暁烏敏賞 平成8年第2部門本文「子どもと居場所 不登校児への援助を通して」1
第12回暁烏敏賞入選論文
第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】
- 論文題名 子どもと居場所 不登校児への援助を通して
- 氏名 本間 友巳
- 年齢 42歳
- 住所 金沢市
- 職業 大学非常勤講師
1.子供連にとっての居場所とは
(1)居場所の意味
乳幼児期、子供は養育者(一般に、母親の場合が多い)の深い愛に包まれた保護的な場の中で成長していく。母の愛に抱きしめられ愛情を十分に受け取りながら、言い替えれば、愛情を心の栄養に換えながら乳幼児期を過ごしていく。イギリスの精神分析医のウィニコットは、ホールディング、すなわち「抱きかかえる環境」の重要性を説いている。抱きかかえられること一もちろん身体的なだっこだけでなく乳幼児へのすべてのサポートを意味しているを通して最初の対象との関係を確立し自我の発達が可能となっていくプロセスについて、彼は述べている。親によって創られた保護的な場の体験が、自分や自分を取り巻く世界に対する基本的な信頼感の根幹を形づくるのである。
自分や自分を取り巻く世界への基本的信頼とは、決して難解で大げさなことではない。むしろ、人が普通に生きていく上で必要不可欠な課題である。もし、自分や周囲に対する不信感があまりに強ければ、他者と関係を結ぶことすらできない。ある程度の信頼感をもてない人は、人生の初期にして大きなハンディを背負うことになる。また、乳幼児期に保護的な場が与えられなかったり、何らかの事情で保護的な場を失ったりした場合、子供連の心には重大な傷がつくことになる。後年の問題行動の背景に、乳幼児期の親からの見捨てられた体験や虐待が潜んでいる場合が意外と多いのである。
小学三年のA男は、学校の中で様々な問題行動を引き起こしている。授業のエスケープは日常茶飯事。虚言や万引きもかなりの回数にのぼる。加えてやや異常とも思える行動がしばしばみられる。それは、トイレで大便をしその糞尿をもてあそぶこと。糞尿をトイレの壁に何度も塗りたくったことからそのことは発覚した。A男は、現在施設で育てられている。母は、いわゆる未婚の母であり、子供を育てる力が精神的にも経済的にも弱い人であったようで、A男が物心つく頃にA男を施設に預けている。施設の方の話では、施設に来た当時のA男の体にはたくさんの傷やあざがあり、虐待されていた疑いがあったとのこと。また、行動面の特徴として、衝動的で落ち着きがなく、他の子供達とほとんど交わることができなかったとのこと。部屋の片隅で、ひとり虚ろな眼差しでぼんやりしている当時の姿が、今でも印象に残っていると言う。
乳幼児期のA男は、身体的にも精神的にも抱きかかえてもらう経験が極めて乏しかったのであろう。十分に満たされるはずの人生の初期に、保護的な居場所が与えられなかったことが、現在の問題行動の大きな要因になっている点は疑いの余地がない。乳幼児期の保護的な場の必要性は、他の時期にも増して重要であり、ときにはこれなしでは、心の成長が停止してしまうと言っても過言ではないのである。
通常、家庭を中心とする保護的な場で十分な愛情を獲得した子供連は、年齢とともに成長や発達に必要な場を家庭以外に徐々に移していく。それは小学校の校庭であったり、近所の公園であったり、いつもかくれんぼをする工場の一角であるかも知れない。地域社会や学校と呼ばれる場が、年齢とともに家庭以上に子供達にとって重要な居場所になってくる。しかしながら、都市部を中心に地域の教育力が失われて久しい。近所の人が誰で何をしているのか、まったくわからない地域に住む人も少なくない。また、子供連は塾や習い事に追われ、町の中に子供連の遊ぶ姿を見ることはめつきり減ってしまった。
小学六年のB子は、中学受験のために週五回進学塾に通い、週一回ピアノを習っている。夕飯替わりの弁当持ちで塾に通い、帰宅は午後十時頃という。家族揃って夕食をとるのは週二回だけ。近所の友達と遊ぶ機会も、この二年程ほとんどない。帰宅した後は、学校の宿題をしなければならない。床に就くのは深夜十二時過ぎ。「令したいことは」と彼女に尋ねたところ、「ゆっくり寝たい」との答えが返ってきた。地域の友達やモノと関わろうにも、その時間がないというのが彼女の実感であろう。彼女にとって安心できる居場所は、唯一、短い眠りに就くベットの中だけかも知れない。都市部のカウンセリングや教育相談の機関を訪れる者の多くは、受験に没頭したあげく最後に燃え尽きてしまい、気づいたときは、どこにも居場所が見当たらなくなってしまった子供連なのである。
