暁烏敏賞 昭和63年第1部門梗概「念仏もうさんとおもいたつこころ」

ページ番号1002655  更新日 2022年2月15日

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写真:暁烏敏像

第4回暁烏敏賞入選論文梗概

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

  • 論文題名 「念仏もうさんとおもいたつこころ」
  • 氏名 長澤 靖浩
  • 年齢 27歳
  • 住所 大阪府寝屋川市在住
  • 職業 高校教諭

論文概要

「歎異抄」冒頭には「念仏もうさんとおもいたつこころ」の起こる時、摂取不捨の利益にあずけしめたもうとあるが、その「念仏もうさんとおもいたつこころ」とは、どのような「こころ」を指すのであろうか。様々な解明の仕方が考えられるが、本稿では、親鸞に於ける三心の問題を下地に、その内実に迫ろうとした。以下に要約する。

  1. 至誠心は、如来の真実心であり、自己の在りざまをありのままに見つめる誠の心である。親鸞はそのような真実心が、およそ自我の中に根拠を持たないことを見てとって「如来の真実心を須いよ」と訓点を読み換えた。また、この章で私は、如来の心は、いっさいの生命と存在の底に横たわる大いなる覚醒であることにも言及した。
  2. 深心は、現に業を負って流転する我々の如来の真実心へと目覚める具体的な道筋を明らかにしたものである。それは、二種深心の発動するぎりぎりの地点は、業の中にある者と、業を超えたものとの出遇う不可思議なる一点である。
  3. 自我は果てし無く自我に執着するものである故、得生の想いはその根拠を自我の中にもたない。また、如来の真実心はそのままでは寂静なる覚醒であって、得生の想いとして具体化しない。廻向発願心は、如来の真実心が業の中にある我々に廻向して得生の想いとなったものである。
  4. 二河譬を親鸞は信心の譬喩とした。また親鸞は三一間答において涅槃の真因を信心とした。実にこの信心こそ「念仏もうさんとおもいたつこころ」であるが、その生々しい表現が二河譬である。ここには、自らの内にいかなる救済の根拠も持たないと知るに至った我が、ひたすら二尊に信順するそのこころの内景が描かれてある。

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