暁烏敏賞 平成12年第1部門本文「連帯する市民 21世紀の創造と生産の現場」2

ページ番号1002586  更新日 2022年2月15日

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第16回暁烏敏賞入選論文

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

「ふつう」であることは難しい

市民が議論のテーブルを囲み、ネットを広げながら話し合わなければならない問題は数多い。さらに問題の所在はつねに目に見えるものではない、という点がやっかいだ。

貧困が個人の問題ではなく、社会システムの問題であることに気づいたのは十九世紀である。それまではさまざまな悲惨の責任が個人に帰された。社会保障制度が整いはじめると、社会資源の再配分政策が政治の基本的な課題となった。同じころ公衆衛生学も発達した。上下水道を完備し、都市を清潔にすることでかなりの伝染病が予防できるようになった。現在ならアフリカで人が飢えている原因の一つが先進工業国の経済活動にあることがわかっている。

解決が求められている問題がどこに伏在しているのか見えにくい。何が社会の問題で、何が個人の問題か、それすら見えにくい。われわれは知らず知らずのうちに、現在の生活を「ふつう」で標準的な世界のことと考えている。たとえアフリカのどこかで飢餓があっても、TVでその様子を見ながら豊かな食卓を囲んで談笑する。いや、もっと身近にアンバランスが伏在している。「ふつう」とは幻想でしかない。

「ふつう」「標準」とは何か。われわれは、「ふつう」であることの条件をつねに探そうとしている。そこに偏見と不公平の源泉があるのではないだろうか。

たとえば、「障害者」に対して「健常者」という言葉がある。「健常者」とは「標準」を意味する概念だろう。英語でいう「Mr.アベレイジ」であり、人間の心身の「ノーマル」な状態を指す。社会はこの「ノーマル」な人間を前提にして設計されている。この基準から逸脱した「障害者」は社会の構造上、特別な存在である。しかし、「障害者」と「健常者」、「ふつう」と「特別」の間の境界線はまったくあいまいである。この境界線をムリに引かなければ法律も制度もつくれないという行政的な判断がその幻想を膨ませてきた。

「ノーマライゼーション」という言葉がある。障害のある人の生活を限りなく「ふつう」の条件に近づけるのがその趣旨である。障害のある人が不便な生活を強いられているのは、周囲の偏見や理解のなさだったり、環境が整っていないことに大きな原因がある。デンマークの「一九五九年法」に盛り込まれた「ノーマライゼーション」という言葉は、現在、世界に広がり、果てしない議論と試行錯誤が繰り返されている。問題の焦点は、まず、何をもって「ふつう(ノーマル)」とするのか、である。

ある脳性マヒの人は、読書をしたり、権利運動に関わったり、友人と歓談することが「ふつう」の自立的な生活と考える。しかし、彼の医師、作業療法士は、安全確保のため、彼の生活にさまざまな制約を設ける。そして、さまざまな補助具を彼のためにつくって、介助者がいなくても生活できることを彼の自立した生活、つまり「ふつう」の生活と考える。しかし、その通りにすると、四十歳の彼は、朝からほぼ半日かけて洗濯機を回し、洗濯物を干さなければならなくなる。介助者が行えば家事の片手間に一時間もかからないで終わらせてしまうのにである。

欧米では、「ノーマライゼーション」のもっとわかりやすい指標として、本人の「自己決定権」の尊重をあげる。上の例でいえば当然、脳性マヒの男性はヘルパーに洗濯を任せて遊びに行くなり、権利運動に関わるなりするのが「ノーマル」である。

しかし、自己決定権が絶対の判断基準としてつねに成立するかどうかは議論の余地がある。たとえば、心臓の弱い老人が心臓マヒの危険を冒しても、熱い湯に肩まで浸かりたいと望めば、その通りにするだろうか。その危険をどのように判断するかは立場によって見解が異なる。医療に携わる者は、人間を身体中心に考える。身体機能が衰弱している人にはどうしても、安全、延命の措置を講ずる。入浴の場合なら、「ぬるま湯にお腹までしか浸けてはいけない」と処方するかもしれない。

いっぽう福祉的な見知から考えると、身体機能より、精神的なものが重んじられる。いわゆる「生活の質(QOL、Quality of life」だ。たとえば、老人が八十年の間習慣としてきた「熱い湯にどっぶり肩まで浸かりたい」といえばそれをかなえるのがQOL中心の考え方であろう。

