暁烏敏賞 平成8年第2部門本文「子どもと居場所 不登校児への援助を通して」3

ページ番号1002612  更新日 2022年2月15日

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写真:暁烏敏像

第12回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

2.新しい居場所づくり

(2)新しい価値の創造めざして

子供達の居場所づくりの試みは、華やかさとは無縁の、子供連を中心に据えた地道な歩みである。子供連を見つめるまなざしの深さだけが頼りの心許ない歩みでもある。このようなやり方に対して、「肝心なことに立ち向かわず逃げている。もっと子供連を鍛えるべきだ」「なまぬるいやり方をせず、もっと強い指導をすれば子供は短期間で立ち直る」との指摘や批判ができるのかもしれない。

しかしながら、子供のみならず、人の成長の過程は決して直線的なものではない。前進と後退、試行錯誤を繰り返しながら徐々に進んでいく、いわば、螺旋のようなプロセスを辿って人は成長していく。換言すれば、人は常に前進や向上しているのではなく、しばしば休息や退行を余儀なくされる存在と言える。ときには、将来の前進や向上のためにも、休息や退行やゆとりが必要不可欠になることがある。とりわけ不登校に陥っている子供連には、休息や退行やゆとりが深い意味を持つことが多い。なぜなら、多くの不登校児は、前進や向上を目指す世界で、挫折や苦渋を味わったのだから。

このような認識が、上に述べたような性急な指摘や批判へのひとつの回答を示している。不登校の子供連への居場所づくりとは、子供連の心の時が熟するまで、子供連の休息や退行にじっくり付きA口っていく姿勢を堅持していくことにある。ここに、子供連のための居場所づくりの真髄がある。

それに対して、子供連を取り巻いている現実の世界は、弛まぬ前進や向上や効率を、常に要求している。休息や退行は必要最小限に止められる。ときには、強迫的なまでに前進や向上が強いられることさえある。子供連の最大の居場所であるはずの学校や家庭も、前進や向上や効率のみを追い求める場になりつつある。

明治以降、日本の社会は欧米のいわゆる先進国に追いつき追い越すことを目標に、前進や向上や効率を最高の価値として、ひたすら走り続けてきた。戦後の奇跡的な復興と今日の未曾有の豊かさは、この価値に裏打ちされた国民の必死の努力によって掴みとられたものと言えよう。前進や向上や効率は、日本の発展を背後から力強く支えてきた。当然、これらの価値を学校も家庭も否応なく担ってきた。特に、社会に貢献する人材を育成することを大きな目標のひとつに掲げる学校は、これらの価値を旦ハ現する牽引車でもあった。教師も子供も、後ろを振り返る余裕すらなく、ひたすら走り続けてきた。その結果、これらの価値を担った子供達が社会を支える戦士となり、日本の発展を築き上げてきた。また、学校と同様、家庭もこれらの価値と決して無縁ではなかった。特に、高校や大学への進学率の上昇に伴う受験競争の激化は、家庭でのこれらの価値を強化する結果となった。前進や向上や効率の価値は、学校や家庭を包囲し続けてきた。

一方で、現在、日本の社会は変化を余儀なくされている。例えば、経済摩擦に起因した日本の労働形態や内容への諸外国からの厳しい批判、ワーカホリックや過労死の実態への問題提起、仕事一辺倒のライフスタイルへの反省など、日本社会は変化を強く求められている。同時に、我々日本人の心の中にも、豊かさを背景とした既存の価値への懐疑や新たな価値への期待が生まれつつある。今、外からも内からも変化が求められているのである。例えば、労働時間の短縮、学校五日制などの動向は新たな方向を指し示す旦ハ体的な制度的変化の現れとも言えよう。いずれにせよ、日本の社会を支えてきた前進や向上や効率などの旧来の価値そのものへの見直しは既に始まっている。そしてそれは、明らかに従来軽視されてきた休息や退行やゆとりなどを射程に入れた変化であることは疑いの余地がない。今、日本の社会は、旧来の価値と新たな価値を包摂する、柔軟で多様な価値の創造をめざす時代を迎えているのである。

しかしながら、それにもかかわらず子供連の成長や発達を支えるもっとも重要な場である学校や家庭は、相変わらず前進や向上や効率の価値に取り込まれたままでいる。むしろ、受験競争の激化によって、益々これらの価値に帰依する傾向すら見られる。例えば、最近の傾向として、都市部を中心に幼児を対象にした早期教育が盛んになっている。幼児の段階から「より早く(速く)、より上手に」できることを目指した知的発達中心の早期教育が、小学校受験と結びついて、幼い子供達とその母親を塾通いに駆り立てている。

