よけいな汗をかいている。

(2)きっかけ

「子どもたちを見ていて、何か足りないな」「元気がない」「元気と言えば元気だが、元気とはちがう」「こう、自分たちで何♪やろうとする、自発性のようなものかな」「自発性なんて言葉じゃなくて、生きる、生命力みたいなもの」「ふまれても、伸びる。雑草のような強さ」
今の子どもたちに欠けているものの論議になれば、いつまでしゃべっていても時間が足りない。こんな話が出はじめたのは、もう二年も前のことだ。子ども会育成会の役員会での話だった。
何かやろう。学校や家庭の中では味わえない体験をさせよう。とことん遊ばせよう。「今の子どもを見てみろ。学校と塾の往復。子どもたちが暗くなるまで遊んでいる、そんな姿なんかどこにもないじゃないか」子どもの成長に、遊びが大事。などと言っても誰も遊ばせてはいない。子ども会の活動だって、異年齢集団の中で社会性が身についていく。頭で理解していても、積極的に参加させてこない。とにかく勉強だ。家からはなそう。
「先生。そうじやないですか」子ども会担当としてかかわってきた私にとっても、ずいぶん共鳴、共感するところが大きかった。クラスの子どもたちを見ても、とにかくいい子が多くなってきた。いい子とは、如才なく振まい要領のいい子という意味でだ。十年前教員をはじめた頃は、どうも今と違うように思える。もっともっと、骨のある芯のしっかりした子どもたちがいたように思う。それは、単なるノスタルジックな感傷とも思えない。社会が変った。子どもが変った。ということでかたづけてしまって、よい問題なのだろうか。子どもが、どう変わったのか。よい方向になのか、それとも悪い方向になのか。どうも、後者の方と言わざるを得ない。ここに、具体的数値をとり上げて述べることはできないが、どうもそんな結論に落ち着く。育成会の人たちが、地域の中で子どもを見つめてきた目は確かだ。「先生。家や学校で、あれはいけない。これはだめ。と言いすぎるんじゃないですかね。」「これもだめ、あれもだめ。とにかく、子どもたちが自由にのびのびと、思いっ切り動くことができなくなってきている」「子どもに、子どもらしさをとり戻させるために、何かやらせたい。何かやろう。それが大人の義務だ」とこんな話にまとまってきたのだった。しかし、具体的に何をどうするかは、全く白紙の状態だった。
やってはいけない。という禁止事項をとり払ってしまうと、どうなるのだろうか。でも、そんな生活をさせてみたい。その中で、本当の自分、自分の意志がでてきて、自分で動くようになるのではないか。規則が決められているから、友だちがやるから、時間だから、何かをする。そんなことにとらわれず、自分の意志で動くようにさせたい。本当にそんな経験ができないものだろうか。教室で授業をしながら、子どもたちの顔を見てふと思う。塾とお稽古の合い間、時間調整をしながら遊ぶ子どもたちである。

