暁烏敏賞 平成2年第2部門本文「地球社会を共に生きる タイでのボランティア活動を通して」1

ページ番号1002648  更新日 2022年2月15日

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第6回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

  • 論文題名 『地球社会を共に生きる』 タイでのボランティア活動を通して
  • 氏名 秦 辰也
  • 年齢 31歳
  • 住所 Bangkok Thailand
  • 職業 団体職員

論文概要

わたしがタイに渡り、インドシナ難民の収容されている難民キャンプやタイの貧しい農村、あるいはバンコク首都圏に散在するスラム街でボランティア活動を始あるようになって、はや六年半の月日が流れた。始あはタイの事など全く知らなかったわたしも、とりわけこの国のスラム街における青少年育成の問題や、健全な地域社会を建設していくたあの実戦活動に関わることにより、数多くの人と出会い、いろいろなことを学んだ。そしてこれまでのタイでの生活の中、わたしは同じように社会活動を長年バンコクのスラム街で行ってきたあるタイの女性と結婚することになり、今後もその活動を続けていくことになった。
今日、日本では「地球社会」や「国際社会」ということばがよく使われ、いろいろな形で国際交流や海外研修が行われるようになった。目前に迫った二十一世紀を担っていくべく、地球人あるいは国際人と呼ばれるような健全な青少年を育てていく上でも、喜ばしいことである。とはいえ、果たしてどれだけの人たちが、いわゆる開発途上国と呼ばれる国々の実情や、そこに住んでいる人たちのことを本当に理解しているだろうか。
先進諸国と開発途上国との間で抱えるあらゆる面での格差の問題や人権の問題、あるいは地球環境の問題が様々な国々で叫ばれている中、世界の経済大国であり援助大国に生きるわれわれ日本人は、これから何をしなければならないのか、またその日本人の一人であるわたし自身が、今後どのような行動を果たし得るのか、という問題を考えていく上で、わたしのほんのわずかなタイでのボランティア活動をもとにした実践記録を、ここに紹介させて頂きたいと思う。

はじめに

わたしがバンコクへ赴任したのは、一九八四年の四月。タイでは最も暑い季節で、日中は四十度近くまで気温が上がる頃であった。市内から二十キロばかり北にあるドンムアン空港に降りた時には、ムッとするような空気に包まれ、汗が急にドッと噴き出してきた。」週間ばかり後に、南方上座部仏教の国の宗教的な正月行事として行われる、ソンクラーン(水かけ祭り)を控えているというこの国は、とても活気に満ちあふれていた。
タイで仕事をすることに対して、最初はもちろん家族や親戚の人は全員大反対であった。いろいろな病気はあるだろうし、悪い人もたくさんいるだろうしというのであった。それに第一、有給とはいえ、海外でボランティア活動をするなどということ自体に納得しなかったからであった。「そんなことは君ひとりでやってもどうにもならない。気持ちはわかるが、それは政府のやるべきことだ」、という反応が返ってきたものである。
当時わたしは、高校卒業後、四年間の米国への私費留学の機会を得て、卒業してやっと東京のある会社に就職したばかりだったので、家族等が反対するというのも至極当然のことであったように思われる。しかしながら、東南アジアという日本の近隣諸国の事をもっと知りたいという好奇心の強さには勝てず、とうとう二、三年という約束をとりつけて、知人の紹介でカンボジア難民の救援活動を現地で行っている曹洞宗ボランティア会(SVA)に参加することになったのであった。
タイに行く前にわたしが抱いていたこの国の印象は、ごく一般的なものでしかなかった。米所で果物も豊富で、キックボクシングが国技として有名であり、わが国から江戸時代にタイへ行って名をあげた山田長政のいたアユタヤがあるというくらいの知識でしがなかった。一方、経済的には、日本よりもずっと後進国であり、売春ツアーで名高いといった偏見すらも少なからず持っていたのも事実である。このようなささいな知識や価値観が、実際にタイの国を訪ねてみていかに間違っていたことか。このことを後に気づく度に、深く反省させられてしまうのであった。
この国に着いてからというもの、とにかく日常会話ぐらいはタイ語でできないと身動きがとれず仕事にも支障をきたすので、ことばの通じない最初の一年ぐらいはいらだちの連続であった。が、ことばが少しずつ上達するのと並行して、それなりにこの国の人々や文化、社会状況というものもわかってくるようになってきた。

