暁烏敏賞 平成5年第2部門本文「わんぱくオリンピック 手を通して心を学ぶ」2

ページ番号1002636  更新日 2022年2月15日

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写真:暁烏敏像

第9回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

7、リボンピック

リボンピックというのは、二分間で幾つリボンを結べるかを競うもので、結び方はちょうちょ結び、結ぶ場所はひつくり返したテーブルの脚です。
ひつくり返したテーブルの脚は、練習の時、その易しのぎに用咬本番ではきちんと考えるつもりでしたが、邪魔にならない程度に間隔がひらいている上、頑丈だし、動かないしと、とても重宝しています。
このリボンピックが種目の中では最も難しく、練習もずいぶん長くかかりました。オリンピックのためにさいた時間は一ケ月でしたが、このリボンピックの練習には二週間を費やしています。それでも付ききりで指示を与えなければ、結ぶことができない一年生が、二名出ました。
こうした子は、競技成績がゼロになってしまいます。ゼロというのは競技から完全に脱落してしまったことを意味します。
このオリンピックは良い意味での競争の成果を期待して始めたのですから、競争から脱落させてしまっては、何にもなりません。仲間外れにし、いたずらにやる気をなくさせてしまうばかりです。
そこでグループ間の団体戦を設けることにしましたが、第一回戦は失敗でした。
子供たちは競争になると非常にムキになります。できる子はできない子の手つきにイライラし、この子がいなければ勝てるのにと考えたようです。「下手クソ。」「何やつてんだ。」「早くしろ。」こんな罵り声が飛び交う、殺伐とした競技になってしまいました。
もちろん罵声禁止という手もあったのですが、逆にアドバイス許可という形にしたらどうだろうかと思いました。.それでも罵声が飛び交うようなら、オリンピックは一時中止して、お説教会にするところでした。ところが私もビックリするほど図に当りました。
アドバイスをもらっても結べない子というのは、この時点では一人もいませんでしたし、みんなもそれは分かっていました。
そして第二回戦は、その子のために、一、二人の上手な子がぴったり寄り添って、「まず右手に持っているリボンで、輪を作って。
次は左の手のリボンを、輪にくぐらせるんだけど、その時にね……」と、アドバイスを始めました。競技をしている子、アドバイスしている子、どちらも真剣で、とても罵声を飛ばすム…ドではありません。たとえ罵声を飛ばしても、アドバイス役の上級生に「うるさい。」と一喝されるのがオチでしょう。
そのうちに、さっき出来る子の尻馬にのって罵声を飛ばしていた子たちが黙っていることにも辛抱できなくなり、嬉しいこへとに声援を送りはじめました。そのうちには、審判指導員の目をかすめてこっそりと、次に結ぶリボンを、その子の膝の上に用意してあげる子も現れました。
九二年度の一年生のレベルは高すぎたようです。全体的に九二年度より九三年度はレベルが上がりました。特に上級生は前年と比べ飛躍的に伸びました。みんな、出来るようになると面白くなって、結べるものなら何にでも手を出し、結んでみるので、どんどんうまくなるのです。

1年生 記録
順位 92年度 93年度
金メダル 8本 3本
銀メダル 6本 2本(2名)
銅メダル 2本 2本(2名)
2、3年生 記録
順位 92年度 93年度
金メダル 7本 9本
銀メダル 6本 8本(2名)
銅メダル 4本 8本(2名)
上級生 記録
順位 92年度 93年度
金メダル 8本 15本
銀メダル 6本 11本
銅メダル 5本 10本

8、かけっこ

九三年度に新しく加えた種目が、かけっこです。これも腕相撲と同じく、景気付けの意味で加えました。また子供に、「オリンピックなのに、何故かけっこがないの。」と不思議そうに尋ねられたからでもあります。
ただ、子供の中には、かけっこが何よりもキライだという子がいますから、なるべく大勢で走らせ、団子になってゴールさせ、順位が歴然と分からないようにしました。この種目だけは、競争という形式をぼかしました。

