暁烏敏賞 平成元年第1部門本文「我は此の如く如来を信ず 清澤満之先生の信仰について」3

ページ番号1002654  更新日 2022年2月15日

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第5回暁烏敏賞入選論文

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

4、万物一体の信念

生物体の各部分、各器官が合して一つの有機的生命体を構成している。この構成部分たる各器官は、等しく一個の有機体の部分であることによって平等である。これと全く同様に森羅万象は、ある一つの巨大な有機体の部分であることによって平等である。かくして平等観はその根底を万物一体という考えに置いていることになる。以上が師の論理の大筋である。ところで万物が一体である以上は、すべてのものに等しい血が流れ、全てのものは同じ一つの体の部分・分肢(わかれ)であるがゆえに相互にわかりあうこともできよう。::::こういつた考えは、典型的にはシナ思想に特徴的な万物一体の仁として精錬されてくるものであるが、そこで仁とは、他の痛みを己の痛みとして感ずる能力であり、これは血の通わない麻痺した部分の症状を漢方で不仁と呼んでいることに照らしあわせると理解し易いものとなろう。ともあれ、師の平等観が、万物一体の仁の思想とその論理に接近する一面を有することは否あないが、これを認あた上でそれでは師のいう万物一体はシナ思想のそれと重なりあうものかどうかが問われなければならない。
周知のように万物一体の仁は、僧肇の「天地は我と同根、嵩物は我と一體」に始まり、程明道によって宋学のうちにとり入れられ、やがて陽明学の根幹となる。そしてシナの聖人に於いてその徳は、あたかも西郷南洲翁がそうであったように、万物を己の四肢の如くに感ずる仁愛に於いて最も十全な発現をみる。維新の激変を体験した清澤氏にあっても、この仁は南洲翁の口吻さながらに語られることがある(「仁とは天の為に盈すの心なり」「有限無限録」百八ページ「全集」七、四ページ)。それにそもそも尾張徳川藩士の商として、その庭訓には、必らずや「傳習録」やこれに類する典籍がカリキュラムとして組み込まれていたであろう。従って彼の万物一体論のうちに幼時の教養体験がよみがえってきたとしてもこのことはなんら惟しむに足りない。だがここで逸してならないことは、師の万物一体論は幾つかの点に於いて儒者のそれとは異なるということである。儒教の論理が一種、汎神論的であるのに対して、師の考えは決して汎神論と見られてはならないということなども相違することの一つであるが、最も重要なことは次の一点にある。即ち、儒教的万物一体論に於ける万物は、一切の有情の総和としての万物であると見られるのに対して、師の万物は有情の総和や、これに山川草木を加えたものにとどまらないだけではなく、この四次元宇宙の一切をもそれに包み、しかもなお時空の枠を超えるものとして考えられていることである。従ってこれは、単に目に見えない何かであるというだけではなく、我々の理知をも絶した無限なるものといわざるを得ないものである。ただこの際、特に注意しておきたいのは、このように無限にして絶対的なるものが、遠く相対有限を離れて存するものではないということである。これは、師が無限観、もしくは絶対観を展開するにあたって最も苦心した点であり、師は相対と隔絶した絶対は、それ自体が相対に対立するものとなって一つの相対物に堕してしまうことを警戒し、絶対は相対に密接するものでなければならないとして次のように述べている。

「此絶對無限の體は、遠く相封有限の事物を離れて存するものではない。
波が水に離れぬ如く、鏡の上の花の影が、鏡の面をはなれぬ如く、この体は差別の事物と融即して存するものである、決して之と隔離することはできぬ。それ故我々の精神が、この膿を見とむるのも、この差別に融即して見とむるのである。随って我々の精神に於いても、変はり動く所の精神の中に融即してこの不変不動の一念を得るのである。
決して変動する精神を全く打ち滅ぼしてこの一念を得るのではない」
(「一念」五十七ページ.百一ページ)

ここに於いて、師の考える万物一体論の万物の本体が如何なるものであるかは、自から明らかであろう。それは我々の分別を絶しながら、しかも我々に密接し、あるいは我々に融即するものでなければならない。そして師は実に、斯かる万物の本体を眞如とも言い、法身仏とも呼ぶのである(「宇宙万物の本体実相之を名づけて眞如と云ふ」etc)。これに類する記述は随所に見られ、さまざまな表現でこの無限絶対なるものの本体を言いあてようとするが、その極に於いて次のような領解が示されるに至る。

「此の眞理なり、正道なるもの、是れ何物そや。宇宙に瀰満し、古今に該通して不変なるものにあらずや。此れ即ち阿弥陀佛なり……之に法身佛、報身佛、應身佛の区別あり。今理論門に於ては法身佛を取れば、之を意訳して理性と言ふべし。
即ち万有の眞理的本性なり。故に此の眞理的本性の宇宙に遍満するを無量光と言ひ、其の古今に該通するを無量寿と言ふなり」
(「南無阿弥陀佛6阿弥陀佛釈解」全集第三巻四百二十八ページ)