(3)実行委員会

「先生、学校で外に出て泊るって何日ぐらいですか」「林間学校で二泊三日。修学旅行で一泊二日だね」何回目かの実行委員会での話だった。
口火を切った育成会役員を中心に、地区の中に二十名足らずの実行委員会ができた。何とか普段できない経験をさせよう。この地区の子ども会は、割合大きな行事を企画してきている。例えば、百人近くが参加した公園でのキャン。フなどである。その時の経験も大いに役立っている。何日も泊らせて、夜を体験させたいものだ。宿泊の夜の思い出は、大人にも甘酸っぱいものを残している。
さて、具体化してくると、費用・場所・期日等々、諸問題が噴出してきた。最初に質問してきた日数のこともそうである。充分満喫するためには一日や二日ではとても。ただ、何日にするかさっぱり見当がつかないのである。ボーイスカウトで、五泊六日というのがあったという。しかし、日頃訓練された子どもだから、その日数をこなせたのだろう。今回集めようとしている子どもたちは、未経験者がほとんどと言ってもいいはずだ。さて、どうしょう。そんな時、更に問題が投げかけられた。果して集まるかという根本的なものだった。近頃夏休みの子ども会行事への参加率は低い。という。進学塾、他団体(スポーツチーム等)に取られてしまうのだと言う。しかし、全部ではな、いはずだ。機会のない子に機会を作ろう。とりとめもなく、あちこちに話はとびながら進む。
「五泊六日。やってみよう」まだ全員の総意というところまでいっていなかったが、とにかくやろう。ということになった。支障は色々あるだろうが、とにかくはじめなければ何もはじまらない。実現にむけて、育成会の人たちの並々ならぬ熱意を感じた。
さて、何をやらせるか。いくら思いっ切り自由に遊ばせると言っても、実際に何をどうやっていくのか、皆目見当もつかない。特に前例があるわけではない。現場の様子(林間学校の日程など)は、私から説明することにした。ただ、主旨も違い日程も未経験の分野である。実行委員会(育成会関係者・現場・ボランティアの大学生など)の人もさてと考えてしまう。
しかし、最終的に基本的ルールが確認され、主旨を生かした活動をすることで一致した。必要最低限のルール、他人に迷惑をかけない。これ以外に拘束するものは、できるだけ排除する。
要するに、あれはいけない、これはだめということを言わない。やりたいか、やヶたくないかは、子どもの判断とする。遊びたくなければ、遊ばなくてもよい。食事をとりたくなければ、食べなくてもよい。その判断はすべて子どもにまかせろ。今、家庭や学校でやっているような、手をかけることをしない。手をかけすぎるから自分でしなくなる。精神的なサバイバル。とにかく一つの壁にぶっからせよう。という発想だ。かなり過激なし感じがしないでもない。そして、場所は名栗村の廃校跡を利用した村営山の家。対象は、この新所沢地区だけではなく、将来的なことも考えて全市の六年生男女百五十名とした。一歩一歩、サマースク…ルが歩きはじめている。そんな感じだった。ここまでに八回の実行委員会。当日までに保護者会三回。児童打ち合わせ一回がひらかれていた。

(4)高校生ボランティアを

第一回サマースクールは、なんとか終った。多くの成果と多くの課題を残して。課題の中で一番大きなものは、子どもの掌握のことだった。百五十人の子どもたち。実はこれは希望者全員ではなく抽選によってであった。私達は反響の大きさにとまどいもし、喜びもしたものだった。この子どもたちをまとめるためには、実行委員会のスタッフだけでは少なすぎるのだ。主旨を徹底させる、自由にさせるためには、それだけ子どもたちを見守る多くの人間を必要とした。受け入れの人数が多すぎたのかもしれない。しかし、子どもたちが求める以上、大人がそれを満足させるだけのことはする必要がある。
百五十人。人数にとらわれる必要はない。この子どもたちをまとめていく、リーダーが欲しい。どこから集めてくるか、もう実行委員会レベルでは解決がつかないことになってきた。子ども会のリーダーと言っても、中学生・高校生たちは進学熱の高いこの地区では、簡単に集まりにくい。ロコミでの一本釣はすでに限界だった。
高校生のボランティア活動と結びつけたいものだ。在学青少年の社会参加が叫ばれている現在、時機を得たものではないだろうか。そこで、第一回サマースクールの事務局を教育委員会社会教育課においてもらったが、更に行政に働きかけをして、来年度から高校生の参加、協力をお願いしていくことにした。サマースクールに高校生を派遣してもらうような形をとれないか、ということである。幸い教育委員会の理解を得ることができ、来年度から高校生のボランティア講座がひらかれ、その実習としての位置付けができるということになった。まず大きな問題が一つ解決した。高校生が参加してくれれば、まず子どものめんどうを見ることから解放される。安全面も徹底できる。誰しもが思ったことだった。名栗の暑い夏から、すでに半年。冬の寒気は身にしみたが、胸には夏のあつい思いがあった。しかし、このことは後に大きな問題を私たちに-残すことになった。それはその当時誰も考えることができないことだった。