9、ホッチキスパチン

九二年度にやり、九三年度にやらなかったのは、ホッチキスパチンです。これは小さく切った紙を三、四枚重ねて、端を綴じ、小さな本を作る競技です。一分間に何冊作ることができるかを競うと共に、ページは揃っているか、ホッチキスの針はつぶれていないか等の、美しさも審査します。
そして、この練習を見ていて、子供たちが指先を使えないのは、指先に力がないからだ。また、普段から指先を使っていないために指の先の方を使うという意味が、感覚的にも理解できなくなっている、ということを痛感しました。
ホッチキスを使えないというのも、人差指と親指に力を入れるというだけのことが、できないからです。指先がぐんにやりつぶれたり、手首に力が入って指が動かなくなったり、カンシャクをおこし、こぶしでバンバン、ホッチキスを叩いた子もいました。
では指先の力をつけるにはどうしたらいいのだろう。これが指導員の課題です。何か良いアイディアがないだろうかと考えあぐねていた時に、大阪の某小学校でカサの指のせコンテストをやっているというニュースを見ました。一人一人の子に対し、勉強以外にも評価するものを見出そうという狙いで始めた、この他にもたくさんあるコンテストの一つだったようですが、私はこれこそ指先のトレーニングにぴったりだと思いました。
ただ、それぞれのカサを使うとすると、大小あり、軽重ありで、公平にならないために、学童保育所で使っているほうきを使うことにしました。そして思いがけないことに、これがオリンピックで一番人気のある種目になったのです。

10、ほうき指のせ

ほうき指のせは、人差指ないし中指にほうきの柄をのせてバランスをとり、落とさずに何秒ほうきを立てていられるかを競います。
これに関しては、特別に練習時間を組む必要は全くなく、子供たちは学校から帰ると、ほうきの奪り合いまでして、やりたがりました。
記録も計るごとに目を見張る伸びがあり、『只今の最高新記録一位・二位・三位』という表を、後には優劣つけ難く、十位程度まで増やしたものを、張り出すことにもなり、またこの記録と保持者とは、目まぐるしく変わりました。またオリンピックは初めてで、気後れしていた一年生の反応も実に生き生きしていましたし、名人と呼ばれる上位六人に対する態度は、こちらが見ていておかしなほど、うやうやしいものでした。
ちなみに、名人とは、ほうき指のせ十分以上の記録保持者のことです。
見れば分かる通り、一が最初の壁になっています。一分の壁を越えると、五分までは比較的楽に上達します。五分が二番目の壁です。三番目の壁が十分。十分できた子が二十分出来るようになるのは、比較的楽です。四番目の壁は一時間でしょうか。
まだ一時間という記録を作った子供はいないので、何ということもできません。

ほうき指のせ全記録
氏名 学年 92年度記録 93年度記録 記録の伸び(+)
たくや 6 1分 39分35秒 38分35秒
けんじ 2 1分20秒 33分35秒 32分18秒
ゆり 2 4分23秒 32分28秒 28分5秒
あや子 5 7秒 12分55秒 12分48秒
ともえ 6 7秒 11分20秒 11分13秒
みむ 5 2秒 10分 9分58秒
ゆうや 3 3秒 4分30秒 4分27秒
みな 4 5秒 4分10秒 4分5秒
よし子 6 11秒 2分45秒 2分34秒
ゆき子 2 1秒 2分37秒 1分37秒
えいじ 5 20秒 2分33秒 2分13秒
やすたか 4 6秒 2分15秒 2分9秒
まゆみ 3 3秒 1分24秒 1分21秒
やす子 3 3秒 36秒 33秒
さとし 2 2秒 32秒 30秒
さき 5 3秒 30秒 27秒
けいし 1 16秒
じょうじ 1 11秒
ゆきえ 1 9秒
えりな 1 8秒
ゆうほ 1 7秒
たかぶみ 3 2秒 7秒 5秒
なおき 3 2秒 5秒 3秒
せいいち 3 0秒 5秒 5秒
ゆり 1 5秒
たけお 1 4秒
ひろ子 3 3秒 3秒 0秒
しょう子 1 2秒