近代以降の医療モデルは、障害・疾病は人間の「負」の部分として排除する。しかし、福祉モデルでは、障害・疾病を前提にしてなるべく不自由なく生活してもらうことが焦点になる。

しかし、日本の福祉は、医師を中心とする医療モデルに先導されているから、ヘルパー、介護福祉士など福祉側でも身体機能の保全に注力しがちである。さらに、日本の老人は自分からは何も希望しない場合がほとんどで、QOLは無視されることが多い。

ある老人ホームでは寝たまま機械で入浴していた老人が、別の老人ホームでは自力で湯に入れるようになる、というケースもある。これは介護する側が何をもって「ノーマル」と考えるか、また、介護への熱意、情報収集力の差に帰着する。つまり、何がその人にとって「ノーマル」であるかを探るにはその都度、検証が必要なのだ。すでに知っているつもりの「ふつう」は単に「偏見」にすぎない。

さらに痴呆症状や知的障害がある場合、自己決定権を基準にすることはますます難しくなる。

日本でも一九九六年まで「優性保護法」が生きており、知的障害、精神障害のある人などの不妊手術が措置として行われていた。たとえ任意であるにせよ、重い知的障害や周囲の圧迫、強い勧めがあれば、強制と変わらない。法制度がその恣意的な圧力を容易に社会システム化してしまう。

スウェーデンでは、優性思想に基づく「断種法」のもとに不妊手術が行われたすべての人を任意、強制にかかわらず、「被害者」として補償している。逆にいえば、デンマークに続いてすぐに「ノーマライゼーション」の理念を法制化していたスウェーデンでも、その後十五年も、「断種法」が生きていたわけだ。

「ノーマル」の意味は、その時代の「社会常識」の枠内でいかようにも変容することを証明している。絶対的な「ノーマル」、「標準」というものはない。一度つくった制度やマニュアルはつねに検討され続ける必要がある。それは制度を守る立場の縦割りの役所より、当事者により近く、柔軟な活動が可能な連帯する市民の役割であろう。

「ふつう」とは社会的な役割のあること

「ノーマライゼーション」という概念が一九五〇年代のデンマークで発祥したとき、知的障害をもつ人々を分離して施設などで生活してもらうという方法が一般的だった。しかし、一九七〇年代に米国でノーマライゼーションのうねりが高まる中で、「分離から統合へ」、障害をもつ人を一般社会の中に受け入れよう、という動きが目立ってくる。このころ「ユニバーサルデザイン」という言葉もあらわれる。これは、住宅、製品などといったハードウェアの面で障害をもった人々が生活しやすい環境を整えるデザインである。

「ユニバーサルデザイン」が、「バリアフリー」という概念と差別化して使われる場合、その意味は、とりたてて障害をもつ人の専用のデザインではなく、障害のある人が、自然に一般社会にとけ込めるようなデザインを志す点である。たとえば、レストラン前の階段に「障害者用」の段差解消機やスロープを設けるのではなく、階段がなくてもレストランに入れるように、誰もが使う洒落たスロープを設けることである。一九九〇年に成立した米国のADA(American wiht disabilities Act、障害のある米国人法)では、たとえば、入口に階段があるレストランは、障害のある人への差別である、として罰金を課せられる。「差別禁止法」といわれるゆえんだ。

米国がADAを成立させるまでには長い道のりがある。「ノーマライゼーション」運動もその一つである。一九七〇年代、米国では、「ノーマライゼーション」は、障害のある人が、「ノーマルな生活をする」ための条件づくりというより、「社会参加を実現する」ための条件、、つくり、という解釈が行われるようになった。それを承認するように、一九八一年の国連の国際障害者年のテーマは、障害のある人の社会への「安全参加と平等」だった。

たとえば、精神障害のある人に関していえば、病院にいるよりも、何らかの役割をもって地域社会に参加しているほうが顕著に精神状態が安定する。戦後、精神病院の開放化は世界的に進み、現在日本の精神病院でも開放病棟を有しないところは少ない。しかし、病院が開放されても、退院後のフォロープログラムの充実が必要で、これには、行政、市民の協力が焦点になる。

「役割創出」について面白い報告がある。

阪神大震災のあと、いわゆる「ケア付き仮設住宅」がっくられ、障害をもつ人が共同生活をした。ある民間の老人ホームがこのうちの]棟十四人のケアを担当した。老人ホームのスタッフがつねに一人常駐して、知的障害、精神障害、身体障害、痴呆性などをもつ人々の生活をケァする。