ここに至れば、師の万物一体論に於ける万物とその本体が、儒教のそれと如何に異なるものであるかは、もはや明白であろう。そしてこのようなものである以上、この万物一体の確信が分別知によってとらえられないものであることはいうまでもないことであり、慮知を絶することは體かである。にもかかわらず、これを確信するとすれば、この確信とは如何なるものであろうか。ひき続き、師の言葉を聞くことにしよう。

「精神主義に於いては、萬物一體と申すは、精神の坐り様によりて、我等は萬物一體と云ふ見地に住することが出来ると言ふので、換言すれば、精神主義は、萬物一體と云ふことを、一の信念とすると云うても宜しい。
故に萬物を、科学的や哲学的に研究考究して、果して其が一體であるかなきか、客観的実在上に於いて、嵩物が果して一體であるや否やと云ふ様なことは、毫も精神主義の關興するところではありませぬ」(精神主義(その二)」
「文集」法蔵館版六十六ページ)

見られるように、ここには、「精神の坐り様」が語られ、あるいは「信念」ともいわれている。万物の一体なるを確信するということが、如何なるものとしてうけとあられていたか、今や明確であろう。師に於いては、万物一体はまさに信念だったのである。そしてこの信念が今の我々の言葉では信仰とおきかえられるものであること、これは喋々するまでもない。師の次の言葉は、今や我々の心にもすんなりと入ってくるのである。

「無量無限の一本體、之を阿弥陀と称す。故に之を擬人して阿弥陀を信ず。」
(「全集」七、百二十六ページ)

5、「我如来を信ずるが故に……」

無量なるものがある。それは命であり、光である。この無量なる寿、無量なる光を確信するとき、人は阿弥陀仏へと帰命する。それが南無阿弥陀仏である。阿弥陀仏という法へ向って、南無と機が唱える。機が法に向って呼びかけ、法が機の願いを聞き届けてくれるよう祈る。念仏というものについての通常の理解を要約すると、このようなことになろう。この時、人は阿弥陀仏・如来の実在を疑わず、ただ、その如来が自分のことを聞き届けてくれるかどうかだけに腐心する。如来は実在し、それゆえに人は如来を信ずる。だが如来の実在を確信して人が祈り、聞き届けてもらうことをひたすら願ったときに、幾度祈願しても効験がなかったとしたら、この人にとって如来は実在し続けるであろうか。かりに実在したとしても、この人は役立たずの如来など信じても意味はない。というように考えるのがおちであろう。そして通常・信仰に際してその信仰対象の実在、非実在を問題にする人にあっては、「存在する信仰対象を信仰する」というのが一般的スタイルであるといってよい。そもそも「存在もしないものをどうして信じられようか。」
清澤先生が私にとってとりわけ重大な関心の対象になった最も大きなきっかけは、「私どもが神佛を信ずるがゆゑに、私どもに対して神佛が存在するのである」(「宗教は主観的事実なり」六十ページ・百三ぺージ)と実にきっぱりとみごとに言いきられたことにあった。この言葉は、曽我先生の講話では「我如来を信ずるが故に如来在ます也」といわれているが、師のこの領解は信仰の究極のすがたを開示するものと私には思われた。そしてこの言葉の理解を少しでも深あたいと思って今ここにペンをとっている。
さて「我如来を信ずるが故に如来在ます也」と師は言われるが、この一見したところ、はなはだしくパラドクシカルな考えも師に於いてはきわあて理路整然と説明されている。これは特に師の絶筆となった「我が信念」を通読するとき、その感を深くする。少くともここに於いて述べられていることが、非常な説得力を有しているものであることは疑えない。小論では、師がその臨終の床にあって、かくも深い信念をこあて語られたその信仰の、今日いよいよ増しつつあると思われる意義の肝要な点をとりあげてみたいと思う。「我如来を信ずるが故に……」には幾つかの解釈が可能である。たとえば、「理解せんがたあに我信ず」を標榜したアンセルムスの「知解を求める信仰」の立場と関連づけてみたり、ドイツ神秘主義の著作家の主張と比較検討してみることもできる。だがここでは比較的わかり易い解釈を提示することにしよう。
師に於いて如来を信ずるということは、その劣機の自覚と相即している。我は無力なりという痛切な自覚が如来の信へと結びついている。「我如来を信ず」は、「我、己が無力を知る」におきかえることができると言ってよい。だがそれでは、「我、己が無力を知るが故に如来在ますなり」と言いかえられるであろうか。このことをまず考えてみたい。
「我、己が無力を知る」ということは納得できる。そして無力なるゆえにどうしても何かにすがらざるを得ない、何かすがりつけるものがあって欲しいという願望も生れるだろう。だが、ここでは「我、己が無力を知るが故に如来在まさんことを」とはなっても、「如来在すなり」という断定はできない。単に無力をかこつけただけでは、如来の存在へのつながりは見つけられないのである。それでは、無力の如何なる自覚が如来の存在へとつながってゆくのであろうか。

