暁烏敏賞 平成6年第1部門本文「「団七踊り」の生命力「奥州白石噺」の系譜とその思想にふれて」1

ページ番号1002623  更新日 2022年2月15日

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写真:暁烏敏像

第10回暁烏敏賞入選論文

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

  • 論文題名 「団七踊り」の生命力「奥州白石噺」の系譜とその思想にふれて
  • 氏名 茶谷 十六
  • 年齢 53歳
  • 住所 秋田県仙北郡
  • 職業 研究員

1、「娘仇討ち白石口説」と「団七踊り」

"姉の宮城野薙刀(みやぎのなぎなた)持ちて
妹お信(のぶ)は陣鎌持ちて
右と左に身構え致す
中に立つのは志賀団七(しがだんしち)よ
二尺八寸の刀を持ちて
そこで宮城野言葉をかけて
とても叶わぬ志賀団七よ
親の仇きぞ覚悟をしろと
言えば団七にっこと笑い
仇き呼ばわり小癪(こしゃく)な奴よ
返り討ちだぞ覚悟をしろと
言って団七刀を抜けば
・・・・・・・・・・

私の生れ故郷である石川県松任市柏野地区(旧石川郡柏野村)に伝えられる「団七踊り」の音頭「娘仇ち白石口説やんれ節」の一節である。
樹齢数百年の欅(けやき)の大木がたちならぶ神社の境内にやぐらが組まれ、それをめぐって、幾重もの踊りの輪が出来る。津軽三味線に似た細かい撥さばきの三味線と、抑揚の少ない尺八、単調な太鼓が楽器のすべてだ。軽快さと悠長さをあわせもったような不思議な囃子にあわせて、甲高い音頭とりの歌がうたわれる。
土地では、「柏野じょんがら」と呼んでいる。

"そろたそろたよ踊り子がそろたそろた
踊り子が手をたたく"
"踊りゃしまらにゃ 若い衆のしょまじゃ
たてておどらにゃ 娘のしょまじゃ

これにあわせて四種類の踊りが同時に踊られる。「手踊り」「扇踊り」「笠松踊り」「団七踊り」がそれだ。
「手踊り」は、いわゆる一般的な盆踊りである。浴衣に手ぬぐいのほほかむりをしたおもいおもいの服装で自由に踊る。ただ、未婚の娘たちだけが、赤い襦袢に黒繻子の帯を結び編み笠をかむったそろいの装束で列に加わり、踊り場に花をそえる。
「扇踊り」は、若い衆の踊りである。浴衣の前に若の字を築けんたいめぬいた真紅の懸帯をつけ、二本の扇子をもって踊る闊達な踊りである。
「笠松踊り」と「団七踊り」は、この踊りの輪の中にまじって踊られる仕組み踊りである。段物とも呼ばれている。
「笠松踊り」は、二人で踊られる。奥州笠松峠にすんでいたという女賊鬼神のお松と、これに殺された父の仇きを討とうとする夏目仙太郎という武士のたちまわりが演ぜられる。
「団七踊り」は、三人で踊られる。中央に旅網笠に紋付・袴・わらじばきの武士志賀団七が、二刀をふりかざし、右と左から手甲・脚絆に身を固めた巡礼姿の姉妹宮城野と信夫の二人が、それぞれ薙刀と鎖鎌をかざしてたちむかう。三人のたちまわりがいくつかの振りによって構成され、それが延々と続けられる。
緩急渾然(かんきゅこんぜん)とした囃子と、甲高い音頭・歌と、そして四種類の踊りが、奇妙にまざりあって、不思議な興奮状態をかもしだす。
人々は、踊りの輪の内と外にむしろをしいてすわり、次々と流れていく踊りに見とれながら、音頭の歌に恍惚として聞きほれるのである。

「団七踊り」の音頭として歌われる「娘仇討ち白石口説やんれ節」は、えんえん一四〇節、全部をうたいあげるには数時間を要する。

"国は奥州白石郡(おうしゅうしらいしごうり)
坂田村(さかたむら)にて百姓の与太郎(よたろう)
心正しき律儀(りちぎ)な者よ
与太郎女房をお小夜(さよ)と言うて
二人みめよき娘がござる
姉はお宮よ妹はお信
二人もろとも愛嬌者(あいきょうもの)で
器量(きりょう)よいこと人並みすぐれ
殊(こと)に両親孝行(ふたおや)なさる
家内睦まじ繁盛(はんじよ)な暮らし
・・・・・・・・・・