C男の場合は、地域に居場所を見つけられない、否、居場所を必要としない小学五年の子供である。彼の居場所は冷暖房完備の個室。学校から戻るとまずテレビゲーム。夕食で一時中断。その後テレビを楽しみ、再びゲームの生活。友達との付き合いもテレビゲームを通してが主である。C男がテレビゲームをしていると友達はマンガを読み、友達がゲームを始めるとC男はマンガに向かう。二人のいる部屋から会話の弾む声は聞こえてこない。テレビゲームというモノを媒介として、ひとつの部屋に、二人がバラバラに存在しているという感じでしかない。彼の地域とのつながりは、せいぜいのところゲームセンターへ行くぐらい。冷暖房付きの個室とゲームセンタ!がC男の居場所なのである。
都市化が進み、地域の中で子供連が遊ぶ場が減ったことも、地域での外遊びが少なくなった一因であろう。だがそれ以上に、C男のような地域という居場所を必要としない子供連や、B子のような塾通いに追われ地域の中で生活する時間のない子供連が増加していることが、地域という居場所が消失した大きな要因として挙げられる。言え替えるならば、時代の変化に対応して、子供連のライフスタイルが大きく変化しているのである。
家庭以外の居場所として、地域以上に大きな意味を持っているのが学校の存在と言える。六歳に達するとほぼすべての子供が通い、睡眠時間を除けば、一日の生活時間の約半分を占めているのが学校である。学校は様々な影響を子供連に及ぼす。カリキュラムに則った教科の学習や行事や集団活動は、子供連の知的発達や社会性の発達に貢献している。また、教師と子供の関係や、より無意図的な子供同士の関係も、子供の人格形成に計り知れないほどの大きな影響を与えている。子供連は学校で様々なことを学び体験していく。
しかしながら、周知のように、地域同様、学校の教育力も低下の傾向にある。後に触れる不登校の急増をはじめ、いじめや校内暴力などの多くの困難な問題が学校を取り巻いている。比喩的に言えば、学校という古くて大きな入れ物に、現代の子供達が徐々に入りにくくなっている。子供連の多様化に、学校が追いつけない時代が到来しているのかもしれない。
アメリカの高名な精神分析医のサリバンは、前思春期(小学校中高学年ぐらい)の同性を中心とする友人関係の重要性を強調した。この時期に親密な友人関係をもつことが、それまでの時期に被った発達上の障害を修復する可能性をもつと述べている。乳幼児期に様々な困難に出会った子供連も、この時期、たくさんの豊かな体験を友人と共有できるならば、その困難を克服し成長に向かって行く可能性が高い。先に例としてあげた、乳幼児期に親から見捨てられてしまった小学三年のA男も、これからの時期、もし友達と豊かな体験を共有できる居場所を見つけられるならば、彼の心に受けた傷は癒され、雄々しく成長していくであろう。しかし、もしそのような居場所を見いだせなければ、それまでの時期に被った心の傷を心の奥底に引きずったまま、次に訪れる思春期という、心身に強い嵐が吹き荒れる時代に立ち向かわなければならない。そんなA男の将来に強い不安と危惧を感じざるを得ない。
実は、このような不安と危惧は、とりわけA男ひとりに向けられるものではない。むしろ、地域や学校に成長のための居場所を見つけにくい現代の多くの子供達に当てはまると言えよう。心の傷を修復する機会が与えられないまま、大人になって行かざるを得ない子供達がたくさん存在しているのである。
家庭の外に居場所を見い出すことの意義は、それまでに被った心の傷の修復だけに留まらない。むしろそれ以上に、居場所は家族以外の人々とのつきあい方、すなわち対人関係の技術や方法を身につける機会を提供してくれる。現実に、人と人とが意思を交流し合うことは、思いのほか難しい。距離が遠ければ、傷つけ合うことはないが、寂しさやむなしさに襲われる。逆に近ければ、心が満たされる反面、傷つけ合うことを覚悟しなければならない。人と人の関係には、いつも「山あらしのジレンマ」が付きまとう。
家庭から家庭以外へ成長のための居場所を移行して行く過程で、子供連は同世代を中心とする家族以外の他者と交流する技術や方法を、ほとんど意識することなく自然に体得していく。その中で、「山あらしのジレンマ」への解決法を見い出し、その人なりの対人関係のパターンを確立していく。