11、自分の体験を言葉にし、語り合う

指先の力をつけるため、指先の使い方を覚えるために、ほうき指のせを始めたことは、すでに述べました。けれども子供たちは、私の気が付かないうちに、より大きなもの、より深いものを学んでいたのです。
子供たちの中でも、ずば抜けた記録の持ち主を、名人と呼んでいますが、この名人六人に、低学年、特に練習しても記録がいっこうに伸びない子供たちを、教えてもらうことにしました。
これは九二年度にもしたことなのですが、その時には、「やりやすいほうきを選ぶ。」「時間がたつと、手が汗でぬるぬるしてくるから、気を付けたほうがいい。」という、実際的なアドバイスが続出しました。けれども九三年度は違いました。
「見せるだけではなくて、コツを教えて欲しいんだけど。」と私は子供達に頼みました。
「コツ?」と六人は怪詩な顔。
「そう。よく考えてみてごらん。あの大きな一分と十分の壁を越える時、みんな、知らず知らずのうちに、何かを身につけたはずなんだ。それをね、もう一度思い出して欲しいんだ。」
六人は心もとない顔で、首をひねっていましたが、つい最近苦労して十分の壁を越えたばかりのみむちゃんが、「コツって言えるか、分からんけど。」と切り出します。
「うん、何でもいいよ。言ってごらん。」
「コツは、やっぱり、集中だよね。」
私は思いがけないところで、思いがけない言葉を聞いたので、ビックリしていました。けれど子供たちは、これを聞くと、「そうそう」といった調子で、口を開き始めます。
あや子ちゃん「ふっと違うことを考えていると、もうほうきは落ちているんだよね。」
たくやくん「ほうきのどこか一点を見るんだ。」
ともえちゃん「うん。そこさえ、にらんどけば、もうしゃべつたって足をドタドタしたって、平気なんだけどね。」
たくやズん「結局"目"だな。」
みむちゃん「指じゃないんだよね。」
あや子ちゃん「"目"って言うか、"見る"ってことだよね。」
ともえちゃん「集中!」
ここで、たくやくんが、「気だ!」と叫んだので、みんなはテレビのドラゴンボールを思い出し、大笑いとなりました。けれども私は笑うどころではありませんでした。
私は文字通り、小手先の技にばかりかまけていましたが子供たちは小手先の技を追いかけながら、それを越え、小手先には収まり切れないもの、子供たちの言う「集中」を身につけていました。
この「集中」は、子供たちにとっては、全く新しい、未知の体験だったようです。私はこれが精神的な冒険だったと思っています。
何を大げさなと言われるかもしれません。けれども子供たちの言うこの「集中」は、テレビやビデオ、ゲームボーイやファミコンなどに没頭する時の「集中」とは違います。もしも同じなら、子供たちは慣れ親しんだ例の方を引き合いに出したでしょう。けれども子供たちは、「"目"って言うか、"見る"」「そこさえにらんどけば、何をしたって平気」なものというように、知っている。限られた言葉を、苦心して使って、何とかそれを表現しようとしています。そしてそれは、「集中」「気」と言うように、徐々に内的な力として認識されていきます。
子供たちは、競技の間、三十分、四十分という長い時間、「ほうきのどこか一点を見」ながら過ごします。そして「ふっと違うことを考えると、もうほうきは落ちて」しまいます。そのため、気を逸らないように、けれども、のめり込み過ぎてイライラしたり、ムシャクシャしたりしないよう、落ち着いた気持ちを保たなければなりません。そしてまた子供たちは、「ふっと違うことを考える」と言うように、フラフラと別のこと考える自分の心にも気が付いています。
ほうきだけではない、自分の心とも向き合っているのだということを、漠然とながら、自覚し始めています。そればかりでなく、ほうきを落とさないように努めることで自分の心をコントロールしょうと努めているのです。
私は、ほうきを落とさないようにすることで、指先に力がつき、指先を上手に使うことができるようになると考えていました。けれども子供たちは、ほうきを落とさないようにするには、指先の力だけでは不十分であることに気付きました。自分の心、精神の力が不可欠だと分かったのです。
また、ほうきを落とさないようにするためには、指先を器用に扱うだけでは不十分であることにも気付きました。指と同じくらい、心をコントロールしなければならないことも分かったのです。またその心というものが、うっかりしていると、全くし別のことをフラフラと考えがちである。やっかいなものだということにも気付きました。
もちろん、この全てをはっきりと認識したのではないと思います。けれども漠然とであれ、この時、経験したことは、容易に忘れることはできないでしょう。たとえ、子供たちの頭からは消えてしまっても、身体はそれをずっと記憶しているでしょう。そしていっかこうした心のコントロールが必要になった時に、図書館で本を見つけるように、自分の心の中から取り出してくれれば、と願っています。
最近の子供たちは、気力がない、精神力に欠ける、自分を省みる力がない、などと言われています。けれども子供たちは、ほうきを一本指にのせることで、そうした力を見出し、育むこともできるのです。

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