(5)四月から

四月から活動開始。市内の公立高校をめぐり、社会参加の必要性を説いた。その結果、男女合わせて約五十名近くの高校生が集まってきた。高校生の講座は年間七回、レク指導にはじまり、手話剛救急法等、広くボランティア活動を中心に感じとってもらおうというものだ。
サマースクールの準備も早々に開始された。実行委員会の結成。市の広報を使い広く人材を集めることにした。前回は、どうしても自分の地域が中心になってしまっていた。そんな反省を含めてのことだった。昨年からのメンバーを中心に、新メンバーを含めて話し合いがもたれた。公民館などを利用して会議がもたれるのだが、自分の持っている時間ぎりぎりのところまで協力してくれた。会社から家に寄らずまっすぐに来る人。子どもに食事をとらせて参加してくる主婦。アルバイト帰りの大学生。とにかく、ここから大きなうねりが始まっている。そんのな思いをいつもいだかせていた。
前回抽選で行けなかった子どももいた。ということから、五泊六日をニク!ル。十泊十一日とした。対象は同じ市内男女。百名ずつ計二百名。主旨は変わらず。場所は同じ。去年は色々右往左往したが、昨年の例があるので、今回はスムースに流れていく。高校生のリーダーもいることだから、更に徹底した日課を作りあげよう。全く自由に近いような状態に。前回のよに管理的にはしたくない。去年の苦労はすっかり忘れ、又、今年の計画に実行委員たちは燃えていた。時間割のない学校。自分たちで作る時間割。
七月二十六日。午前中、児童へのオリエンテーション。午後、高校生のオリエンテーションがひらかれた。主旨、子どもの理解、役割分担、スケジュール等。生き生きとした顔。夏休みアルバイトをすれば、いくらかのお金が入るだろうに。それを投げうって参加する高校生。ただ好きだからではない。何かちがうものを感じた。今さかんに高校生のことが、とやかく言われるけど、この講座に参加している高校生たちはちがう。そんな感じを持った。順に説明をしていく。高校生たちは、その主旨に驚いていた。まさに、自分たちが経験しなかった世界がそこに展開されようとしている。驚きと、そして不安と、期待。
プログラムの組み方は、子どもたちが何をやりたいのか、希望をとりグループにまとめ行動する。そのグループをまとめていくのが高校生の役目。とにかくやりたいことがなければ、一日部屋の中に居てもよい。川へ行きたい子は川へ。山に行きたい子は山へ。ソフトボール一日中したければ朝から晩まで。リーダ!は、割当ての部屋をまとめることと、その日の遊びグループの世話。「食事の時間はどうするんですか」「時間帯だけ決めてあります。その時間の中で食べてください。セルフサービスですから、自分で食べ切れるだけとってかまわないわけです。食べたい子にはいくらでも食べさせてください」「外に出かける時、お弁当は」「自分で作ります。おなかがすいたら自由に食べさせてください」こんなやりとりが続く。自分たちも、いつもタイム・スケジュールで動くことになれている高校生。何をやってもいいとはどういうことなのか。質問も多く出る。さてどれだけ理解してくれただろうか。
子ども.の代表挨拶など開校式が終わり、子どもたちは荷物をそれぞれの部屋に入れていく。わらび山・黒山・妻坂など土地の山の名前がついている。子どもには、宿舎そのものが驚きであるようだ。昔の学校。教室に畳を入れたものだけなのだが。それから、全員の記念写真を河原に行って撮る。さあ始まった。これからが勝負だ。スタッフ一同。そして、高校生のボランティア。