極論すれば、旧来の価値に対する懐疑や休息や退行やゆとりを含んだ新しい価値への模索は、学校や家庭の中では、未だ生まれていない。子供の成長や発達を支えるはずの学校や家庭という場が、社会の変化から取り残されつつあるのが、今日学校や家庭の置かれた状況と言えよう。もちろん、社会の変化に迎合することは慎むべきであるが、社会の変化を無視して、学校や家庭が成立しないのも自明である。

実は、この社会の変化と、学校や家庭のあり方とのギャップ、すなわち、社会が模索している休息や退行やゆとりを含む柔軟で多様な新しい価値と、旧来の価値とのギャップの中で生み出されたのが不登校なのである。例えば、前進や向上や効率のような旧来の価値に過剰なほど順応し、親や教師の期待に沿ってひたすら走り抜き、休息や退行の意義に気つかないまま、力尽きてしまった不登校の子供連がいる。会社のために身を捧げ燃え尽きてしまった企業戦士と同様、彼らは旧来の価値にとらわれ、その中でもがき苦しみ出口を見失ってしまっている。

また、旧来の価値とその子供のもつ個性や気質が合わず、学校や家庭での度重なる失敗と、それに伴う周囲からの叱責や嘲笑を繰り返し経験し、無気力な状態に陥ってしまい学校から離れていく子供達も増加している。もし、旧来の価値が相変わらず社会を支配していたならば、彼らは挫折感や劣等感を心の奥に沈澱させながらも、一応学校には通い続けたのかもしれない。しかし、現実の社会状況は変化している。旧来の価値だけでは行き詰まり、休息や退行やゆとりを含んだ新しい価値に向けて社会は動き出している。このような社会の胎動は、彼らの学校離れを加速し、不登校増加の大きな要因となっていく。

いずれにせよ、不登校の子供達とは、学校や家庭が担ってきた旧来の価値から、何らかの理由で離脱してしまった子供連とみなすことができる。旧来の価値に過剰適応した結果、逆に学校からの離脱を余儀なくされた子、旧来の価値と元々相性が良くなかった子など、その理由は異なっていても、前進や向上や効率の世界から離れてしまった子供達に変わりはない。彼らは、学校や家庭の現状と、変化する社会状況の狭間で、傷つきながらも抵抗を示している子供連なのである。

彼らは、休息や退行やゆとりを必要としている。学校を拒否することによって、無意識のうちに、学校や家庭で負の価値とみなされてきた休息や退行の必要性を訴えてきたとも言える。従って、彼らの居場所づくりは、彼らの休息や退行やゆとりを許容することが前提となる。そのためには、それらの意義を十分に理解するところがら始めねばならない。

休息や退行やゆとりは、単に前進や向上や効率を追求するためにのみ、一時必要となるものではない。すなわち、旧来の価値を実現するための補助的な手段として必要なのではなく、休息や退行やゆとりそれ自体が、旧来の価値とまったく同等な価値として意味をもっている。前進、向上、効率、休息、退行、ゆとり、これらのバランスの中で、不登校の子供連は自己を回復し再び自立に向かって歩みだすのである。

このことは不登校の子供のみならず、すべての子供連、そして大人にも当てはまる。人は、様々な価値のバランスの中で、その人らしさを実現させていく。真の心の豊かさは、多様な価値のバランスに裏打ちされてはじめて可能となるのである。このような認識に立つとき、人の居場所とは、前進や向上や効率のみならず、一見無意味とも思える休息や退行をもあるがままに認めていく場でなければならない。不登校の子供連を支える居場所も、この認識の上に成立していくのである。

いつの時代も、子供連の引き起こす様々な行為は、社会の反映であり、ときに社会の先取りでもある。不登校も同様に、学校や家庭と社会の矛盾を鋭く映し出している。そして、不登校の子供連が身を挺して訴えている声なき声は、居場所の意味を問い直すメッセージを運んでくる。彼らの声なき声に耳を傾け、子供達の成長や発達を支えるもっとも重要な居場所として、学校や家庭が再生する努力を惜しんではならないのである。

引用・参考文献

  • 深谷昌志(一九九三) モノグラフ小学生ナウ 「子どもと体験」<Vol.12-6>
  • マズロー・A・H・(小口監訳)(一九九一) 人間性の心理学 産業能率短大出版部
  • 森田洋司(一九九一) 「不登校」現象の社会学
  • 総務庁青少年対策本部(一九九六) 平成七年度版青少年白書 大蔵省印刷局
  • 小此木啓吾(一九八五) 現代精神分析の基礎理論 弘文堂
  • サリバン・H・S・(中井・山口訳)(一九七六) 現代精神医学の概念 みすず書房
  • ウィニコット・D・W・(橋本訳)(一九七九) 遊ぶことと現実 岩崎学術出版

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