炊事場、食堂は兼用で、一人ひとりにトイレ付き個室がある。利用者の九割がこのグループホームに満足していた。外出も自由で、買い物に出かけたり、酒を飲んで帰ってもいい。

この中でもっとも顕著な変化を見せたのが三人の精神分裂症の人であったという。彼らは家族に見放され精神病院を転々としていたのだが、たまたま被災し、ここで生活するようになった。そしてボランティアの人々との交流や他の障害をもつ人々への手助けを通じて社会参加をするきっかけを得た。

徘徊をする痴呆性の老人がふらりと外出すると、「オレもいっしょに行く」といって散歩の共をしながら、満足の行くまで老人を歩かせ、適当なときに適当な言葉をかけて連れ戻す。社会的な役割をもつことで自分の「居場所」をつくり、精神的な安定を得た。震災前の主治医があまりの変化に驚いたという。

病院で治療を行っていては、彼らは彼らの「ふつう」な状態を生涯実現できなかったかもしれない。彼らの「ふつう」は大地震の災害の中で実現された。

ここから、「生活の標準化・ふつう化」には、二つの意味が見いだせるのではないか。一つはそれぞれの条件下で一人ひとりが社会に参加すること。二つ目は、Rightによる連帯である。この二つは、精神に疾患があろうと、どんな障害があろうと、ここでいう「連帯する市民」=「市民」の意味と同一である。めざすべき「ふつう」とは、連帯する市民の中に取り込まれることではないだろうか。市民がRightを共有することによって障害のある人、老人と連帯し、それによって「市民」となる。あるいはそれによってのみ「市民」となり得る。

高齢社会は町づくりとともに行う

脳卒中で倒れた老人や障害のある人にはリハビリが欠かせない。このリハビリも、市民が町に連帯のネットを張ってこそ意味あるものになる。

そもそもリハビリテーションという言葉の意味は、元の習慣に戻る、つまり、「社会への復帰」である。理学療法で行う身体機能の訓練はそのごく一部にすぎない。しかし、社会復帰を急がなければならない若い人と、社会的な責任や身よりの少ない老人ではリハビリの意味も価値観も異なる。

超高齢社会が、単に人類の厄災でなく、人類が到達した大きな成果であるためには、地域や社会がこれらの老人や障害のある人を歓迎するシステムをつくらなければならない。そうしなければ、若年層は、老人になることを、年金制度の崩壊以上に恐れるだろう。老齢化を、孤独で手足の自由を奪われた橿の中の生活と考えるようになれば、老人を恐れ、差別し、未来に不安を覚える。

老人がいくつになっても気軽に乗り物に乗り、街の中心に出られ、そこで若者同様、友人と会食やショッピングを楽しみ、自分のもつ技術や知識が活用されるなら、老人はいつまでも生活意欲を失わないだろう。消費意欲が維持されれば地域経済の活性化をも促す。老人が精神的に元気になれば身体的な機能が高まり医療費の抑制にもつながる。

さらに、市民活動で、若年層と老人が交流する場をつくれば、古くからある町のコミュニティ機能が活性化をはじめる。

障害のある子どもや外国人が、ふつうの学校に入ると、ふつうの学校の子どもがそれによってまとまるという効果が多々報告されている。町や社会も同じではないか。もともとある伝統的なコミュニティの中には、老人も障害のある人も融合されていた。それらの人々が隔離されずに混ざっているコミュニティこそ自然なあり方であり、地域のまとまりを実現できるのではないだろうか。

連帯する市民は新しいコミュニティを形成するオーガナイザーである。このような町づくりは、現在、世界中で進められている。「ショップモビリティ(日本ではタウンモビリティ)」、「エコマネー」、「エコミュージアム」、「交通ボランティア」、「パラトランジット」など、市民、行政、企業、商店会、大学などが協力し合い、町起こしと福祉を両立させている例は枚挙にいとまがない。

このうち、たとえば「ショップモビリティ」はイギリスが発祥だ。老人や障害のある人の買い物などを商店街に待…機しているボランティアが介助するシステムで、自治体、商店街、市民団体、企業が協力して運営する。経済効果も大きいといわれ、イギリスではすでに三百ヶ所近くの商店街で実施されている。日本でも試みがはじめられている。