「無力なる私」という自覚は、「……ことができない」、「……するすべを知らない」ということを知ることによって生じる。これは一般的には「私は……を知らない」ということを知っている、あるいは「……を知り得ない」ということを知るとおきかえることができる。要するに無知の知である。ところで「知らないということを知っている」ということは、「知らないということすら気がついていない」状態よりは一段勝った段階にある。そこでこのような無知(前者)は、単なる無知(後者)よりも高度な無知として、知ある無知と呼ばれている。(「知らざるを知らずとせよ、是れ知れるなり」とは、実に人智の絶頂である。−「我が信念」百一ページ・二百三十→ページ以下)

さてこの知ある無知の特性は、知の限界を知るということであるが、簡単に言えば、分別知が有限であるということを思い知ることである。そして分別知の限界を思い知るとき、人は分別知以外の知性の在り方を探ねはじめるとともに、分別知によってはとらえられない世界があることも知る。この分別知にはとらえ難い世界、あるいは分別知の彼方にある世界に目が向くとき、人は分別知を超える何かの存在を予感するわけである。
この分別知を超える何かは、分別知によっては捕捉されず、従って規定も限定もされないものとして無限なるものといってよい。期しくして、知ある無知をわきまえるに至った人には、何か無限なるものの存在が予感されているわけである。
やや晦渋な記述になったが、要するに、己が無力を知ることは、分別知を超える何かがあることを予感することでもある。ここで知を超える何か=無限なるもの=如来と笠置すれば、「我、己が無力を知るが故に如来在ます也」といえるであろう。
「我如来を信ずるが故に……」のこれが一つの解釈である。

次いでもう一つの解釈も示しておこう。これもまた、「無力なる私」をもとにしている。
さて「私が如来を信ずる」とき、私は如来が無限なるもの、絶対なるものとしてこれを信じているわけである。ところが、無力、蒙昧なる私は無知ゆえに絶対なるもの、無限なるものを理解することはできない筈である。そもそも低劣なる自分にはどのようにしたら、無限なるものとか、絶対的なるものといった、自己の知性をはるかに超越するものについての観念をもちうるのであろうか。これが当然生じる疑問である。にもかかわらず、私は「如来を信じてみる」。とすれば、何かが私をしてこの絶対無限なるものへと向かわせているのではなかろうか。もっとはっきりというならば、私の知性を超える絶対的なるものへ私の目が向けられるということは、その超越的なるもの自身が私に向って作用を及ぼしてきているとしか考えられないのである。従って私が信ずる、私に信仰があるということ自体が如来の働きであり、如来から賜わったものでなければならない。…:・このように考えてくれば、私に如来に対する信仰があるということ自体が、如来の働きであることになり、「我に信あり、故に我に信を賜ひし如来が在ます也」となるであろう。
以上、論述を急いだために、やや理詰にすぎた嫌いがあるが、信仰そのものが如来から賜わったものであるという考えは、他力浄土門の根幹をなすものであることは否定できない。親鸞上人のおことばとして伝えられているものがある。

「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をばとぐるなりと信じて念佛まうさんとおもひたつこゝろのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」

この「歎異抄」冒頭のおことばは、汲あども尽きぬ深い味わいを覚えさせる言葉であるが、これが我々の心に喚起する不可思議の思いは、「念佛申さんと思ひたったときには、既に救はれてるる」と言い切ったことから生じてくるといってよい。これは、念仏申せんと思い立つ心が、実は弥陀の本願の稔りであり、ひいては法蔵菩薩の誓願が私の心のうちに結んだ果実だからである。普通の考えならば、念仏申さんと思い立ってから祈願の行が始まり、やがてその結果として救済の手があるいはさしのべられるかもしれない。だが上人の教えはそうではない。我々の救いは、我々が救いがたいものであることを自覚したときに、既に実現するのである。このまことに不可思議なる事態は、我々が行なう念仏が、実は弥陀の願いの結果であり、その因位の行の成果であること、つまり念仏を申さんと思い立つ心そのものが、弥陀の慈悲の手が私にまで伸びてきたことの結果であり、そのあかしだからである。ここに他力信仰の究あ難い消息の一端がうかがわれる。
「我如来を信ずるが故に如来在ます也」の解釈は、私を導いて上人の解し難い領解についての憶測を述べるところにまで到らしめた。この理解についてはさぞかし異論もあろう。しかし清澤師の信仰とその思索は、我々をしてかくも長く執拗に考えさせるだけの魅力を有しているとともに、自己の信解を披瀝する勇気をも与えて下さるのである。師の言行には、まだまだ学ぶべきことが我々によって切り拓かれ、発掘されるべく潜んでいる。

(注)本文は、入選者の了解を得て、現代仮名遣いに訂正いたしました。
なお文中の引用文については原文のまま旧仮名遣いにしてあります。

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