1 タイのスラムの現状

タイが抱えている社会的な問題には、ベトナムやカンボジア、ラオスというインドシナ三国やミャンマー(ビルマ)などから出国してくる難民問題のほか、貧困問題というものがある。つまりそれは、多くの開発途上国で顕著に見られるように、極端に近代工業化の進んだ都市部と、生活環境の非常に厳しい農村部との経済的格差が生じることに起因する問題である。わたしはタイに来てから、インドシナ難民問題と同様、この国における貧困問題にも関わることになった。スラムと呼ばれる、バンコク首都圏を中心に行われている都市化の中での、政治的、経済的、そして社会的歪みとも言える、大きな問題に取り組むことになったのである。
タイ国の人口五千八百万人のうち、約七割近くが農業に従事し、タイ人たちの多くが、水牛を使ったのどかな田園風景の中で生活しているということを思うと、そこに推定七百万人もの人口を抱えるバンコクという、超近代都市東京にも匹敵するような大都会が存在していることが嘘のようである。近年の日本や台湾などからの企業投資の量は以前にも増してすさまじく、NICS(新興工業国)の仲間入りをしょうというこの国の発展ぶりには、とりわけ目を見張るものがある。しかし、その影で農村部は置き去りにされ、首都圏などへの移住者は後を絶たない。彼らはそこで適当な居住空間が見つからず、都市部においてスラムと呼ばれる粗末な生活地域を形成していくことになる。
一九九〇年五月現在で、タイ全体のスラム地域の人口は一千万人に及ぶとも言われ、バンコクだけでも約千七百か所、百五十万人の人々がそこで生活していると言われている。そしてそこには、とても複雑な問題が鬱積しているのである。たとえば、

(1)生活環境

バンコクのスラム街のほとんどは低湿地帯にあり、軟弱で開発されにくい運河や鉄道沿いなどにある。住居は小さく、しかも密集しており、木造でトタン屋根の簡素なものである。多くのスラムでは、水道設備がないうえに電気も通っておらず、下水の状態もきわあて劣悪である。したがって、生渚環境は社会環境と同様に、満足できる水準をはるかに下回っている。これらの環境問題は、非衛生的な生活をつくりだし、時には伝染病の原因ともなる。また、経済的理由から治療代もないたあ、悪循環を繰り返す要因ともなる。近年は、麻薬やシンナーの中毒者やエイズの感染者が急増しており、新たな社会問題となっている。

(2)法律上の問題

スラム街の多くが非合法的に存在しており、住民登録のなされていない家々の数も多い。また、地方から移住してきても、住民登録票を移せず(住民登録は法律上の身元証明に不可欠)、出生届けのない人々もたくさんいる。つまり、タイ人であるというIDカード(身分証明書)を手に入れることができず、十分な教育を受けることや、適当な職業に付くことさえも不可能となる。

(3)立ち退き問題

スラム街の多くはスクウォッタi(不法占拠地区)であり、私有地や政府機関などの土地を占拠しているため、強制立ち退き、あるいは移転問題が発生する場合が多い。仮に長期間同じ場所に住民たちが住んでいたとしても、今の法律ではスラム居住者を充分に保護することができない。現在も、四百八十か所ほどが立ち退き問題に直面しており、様々な脅迫や放火といった問題が発生する場合が多い。立ち退きに関して、代替地やわずかの補償金が支給される場合もあるが、郊外で立地条件の悪い場合が多い。したがって、スラム居住者にとっては、ただ単に住居を失うだけではなく、生活そのものの基盤さえも失ってしまうことになる。

(4)経済的問題

スラム地域の子供たちは、高等教育を受ける機会に恵まれないたあ、非熟練労働者として働かなければならない。建築現場の労働者や運転手、港の荷降し、廃品回収等、低賃金で働かざるをえず、女性の内職も最低賃金の一日約九十バーツ(一バーツ約六円)にも満たない場合がほとんどである。スラムの失業率は三割を越えると言われ、一家五〜六人当たりの一か月の平均収入は、約三千五百〜四千バーツ。このため家庭環境が崩壊するケースも多くみられ、満足な生活水準を確保することがきわあて困難である。

(5)教育問題

教育問題は、スラムの開発を進あていく上できわあて重要な問題であるが、上記の問題と関連して、まだまだ改善の必要性があることはいうまでもない。スラム人口のうち、四割近くが十五歳以下の子供たちであるが、義務教育である六年制すら修了できないケースが多くみられる。現在、スラムにおける小学校への就学率は約八十パーセントと言われているが、家庭の事情などで中途退学する場合も多い。子供たちの教育問題はまずその必要性を両親や保護者に認識してもらうところがら行う必要があるが、子供たちや体の不自由な人たちが今後社会的に自立する上で、社会教育の問題も充分配慮していかなければならない。

などといった諸問題である。
これらのように、住民たちの居住権の問題や住民権の問題、麻薬や犯罪など、社会的な生活環境が原因で起こる問題もあれば、経済的貧困などとの絡み合いで、悪循環の繰り返しによる教育問題も深刻化してきている。さらにスラム問題は、タイ社会の中心問題の中に在りながら、過去においては公的な援助が全くなされなかったという悪条件も重複し、第二次大戦後あたりから益々深刻化し、そこに住む人々は抑圧されていたのであった。

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