暁烏敏賞 昭和62年第2部門本文「中学校の生徒指導におけるある試み」1

ページ番号1002666  更新日 2022年2月15日

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第3回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

  • 論文題名 中学校の生徒指導におけるある試み
  • 氏名 森田俊和
  • 年齢 38歳
  • 住所 東京都大田区
  • 職業 中学校教諭

1、はじめに

昭和61年11月上旬、教頭から「転入生が来る」と聞かされた時、第3学年の主任である私は、「今頃、なぜ?」と思わず声をあげた。
東京の公立高校の受験は、3年2学期の成績が"内申"という形で50%の比率で影響力を持っている。余程特別な事情のない限り、2学期の中間試験も終わり、実技教科の作品もほぼ提出し終わった11月に転校する3年生はいない。しかも、その転入生の元の学校は電車を利用すれば30分程の所に位置しており転入生には"通学可能範囲である"と判断できた。
私は教頭に「卒業まであと僅か5ケ月、本校に入学したところで良い結果を生むとは限りません。当人に『そちらの学校で努力した方が自分のためになる。』と勧めた方が良いと思います。」と卒直に申し上げた。それに対して教頭は「学校でいじめられ、近所の人から本校の再建運動の話を聞いて、転入することを決意したらしい。」と答えられた。
私は、早速学年会を開き、「特別な事情のある生徒のようなので、私のクラスに転入させる。」と了解を得た。転入生は、母親と共に転入手続きのため来校し、私と懇談した。
私「なぜ今頃転校するのですか。」
母親「転居したからです。」
私「高校入試に大変不利となりますよ。30分位で通学できるのですから、普通なら絶対に転校しませんよ。」
母親「………………・」(うつむく)
私「本当のことを言ってくれませんか。」
母親(涙を流しながら)「先生のおっしゃるように、昨日までその学校に通わせていました。しかし、毎日毎日いじめられて帰ってくるんです。昨日はからだ中あざだらけとなって帰ってきました。私はもうかわいそうで、とうとうがまんできずに転校を決意しました。」
私「先生には相談しなかったの?」
転入生(涙ぐみながら)「先生に相談したら『もっといじめられるから黙ってがまんしろ』って………。」
私は、転入生の言葉で全てを了解した。なぜなら、私の前任校でも、再建運動が始まった58年度以前の本校でもそうであったが、喫煙・校舎破壊・授業撹乱・校内暴力等問題行動が公然化・多発化しているような状態の時生徒からそのような訴えがあっても、教師は無力以外の何者でもないのである。
私は、傷ついている転入生と不安感で一杯の母親を安心させるため、ここに添付した再建運動生徒論文集第二集やその他本学年が作成した冊子数冊を手渡し、再建運動の話をした。
転入生を受け入れたその日、私は、再建運動の先頭に立っているB子に事情を説明し「学校に慣れるまでの間、転入生の面倒を全面的に見る」ように指示を出した。それから数日後、転入生は作文を書く機会を得、次のような作文を書いた。
この作文は、私が推進している、中学校の生徒指導におけるある試み"再建運動の内容を的確に表現していた。転入生A子の作文を次ページにて紹介する。

※B子 資料中の学年便り3・4号参照

東海中に転校して

東海中学校3年1組A子

私は、前の学校で、いやな思いをしてきました。暴力・いやがらせ・しかと・命令等に耐えられなくなった私は、何度も学校を休もうと考えました。しかし、一度休めば、もっと行きずらくなり、勉強も遅れる。それよりも何よりも、自分自身に負けるのが悔しくて、我慢して毎日学校に通いました。
十月の末頃、父の仕事の関係で転居した時、「自殺しろ・転校しないのか」等とからかわれていた私は迷いました。「今の状態で転校すれば、逃げたと思われる。」「毎日ビクビクしながら、明日はどうやっていじめられ、どんなことをされるだろうと思いながら、学校に通うのはもう疲れた。もういやだ。」「今のままでは自分を伸ばせない。」「成績も落ちていく一方で、だんだん自分がダメになっていく。」「我慢するのはもういやだ。」という気持ちの方が強くなるばかりです。
「毎日ビクビクしながら[今]を過ごすなんて一」「もっと別に[有意義な今]を過ごしたい。」「いじめられながら[受験生の今]を送るよりも、一人の人間として、より有意義な学校生活を送りたい。」「転校すれば受験で困るかも知れない。他にも不利になることも多いかも知れない。しかし、それでももっと学校生活を充実させたい。[今]を大切にしたい。」
私は、転校することを決意しました。しかし私は、・転校を決意した理由・をもう一つ述べておかなければなりません。
それは、隣に住んでいた高校1年生の人の話の内容が、印象的だったことです。「4・5年前までは、東海中も荒れていたけれど[再建運動]を始めたことによって、学校が見違える程良くなり、いい生徒ばかりだ。」ということを聞いたからです。
それでも、いざ転校となる不安です。話で聞いた通りの学校なのか心配しました。しかし、教室に入り、自己紹介をした瞬間「何となくクラスの雰囲気が温かい。」と感じました。すると、「人の男子が気軽に「お、これからよろしくな。」と声をかけてくれたのです。
私は、「素直に転入生として迎え入れてもらえた。」と感じ、こんな雰囲気のクラスがいいなあと思いました。
それからというもの、勉強についていくことは大変ですが、毎日充実した学校生活が送れ、こんなに楽しくて、みんなと仲良くできることがとても信じられないし、夢のようで恐いくらいです。
いじめられたことに悩んで、転校してきた私にとって、こんないい学校が4・5年前に荒れていたなんてとても信じられません。
友達から「再建運動を行ってきたから、今日の東海中がある。」と聞きました。再建運動ができるということは、一人一人の生徒が自覚・責任感・意見をしっかり持っていたからこそだろうと思います。
転入して来て1ケ月にも満たない私が、このような作文を書いたのは、決して前の学校の悪いところを言いたかったのではありません。苦しんだ私が東海中に転入し、「再建運動」を知り、嬉しくて仕方なかったからです。
そして、もし、私と同じように悩み、苦しんでいる人がいれば、この作文を読んでもらいたいと考えたのです。
私は、一日も早く東海中の一員として、再建運動に参加したいと願っています。

(昭和61年11月10日、K市より転入)

2、再建運動の起こり

生徒が授業を抜け出し、喫煙していても、校舎破壊をしていても、前述のごとくいじめに悩んでいる生徒がいても、教師がそれらの解決を図れなかったのはなぜだろうか。
私は、その原因を次のように把握していた。

  1. 教師間における生徒指導観の違いが表面化し、生徒・父母から「教師に対する信頼」が失われていた。
  2. 新聞・テレビ等マスコミも「教師不信」をあおる傾向があり、生徒・父母からの教師に対する信頼回復は、一層の因難がつきまとっていた。

以上のような「教師不信」が主たる原因であれば、教師がどのような指導を試みても、その解決が困難をきたすのは当然なのである。
昭和58年度、私は第3学年主任となった。この時私は、「中学校における最高学年のあり様が学校全体に影響を及ぼす」と考え、何としてでも、喫煙・校舎破壊・校内暴力等問題行動を本学年から追放することを決意した。
この私の決意の下、58年度第3学年教師・生徒集団は、次の「学校再建運動に立ち上がった生徒集団」で紹介するように「再建運動」の幕を開けた。

資料:学校再建運動に立ち上がった生徒集団1

資料:学校再建運動に立ち上がった生徒集団2


資料:学校再建運動に立ち上がった生徒集団3

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