しかし、地域や学校という居場所が弱体化している現在、このような機会に恵まれず、解決法が見つからないまま他者を恐れ孤立してしまう若者がかなり存在している。青年期や大人になっても、同世代を中心とした対人関係が築けず、家の中に引きこってしまったり、肝心な場面になると常に逃避してしまう一群の人々がいる。
名門大学に通うD男は、すでに三回の留年を繰り返している。親元を離れてアパート住まいのD男の日々の生活は、極めて単調である。日がな一日、部屋でテレビを観たりゲームやパソコンに没頭する生活(テレビやパソコンをはじめ、彼の部屋にはひとりでも退屈しないだけのモノがたくさんある)。外出は、食事と気晴らしの散歩ぐらい。人と会話する機会はほとんどない。六年間の大学生活で友達は一人もいない。大学へ入学した当時は友達を作ろうとサークルにも入ったが、同世代の会話についていけず、すぐ辞めてしまう。前に進むことも新たな道を探すこともなく、現実から逃避したまま、この数年アパートで趣味中心の生活をずるずると繰り返してきた。D男は幼い頃から友達が少なかった。小中高校と友達と体験を共有する機会はほとんどなかった。しかし、学校の成績は常にトップクラスで、孤立しがちなD男の心を支えてきたのは成績だけであった。彼の居場所は地域にも学校にもなく、自分の勉強部屋だけが、彼の唯一安心できる居場所であったに違いない。
ともあれ、D男のように大人になっても社会との接点がもてず家に引き籠もり、趣味を中心にモノと関わりながら、日々の生活を送っている若者がかなりいる。彼らの多くが、D男同様、子供時代に家庭以外に居場所を見つけられず、対人関係の技術や方法を身につけられないまま、結局家の中に舞い戻ってしまった人々である。子供時代に家庭以外に居場所を見つけられなかった場合、その後の対人関係のハードルはそびえ立つ山のように高く思えてくる。そして、乗り越えるのにかなりの努力を要するようになってしまう。子供時代の居場所の有無は、自立への分岐点になり得るのである。
(2)居場所を失った子供達
学校へ行きたくない、もしくは行きたくても行けない子供連、すなわち不登校と呼ばれる子供連が急増している。不登校と一言で言っても、様々な場合が考えられる。いじめのようなかなり原因のはっきりしているケースから、多くの要因が重なり合い原因を探ることが困難なケースまである(実際、後者の場合が多い)。子供の性格も、「優等生の息切れ」と言われるような何事にもまじめに頑張り過ぎてしまう子供から、未熟さや無気力さが強く前面に現れている子供まで、多岐に渡っている。不登校後の子供の状態では、腹痛や発熱などの身体症状が出現し、葛藤が強く家の中に閉じ籠ってしまう子供から、学校へ行く意義を認めず比較的自由に日常生活を営める子供までいる。まさに十人十色の感がある。量的な増加に比例して、不登校の子供連の様相は多様化に向かっていると言えよう。
しかしながら、多様化している不登校の子供連に共通している点がある。それは、学校という居場所を失った点である。家庭以外に居場所を見つけていく時期、しかも地域に居場所を見つけることが難しい時代に、日常生活の中心を占める学校という場を失うことは、多くの不登校の子供連の成長や発達に深刻な影響を与えることになる。
一般に学校という居場所を失った多くの子供連の生活は、家庭中心になりやすい。しかも、学校に行かず家で一見無為な生活を送っている子供と、学校に行かせたいと切望しあせりがみられる親との関係は悪化してしまう場合が多い。親との葛藤や対立を避けようとすれば、子供の居場所はより限定される。もはや家庭にも居場所を見い出せず、自分の部屋に閉じ籠もってしまうことになる。学校へ行かないこと以上に、学校へ行かないことによる居場所の喪失によって、子供連を取り巻く様々な問題が生まれるのである。
中学三年のE男は、三ヶ月近く家の中に閉じ籠もっている。正確に言えば部屋に閉じ籠もり、テレビとゲームづけの、一見無為な生活を送っている。家族とは決して顔を合わせようとしない。部屋のドアに鍵をかけ、家族の侵入を防いでいる。食事も、部屋の前の廊下に母親が置いた物を、親がいない隙に部屋に持ち込み食べる始末。両親との会話は一切なくなってしまった。