老人は、つねにボランティアを受ける側ではない。自らボランティアとして活躍してもいる。彼らの知識や経験を活かせるシステムをつくれば彼らはコミュニティづくりの貴重な戦力になる。実際にも、気づかれないところで彼らはすでに重要な社会資源となっている。たとえば、老人ホームなどでは、比較的元気な老人がほかの老人の生活を支えることで介護スタッフ不足を補っている。介護スタッフ不足は問題なのだが、この助け合いは自然であり互いに有益だ。

六十歳は引退するには若すぎる。その身体にあった社会的な役割の創出も、雇用創出とともに、地域社会のテーマである。

たとえば、授産施設などで障害のある人の仕事の指導をしている人もいる。老いても途切れなく、その経験を生かせる社会構造こそが今後の地域社会に望まれる。真の意味のリハビリテーションは、その役割創出のネットワークの中でのみ実現できる。

医師、リハビリ療法士、福祉施設関係者といった「専門家」はリハビリを単に機能訓練としてとらえていることが多い。折り紙づくりだけが作業療法ではない。老人はコ人でいるよりはいい」という程度の動機でそれらの「作業」に参加する。「施設太郎」という言葉がある。これは、施設の用意したプログラムに模範的に参加する人のことをいう。心から楽しんでいるわけではなく、他に選択肢がない、というのは悲しいことだ。

まして、リハビリ療法士がいないリハビリ療法室でつらいリハビリを自ら積極的に行う人は少ない。

ある九州のデイサービスセンターでは、光のサンサンと当たるガラス張りのリハビリ療法室に置いてあったリハビリ器機の一部を玄関前ホールに移した。老人たちがまったく利用しないからだ。ところが、玄関前ホールに器機を移した途端に、老人たちが自発的に使うようになった。おしゃべりをしながら使ったり、あるいは誰かがそこにいて見ていてくれるだけでもいいようだ。

つまり、人との交わりの中ではじめてリハビリに意味が生まれる。さらに、リハビリをしたあと、友人らと楽しく風呂に入ったり、買い物や囲碁を楽しむといったモチベーションがあればリハビリの効果は高まる。リハビリには精神的な効果を主眼を置く必要がある。

自分の回復を誰かが、そして社会が期待して待っていてくれているという動機付けができる社会づくりこそ超高齢社会を実りあるものにする。「寝たきり老人」「寝かせきり老人」の介護システムは、高齢社会を支えるごく特殊な一部でしかない。

その人を待っている、その人を受け入れているという市民連帯があればいいのだ。

欧米諸国では、年を超えた友情関係は特別なものではない。日本では、年に差があるほど、遠慮のいらない友情関係は育ちにくい。自分達の親しいグループの中では遠慮なくつきあい、外のグループにはなかなかオープンになれない。

老人が若年層と対等に交わる社会を早急につくる必要がある。人間は生産的で継続的なコミュニケーションによってのみ自分の心の地位を保つことができる。

子どもにも社会参加の機会を

このことは、若年層に対してもいえることではないだろうか。

最近、無目的かあまりにもモチベーションに乏しい少年犯罪が増えているといわれる。これらの犯罪に対して、たとえ病理学的に解明されたとしても解決策が見いだされるわけではない。親のあり方、教師の対処の仕方などがマニュアル的に処方されたとしても根本的な解決策にはならない。

ティーンエイジャーは、誰もが自律し、自己決定する権利、あるいは独立した状態を望んでいる。髪を染める、顔に顔料を塗る、入れ墨などといった流行も自己主張のあらわれであろう。若者は自己主張し、個体を差別化することでエネルギーを放出する存在である。暴走族も同じであろう。

兵庫県にある、偏差値の低い、授業も荒れていた商業高校では、校内にコンビニエンスストアをつくった。そのコンビニは生徒自身が切り盛りし、地域の人々にも利用してもらう。このカリキュラムを取り入れたことで、生徒が自信をつけ、地域交流が進み、それまでの授業の惰気が払われたという。

盛岡市の新設中学では、生徒を中心として、親、PTAが学校新設に当たって、校則、制服を話し合って制定した。校則はつくらず、かわりに生徒自身が学校の憲法をつくった。その後、中学は積極的な自治活動で知られ、いじめなども今のところ見られないという。