3、手紙から自主プログラム

(1)前半の教訓

教訓として学ばなければならないことの多かった前半。それを後半に生かしていかなければ。高校生たちも、前半とほとんどが交代する。ただ、何人かあと一日、二日と残って去りがたい。とのことだ。離れがたいのはこちらも同じ。子どもと高校生の関係ばかりのようだが、スタッフにしても顔と名前を一致させるだけでも並大低のことではない。0からスタートと思った矢先のことでもあり、連絡役にまわってもらう。
「まず部屋の子どもの名前を全部おぼえてください凶「今日は、とにかく、受け持ちの子どもと思いっ切り遊んでください」「夕食の時間帯の中で、食事をすませてもらえばかまわないわけですから、暗くなるまで遊んでもらっていてもかまいません」後半のスタート。リーダーのオリエンテーションである。子どもたちはもう外に出て遊んでいる。一つ一つ、こちらの言葉にうなずく高校生たち。この緊張感。なによりも新鮮ですばらしい。
もう薄暗くなっている。こんな時間まで、遊んでいたことは、おそらくないだろう。汗まみれになりながら、男子のソフトボールに参加している女子高校生の姿もある。同じ六年生。高校生と言っても、人がちがえば雰囲気もちがう。なんとかなりそうな気がする。
二日目。川遊び。決まっているプログラム。とにかくいっしょに遊ぶ。高校生のサマースクールだということは言わなくても、高校生の方は、お互いに積極的である。子どもたちも、「だめ」「いけない」という禁止の言葉や、注意が少ないせいか、思いっ切りせいいっぱい遊びまわる。この光景は、前半と同じだ。水のかけ合いで、スタッフにもずいぶんと犠牲者が多く出る。テレビ番組のザンゲのシーンが、あちこちで見られる。

(2)カンフル剤

緊張から停滞へ。先が見えているだけに、これから出てくる、マンネリ、疲れ、停滞にどう対処したらよいか。その問題があった。
新鮮さは早く薄れる。リズムがつかめてくると、与えられたこと健なすだけになり、新しいものは、出てこくなる。子どもと高校生と大人、三者で作り上げる新しい価値の創造など遠い話である。大人でも同じこと。まして高校生。もう疲れはじめている子もいる。自分の思うように動かない子どもたち。部屋の中がまとまらない。けんかが起きた。プログラムの希望も、川遊び、山登り、ソフトボール、等々、同じものしか出てこない。高校生の意見もと聞くのだが、高校生からもでてこない。高校生自身にイメージがない。考えるよりも、毎日をこなすことに必死になっている。
八月九日。丁度、期間の中日。前半も行き詰まってしまったのが四日目だった。子どもにとっては、二泊三日という、学校関係で設定する期間から足を一歩踏み出す、未経験の部分。高校生たちの疲れが表面化してくる頃、ここを乗り切らなくては。当初考えた自由時間なども、こちらで考えた程有効には、使われていないそうだ。なんとなく集まって、お茶を飲んで、まだしかたないだろう。前半よりリーダーを大事に扱っているつもりなのだが。どうずればいいか。思案のしどころである。こんな時、意外に問題解決のヒントは、子どもの中に、対象自身の中にあるものだ。現場の実践の中で、何か問題があった時、子一30どもの活動の中からヒントを、ずいぶんつかんできた。
玄関から中へ入ったところに、連絡板がある。連絡板にいたずら書きをする子がいたので、別に模造紙をはって自由に何でも書かせるようにしておいた。色々なことが書かれている。人気歌手の名前、歌の題名、今の世相の反映だろう。意味のわからないものもある。リーダi宛に対しての注文や文句、-呼びかけもある。又、自分のアッピールもある。「あっ、これだ」意外に早く解決の糸口がみえた。子どもから、リーダー宛に手紙を書かせよう。今まで我々は、高校生の問題に対して大人の側からなんとかしようと考えてきたわけだ。が、高校生が今日をむけているのは、子どもたちである。つまり、子どもとむかいあっている外から、後ろから大人が「がんばれ」と声をかけているようなものだ。高校生を更に生き生きと動かしていく原動力は、子ども自身なのだ。発想の転換である。子どもからのアプローチ。このいたずら書きのように、どんなことでもいい、それぞれのリーダー宛に手紙を書かせよう。子どもにとっても、生活を共にはじめて、もっと、もっと自分を知ってもらいたくなっているはずだ。いそいでリーダーを集め指示をする。
「四日目の時に、六年生からの手紙で自分の気持ちが全く変わってしまいました。子どもが思っていたよりも、かわいく思えました。普段はとても生意気に見える子どもが、その文を見ると、とっても素直ないい子に思えました。そして、私の子どもに対する接し方も、ちがってきました。」(K高丁・T)
何も言わずに読んでいる。隣りのリーダーと目くばせをし、そっと見せあっている姿もある。急に輝く顔がある。笑い出す高校生もいる。「子どもの心を垣間みると、素直で、純真で、そして、何より君たちを信頼し、期待していることがわかるでしょう。お兄さん。お姉さん。」とつぶやく。私から高校生への手紙だ。
何か急に活気が出てきたように感ずる。「子どもからの手紙は、又後で読んでもらって」と声をかける。きりがない程だ。今日のミィーティングのテーマは、プログラムについて。子どもからのものだけではなく、リーダーから何か働きかけは出来ないか。ということだ「高校生自身、無理だと思っていることでも出して欲しい。子どもの考えを打ちやぶるには、まずリーダーから」発想を大事にしていこう。急に結論は出さずに、検討の話し合い。下見の時間を充分にとってくれるようにたのんだ。
何も出ないかもしれない。今回もこのままで終わってしまうかもしれない。そんな危惧が頭をかすめる。しかし危惧は危惧で終わってくれた。男子三人がロープが欲しいと言って来た。CMにある、ロープを使って川の中ヘドボンと落ちるのをやりたい、とのことだ。名付けて、ターザンごっこ。場所はどうなんだろうか。そんな深みがあるのか。木は、それより安全面でと、すぐに頭にうかぶ。しかし、せっかくでてきたものだ。話す高校生も胸をワクワクさせながら話しているが、聞く方だって、ようやく出て来たアイディアだ。うれしくてしかたがない。とにかくやらせてみよう。ウォーク・ラリーはどうだろうか。ここで、できるかどうかわからないが、やらせてみたいとA君。新しいものがでてきた。両方とも、できるかできないかわからないが、とにかく取り組ませていこう。高校生たちは、それぞれのグループにわかれた。検討、準備、下見をするためである。そのため、次の日のプログラムは数少ないものになってしまったが、おわびの広告入りで次の日のプログラムを連絡板に、はりだした。
「今リーダーたちは、新しい遊びを考えています。お楽しみに」