このような状態にまで至ったきっかけは、三ヶ月前、E男が突然登校を渋り出した時に遡る。E男の不登校は、両親にとってまさに青天の霹靂であった。ものわかりがよく手がかからず、しかも成績の良いE男は、両親自慢の子であった。そのE男が突然登校を渋り出したことに、当然のことながら両親は強い衝撃を受ける。混乱し思いあまった父親はE男を殴りつけ、無理矢理学校に連れ出そうとした。そのとき、E男は始めて父親に反抗した。泣きながら大声を張り上げ、家の中のものを手当たり次第壊しだす。障子や襖は原形をとどめず。食器棚は壊れ、中の食器も粉々に。E男の異常とも思える形相に父親もなす術を失い、ただ呆然と立ち尽くすのみであった。その後、E男は部屋の中に籠城し、家族と一切口をきかない生活を送ることになってしまう。あまりに怠惰な生活に、両親が少しでも注意すると、異常なまでに混乱し激しくものに当たる。部屋の壁とドアには大きな穴が空いてしまった。力のない虚ろな表情と常軌を逸した攻撃的な行動を繰り返す。極端から極端に揺れ動くE男に、「精神病になったのでは」と両親の不安は募る。
これがE男のみならず、居場所を失ってしまった子供連の典型的な状態であろう。E男は登校を渋り出し、学校という居場所を失う。その理由は定かではない。おそらく様々な要因が重なりあっているであろう。
最後の拠り所を家庭に求めていたE男は、父親との対決の結果、最後の頼みである家庭が居場所でなかったことを痛感することになる。学校にも家庭にも居場所はなく、結局自室という閉ざされた空間だけが彼の唯一の居場所になってしまう。
ひとりぼんやりとテレビを観てゲームをする自室での生活が、E男の成長や発達を促進するとは考えにくい。確かにある期間、外部からの刺激を絶って自室に独り時を過ごすことに意義はあっても、いずれ安心と充足を実感できる開かれた場に加わらなければ、子供の豊かな成長は封印されてしまう。両親に精神病を連想させるE男の乱暴な行動も、居場所を失ったことに対する心の混乱や叫びなのである。E男に病的な問題があって不登校になったのではない。実際は逆で、不登校に陥りすべての居場所を喪失することによって、一見病的な反応を呈したに過ぎない。E男だけでなく、家で荒れる不登校の子供連の多くは、病的な問題があるのではなく、むしろ、居場所の喪失によって病的とも思える反応が出現する場合が多い。それほどまでに、居場所の有無は大きな意味を持っているのである。
学校や家庭という居場所を失った不登校の子供連が、次に求める居場所はどこにあるのだろうか。E男のようにより家庭の内に向かい自室に閉じこもるか、反対に非行グループに所属し暴行や恐喝など様々な問題を引き起こし家庭の外に向かっていくか、この二つを両極にして、その間のどこかの場に子供達は着地していく。人は、いかに貧困な場であっても、居場所なしで生きて行けない。どこかに居場所を見つけなければ、自己の所在すら見失ってしまう。居場所の喪失は自己のアイデンティティの喪失につながる。E男の部屋への籠城は、自己の存在を確認するための必死の居場所探しの試みなのであろう。
しかしながら、そのような場が子供連の成長や発達に大きく貢献するとは考えにくい。限定された場や外部に閉ざされた貧困な場は、子供連の成長や発達を封じこめてしまう危険性を持つのである。不登校問題とは、実は不登校そのものよりも、不登校による居場所の喪失が、子供連を追い込んで行くところに最大の問題が存在する。不登校の子供達とは、成長や発達の場、換言すれば、自立の場を喪失した子供達と言えよう。
ところで、学校に休まず通っている子供連の中にも、学校という居場所を見失っている子供連が多く存在している。全国の中学二年生を対象にした森田の調査では、何らかの頻度で「学校に行くのが嫌になったことがある」と答えた子供達は、全体の七〇・入%に達している。このことは、登校への回避または忌避感情が、学校へ休まず通っている多くの子供達に認められることを示している。
この中に、学校を居場所にできない子供連がかなり含まれていることは想像に難くない。彼らは、学校に物理的な居場所はあっても、心理的な居場所のない子供達と言えよう。物理的にも心理的にも居場所を失っている不登校の子供連、また心理的に居場所を失いながらも登校している子供連、このどちらも安心と充足を実感できる居場所を求めてさまよっているのである。モノが溢れ、物質的豊かさを謳歌するこの時代に、意外なほど子供連の成長や発達を促進する場が見当たらない。モノの豊かさに反比例するかのように、子供達の居場所が貧困になっているのが、現代の子供連の置かれた状況と言えよう。
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