暁烏敏賞 平成6年第1部門梗概「「団七踊り」の生命力「奥州白石噺」の系譜とその思想にふれて」

ページ番号1002622  更新日 2022年2月15日

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第10回暁烏敏賞入選論文梗概

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

  • 論文題名 「『団七踊り』の生命力 『奥州白石噺』の系譜とその思想にふれて」
  • 氏名 茶谷 十六
  • 年齢 53歳
  • 住所 秋田県仙北郡在住
  • 職業 民俗芸術研究員

論文概要

柏野地区に伝承される「娘仇討ち白石口説」と「団七踊り」は、百姓与太郎の娘宮城野・信夫姉妹が、父を無礼討ちにした仇き志賀団七を討ちとる物語、いわゆる「奥州白石噺」を題材とした芸能である。百姓の娘たちが武士に対して仇討ちをする、そんなことが果たして本当にあったのだろうか。

もしあったとしたら、遠い東北の地で起こった事件が、なぜ北陸の盆踊りの中で、歌い踊られるのであろうか。幾世代を重ねて歌い踊りつがれてきた「娘仇討ち白石口説」と「団七踊り」には、祖先たちのどんな思いがこめられているのであろうか。「奥州白石噺」の成立と展開の過程をたどり、全国各地に分布する「団七踊り」とその関連芸能のありさまを通覧することを通して、「団七踊り」のもっている生命力を探ってみたい。

享保8年(1723年)に起こったとされるこの仇討ち事件を実証する史料は見当たらず、もっとも古い史料とされる本島知辰『月堂見聞集』には、当時の巷説として記録されている。士農工商のきびしい身分制度のもとにあった当時の民衆にとって、百姓の娘たちが武士の不当な仕打ちに対して公然とたたかいをいどみ、艱難辛苦の末ついに仇を討ちとるというこの話は、胸のすくような痛快な話題であったにちがいない。

実録体小説「奥州仙台敵討」が成立し、やがて浄瑠璃・歌舞伎の『碁太平記白石噺』が生まれて大衆の喝采をうける。さらにこれが全国各地の盆踊り・口説き・神楽・にわか・狂言・組踊の中に取り入れられ、今日に伝承されている。

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