(3)ターザンごっことウォーク・ラリー

リーダーの活動が目に見えて、活発になってきた。次から次へと取り組んでいく。ウォーク・ラリーのグループは、川を使うと言う。川は川遊びをするものだ。と考えていた私たちスタッフは驚いた。なる程そう言われてみれば、そうだ。ウォーク・ラリーについては、否定的意見が多かった。なにしろ大型車が通る道である。安全面を考えれば、つい考えてしまう。確かに何ケ所かチェックしなければならないが、早目に川の中に入るようにすれば、危険を避けることができる。上流の方まで行って、川下りをする要領と同じになる。「川か。川は確かに水が通る道だよ」自分たちの迂闊さに思わず苦笑した。
「これは、・・・・・」ロープにつかまって、川の中に行く前に、大きな岩がある。上流に行ったり、下流に行ったりようやく見つけた渕である。木に苦労して登ったらしい。あちこち枝が折れている。0君も、許可がでるかでないか半々だと言う。こちしらの言い分もわかっているらしい。自分たちでやってみせる。「うーん」何とも言えない。スタッフで検討する。ということでひきとった。子どもの腕力の問題だ。事故。あの岩がなければ、問題はないと思うのだが。どうも考えてしまう。
我々の活動は、いつも事故の危険性を背中にしょっている。このサマースクールだって、今まで事故がなかったのが何よりなのだ。しかし、大胆に、子どもを自由に遊ばせ、高校生に挑戦させている以上、やらせなければならないとも思う。スタッフの中でも、意見がわかれるところだ。何も危険率をますことはない。なかなか結論がでない。とにかく、できるだけの安全策をとり実施することとした。彼らの取り組みを評価しよう。だが、まだ迷いがスタッフの中にあった。
明日の実施にむけて、リーダーたちは準備に余念がない。動作の一つ一つがキビキビとして見える。自分たちの手で作りあげる。そんな意気込みが伝わってきた。夕食のあとで、新しいプログラムでもあり説明会がひらかれた。どんなものだろうか。子どもたちの反応もさまざまである。いつの間に決めたのか、役割分担で、次々にリーダーたちが入れ替り立ち替り説明していく。おかげ様でと言うべきだろうか、ほとんどの子が、午前中、ウォーク・ラリー。午後、ターザンごっこに集中した。準備は夜おそくまでかかっている。高校生のサマースクールになってきた。彼らの取り組みの積極さは、やはり、自分たちで主体的に取り組んでいる、自分たちで作り上げているという実感だろう。
「もう寝ろよ」「これ仕上げないと明日できないから」そっと、差し入れしていく。