今年七月に世界フリースクール大会が東京で開催され、初日世界中から七百人を超える参加者を迎えた。その後の分科会に分かれたディスカッションも活発に行われ盛況裏に終わった。主催は東京シューレ(奥地圭子代表)という日本を代表するフリースクールだが、世界大会の着想から運営全般は在校生が主体的に行った。フリースクールの在校生は、いわゆる「ふつう」の学校を「脱落」した子どもたちだ。東京シューレは、徹底して子どもの主体性、自己決定を待って行う活動をしている。登校拒否は病気では無論なく、マイナスのものでもなく、むしろ、チャレンジャブルな生き方じゃないか、と積極的に評価することから出発する。ちなみに文部省官房政策課長・寺脇研氏も同様なことをいっている。

実際、世界大会を切り盛りし、事務方を勤めた子どもたちや、世界大会の分科会に積極的に参加して発言している子どもたちを見ていると、学校に毎日通う子どもとどこも変わらない。

フリースクールをイギリスでは、デモクラティックスクールともいう。生徒が主体的に学校づくりに参加するからである。いうまでもなく、デモクラシーの眼目は「多数決」などではなく、徹底した討論にある。討論を徹底させた後にコンセンサスを得る。いきなりの多数決はデモクラティックの反対であろう。したがってデモクラシーには時間がかかる。ふつうの社会スピードではないかもしれない。しかし、このトレーニングを積んだ人間のみがデモクラティックの意味を社会で実現できる。ここにも連帯する市民の活動のモデルがある。暗記の学習では、批判力も自らの世界観を養うこともできない。

子どもには主体的な生き方が必要なのだ。自らが仕事を計画し、実践しながら、批判しあい、討論しあって、納得して成果物を得る中で自己のアイデンティティをつくりあげていく。与えられたものを完成させることだけに腐心し、教師の一律的な評価を絶対的に受け入れるのでは独創的な精神は育たない。

老人、障害のある人、子ども、それぞれのもっともいい生活条件とは、それぞれが融合し合い、それぞれの条件に合わせて主体的に社会参加することである。世代を超えたコミュニケーションの場を知的に開発すること、それが連帯する市民の活動の場である。

結語

市民とは、個人が一つの理念を共有して連帯することによって生まれる。この連帯に、企業、自治体、大学が合同することで、有効な社会資源となり、地域のセーフティネットとなり、経済活動が効率的に一体化していく。

次に、この連帯市民は、老人や障害のある人、子ども、さまざまな年齢層が融合したコミュニティをめざさなければならない。それは自分たちの子ども、自分たちの老後を守るための連帯である。

さらに、連帯する市民は行政と協力しながら、子ども、障害のある人、老人を受けいれ、彼らの社会的ポジションの創出に力をいれなければならない。

これらによって、すべての人の地域での「ふつう」の生活が実現するのではないだろうか。「ふつう」でスタンダードな生活がすでにどこかにあり、それをめざすべきではない。それはつねに共同してつくっていくものなのだ。

市民活動が強くなれば、地方自治体が強くなる。連帯する市民をバックにした政治家は強い。自治体は市民活動を恐れてはならない。情報開示を恐れてはならない。それによってのみ、地方分権の第一歩ははじまる。

「国民」「住民」「町民」は、新しい社会をつくる責任を放棄するべきではない。しかも、その第一歩は小さな小さな集まりでいいのだ。市民が守るべきRightとは何か、生涯学習の成果は、まず小さな連帯をつくることからはじまる。

参考文献

  • 『哲学・思想事典』岩波書店
  • 『ボランティア論』中嶋充洋、一九九九年
  • 『障害者福祉論』放送大学振興会、一九九七年
  • 『ノーマリゼーションの展開』ヘレン・スミス編、一九九四年(邦訳出版年)
  • 『フリースクールとは何か』奥地圭子、一〇〇〇年
  • 『登校拒否は病気じゃない』奥地圭子、一九八九年
  • 『なぜ学校に行くの』寺脇研、一九九九年
  • 『わたしたちの手、、つくり学校物語』一九九九年
  • 『優生学と人間社会』米本昌平ら、二〇〇〇年
  • 『障害者は、いま』大野智也、一九八八年
  • 『バリアフリーをつくる』光野有次、一九九八年
  • 『哀れみはいらない』ジョセブ・シャピロ、一九九九年(邦訳出版年)
  • 『ボランタリー経済の誕生』金子郁容ら、一九九八年
  • 『共生の大地』内橋克人、一九九五年
  • 『セーフティーネットの政治経済学』金子勝、一九九九年

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