奥州白石郡坂田村の百姓与太郎と女房のお小夜、それにお宮・お信の姉妹の四人は、貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。
六月なかばのある日、与太郎と二人の娘たちは、うちそろって田の草取りをしていた。ところが、妹娘のお信が畦の小道へ投げ捨てた田の草が、折悪しくそこを通りかかった志賀団七という武士の足にあたってしまった。団七は、近郷近在の百姓たちから毛虫のように嫌われている悪役人である。かねて姉娘のお宮に恋慕して父与太郎から断わられ、遺恨に思っていた。与太郎は仰天して、笠をぬぎすてると畔道に手をついて、

"さても貴方と少しも知らず
無礼致した二人の娘
どうぞ堪忍お許しなされ
・・・・・・・・・・・・・

と死物狂いで許しを請うた。ところが団七は、

"おのれこあまに言い付けおいて
わざと致した仕業であろう
憎つくい奴らよ許しはせぬ
・・・・・・・・・・・・・

と、腰の大刀を抜くよりはやく、いきなり与太郎を一刀のもとに切り殺してしまう。

"ととさん、のうととさん

と取り残された母子三人は、与太郎の死骸にとりすがってただただ泣きくずれるばかりであった。かけつけた村人たちも、あまりのことにともども嘆き悲しむばかりでなすすべを知らない。と、庄屋太郎兵衛は、やがて心をとりなおし、

"これさお小夜や二人の娘
さぞや悲しく悔しくあろう
いまにわれらに仇きを取らせ
恨み晴らしてくれようほどに
心直し時節を待て

と、かたい決意の上、母子をなぐさめるとともに、村人たちと相談した上、団七の仕業をくわしく書きしたためて、領主の所へ訴え出た。百姓たちからの訴えを聞いた領主は、大いに怒り、

"たとえ慮外を致したとても
国の宝の民百姓をば
むざと手に掛け不届き者よ
殊によこしま非道を致し
われが役目を権威にかけて
諸事をはからう大胆者よ

とて、すぐに使者を遣わして団七に切腹を仰せつけた。この使いを受けると、団七はあわてて逃げ出し行方をくらましてしまう。泣く泣く葬式をすませ、四十九日の追善供養を営みおえると、巡礼姿に身をかためた母娘三人は、親類や村人たちのはげましに送られながら、仇討ちの旅にのぼる。路銀を使いはたした旅先の宿で母に死なれた後、さらに数々の苦労をなめた末、姉妹は、とうとう父の仇き志賀団七を討ちとる。

"さすが団七真陰流の
その名聞こえし達人なれば
すでに宮城野危うく見える
そこで信夫は陣鎌持ちて
鎖投げれば団七殿の
腕にからむを後へ引けば
姉は突きこみききてを落とす
そこで団七数所へ手疵
とてもかなわぬ運命つきる
姉と妹は止めを刺して
積もる思いの恨みも晴れて
本望遂げます二人の娘
世にも稀なる仇討ちでござる

これが、「娘仇討ち白石口説やんれ節」でうたわれる宮城野・信夫の仇討ち物語の概略である。(1)
木版刷りの古びた音頭本に書きつづられた姉妹の仇討ち物語。百姓の娘姉妹が、武士に対して仇討ちをする、考えてみれば、不思議な話である。これはいったい何なのだろう。はたしてこんなことが本当にあったのだろうか。もしあったのだとしたら、遠い東北の地で起こった事件が、なぜ北陸の盆踊りの中で、歌い踊られるのであろうか。
幾世代をかさねて歌い踊りつがれてきた「娘仇討ち白石口説」と「団七踊り」には、祖先たちのどんな想いがこめられているのであろうか。
「奥州白石噺」の成立と展開の過程を辿りつつ、「団七踊り」の持っている生命力を探ってみたいと思う。

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