(4)八月十日

無情の雨なのか救いの雨なのか。朝から雨が降っている。名栗に来て十月目にして初めての雨である。地元の人は、午前中であがると言うが。子どもも、リーダーもしょげている。「どうしますか」「とにかくやる」「スタート一時間延期しよう」やらせなくては、ならない。そんな気持だった。そのうち、雨は小降りになり、やんだ。思わずピース、Vサイン。皆の顔が「ほころび、急に験しくなる。リーダーたちが、ポイントの取り付けにそれぞれの役割の場に散っていく。太陽が顔を出す。雨上りのすがすがしさよりも、どうもこれから暑くなりそうな雰囲気の中、第一組がスタートした。はやさではなくて、決められたタイムにどれだけ近づくか。地図をたよりにポイントを探し、問題をとく。いくつかのグループが、スタートから反対方向に進みスタッフを慌てさせたが、一切関知せず。安全面のみ体制を整えた。六分おきにスタート。危険のないように、という配慮だろうか。リーダーが自転車で巡回している。こちらも車でコースをまわることにする。「何グループ通過した」「これで最後です」はずんだ会話が行き交う。橋から下を見ると、川を下っていく子どもたちの姿が見える。手を振る。「お水が草し飲みたいよ」「そばにたくさんあるよ」「川の水なんか飲めない」玉どもたちも元気だ。高校生リーダーの企画力と実践力に敬意を表する。しかし、はじめてのこと、それにスタートを一時間ずらしたこともあって、どうも戻りが悪い。ターザンごっこに間に合わないかもしれない。まだ私自身まよっていた。どうもふつ切れないのだ、実施に。高校生を説得できるものもあるのだが、どうも、と言うのが本音である。
ターザンごっこのリーダーが来た。口には出さないけど、言わんとする所はわかっている。そんな時、「まだですか」「え」なんとターザンごっこだけ選んだ子どもたちがいたのである。午前中は、他の遊びをしていて、これだけにかゆていたらしい。とにかく、雨上りだし様子を見に行こう。リ!ダーたちが模範演技をする。一生懸命説明をしている。「平気かい」「平気です」「こわかったり、あぶないと思った人はやらなくていいんだよ」みんな女の子だから、これであきらめてくれると思った。が、この何日間でたくましく成長したものだ。誰もやめようと一言わな・.ワプにつかま・て・川の輿あたりで気持ちよさ脇そうにドブンと落ちる。リーダーたちは、一人一人に声をかけ、タイミングをとっている。一人やる毎に歓声が上がる。一回でやめるかと思えば、まだ続ける。気が気ではない.\時間を理由忙三回で勘弁してもらった。
ウォーク・ラリーも全員到着。ターザンごっこを希望していた者も多かったのだが、これも時間を理由にお引き取り願った。そして、胆だめし。校舎内を使った、にぎやかな二時間余り。最後のミィーティング。今日のこと、今までのこと。とくに、自分たちが企画運営したウォーク・ラリーとターザンごっこ。このことには、話題が集中していたそうだ。今日のミィーティングは高校生だけ。なかなか今日も終わりそうにない。

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