暁烏敏賞 平成11年第2部門本文「現代子ども事情 新たな援助の視点を探る」2

ページ番号1002592  更新日 2022年2月15日

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写真:暁烏敏像

第15回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

3 事例が語る援助の視点

事例1

A男が対決していた人は?

A男は、中学二年生。いがぐり頭のちょっと茶目っ気のある元気いっぱいの生徒である。一年生の時、相談室前の廊下掃除だったので、私とは自然に顔馴染みになった。新学期が始まって一ヵ月が過ぎた、五月の連休過ぎのことである。いつもあんなに元気のいいA男が何だかしょんぼりしている。私は思わず「元気ないね。どうしたの。」と声をかけてしまった。何とか彼が語ったところによると、二年生になってから、英語の授業がいやでたまらないということ。理由は、担当のB先生。最近では、声を聞くのもいやなほどだということだった。そういえば、B先生も職員室でA男をどう指導してよいかわからない、うまく授業にのってくれないと話していたのを、私は思い出した。何と両者とも、相手とうまく行かないことに悩んでいるのだった。しかし不思議なことに、両者にはこの四月まで直接的な接点は何もない。だが私には、偶然出会ったA男との会話から、少しずつこのすれ違いの意味が呑み込めてきた。

実は、A男には小学校時代に不登校の経験があった。それは、ほんのニカ月程のことだったが、この時の苦しかった記憶は、彼の中に鮮明に残っている様子だった。きっかけは、理科の専科の先生に実験中の失敗を厳しく叱られたことだったらしい。

A男は、姉と1回りも歳の違う末っ子で、家庭では小さな王様のように育ってきた。それで、思いも寄らぬこのこわもての男性教師からの叱責に縮み上がってしまった。恐怖と怒りで家に閉じこもったままのA男だったが、この時は担任の丁寧な対応で、心に小さな傷を残しはしたが、何とか事なきを得たのだった。

実はB先生は、この時の理科の教師ととても風貌や言葉の言い回しが似ているらしい。A男自身は、はっきりとこのことを自覚していないのだが、A男の話しぶりから、明らかに、B先生とこの理科の教師との内的な混同が伺えた。英語が特に嫌いなわけでもない、新クラスになじめないのでもない、とにかくB先生のことがいや。しかし、おもしろいことにA男自身、なぜB先生がいやなのかはっきりとした説明がつかない。

そして、このケースをB先生の話から考えてみて、また、興味あることがわかった。それは、「なぜ、A男が苦手なの?」という私の質問にB先生もうまく答えられなかったということである。「なんとなく」とか「そういえば、どうしてかなあ」などと言っている。つまり、B先生もA男を苦手とする明確な理由を理解しないまま、何となくしっくりしない重苦しい気分を抱いていたのである。

おそらくこのケースは、A男がB先生に暴言を吐いたとか、B先生がA男に理不尽な説教をしたなどの、直接の当事者間に生じたネガティブな感情から困難な事態を招いたわけではないように思われた。A男には、B先生が何となく小学校の時に苦しめられた教師と同一に見えてしまうのであろう。そして、もしかしたらB先生にも、過去に何らかの点でA男と類似した生徒との問に、否定的な記憶が残っているのではないだろうか。

心の不自由さを意識してみよう

このことは、私たち人間が、過去の体験や経験した感情から、完全に自由になることができない存在であることを語っている。つまりわれわれは新しい人と出会っても、その出会いのどこかに過去の他の人との関係を持ち込んでしまうことがありがちである。そこで、現在出会っている相手のことを、知らず知らずに過去の誰かと同じ性格かもしれないとか、同じ行動パターンをするかもしれないと勝手に想像する。それが高じてくると、この新しい対人関係もまた過去と同じ進み方、終わり方をするのでは…と終結まで予測してしまう。

これに加えて人には、ごくありふれた日常的な経験や心豊かな思いよりも、心が被った傷や怒りを長く心に抱き続け再現しやすいという習性があるらしい。そして、特に教師という仕事は、このような対人関係に陥りやすい職業なのである。

例えば、四月、新しい気持ちで生徒や保護者と出会っているはずなのに、いつの間にか過去に担任した生徒や保護者のイメージで、その人物の印象を作り上げてしまうことはないだろうか。

「この生徒は、きっと二学期くらいになったら反抗的になる様な気がする。」とか、「このタイプのお母さんとは気が合わないはず。」などと、半ば断定的に考えたりする。そしておかしなことに、そんな気持ちで接すると、いつの間にかその否定的な気持ちが相手にも伝わるのか、この予測通りになってしまうことがある。そうすると、ますますこの確信が強められてしまうのである。

もちろん、人間誰しも、この過去の心の歴史から解放されて、常に新鮮な真新しい体験を重ねていけるものではない。おそらく、人間に記憶というものがある限り、誰しも、過去のさまざまな体験から自由になることは不可能であろう。しかし、それでもこの心のメカニズムに気づく力を養うことは非常に大切である。この「心の不自由さ」、「過去の対人関係をいつの間にか現在に持ち込んでいる自分」に敏感になるよう心がけてみたい。

教師が生徒を肯定的に見られない時、あるいは生徒が攻撃性を教師に向けてきた時、この「不自由さ」の存在に目をやってみてはどうだろうか。「なぜ、この生徒はこんなに不満そうなのだろう?」とか「なぜ、自分はこんなにこの生徒に厳しい言葉を投げつけてしまうのだろう?」と、心に問いかけてみてはどうだろうか。

私たちがどれほど多くの「教師」や「生徒」と名づけられた、実はそれぞれ異なった個性をもつ他者と、過去に関わってきたかを考えてみよう。そうした時はじめて、二者関係だけを考えていたのでは表出しなかったような、さまざまな感情の転移に気づくことがあるかもしれない。さまざまな他者と織りなされている「学校という場での人間関係」に目を向けること、その視点を持つことで、生徒や自分のやりきれないような悲しみや怒りも、少しだけ穏やかなものに変化させることができるのではないだろうか。

事例2

C男が怒りをぶつけたのはなぜ?

校舎三階の一直線の長い廊下の端から、C男がやってくる。『出会うもの皆、敵!』という雰囲気で三階の廊下を大股に歩いてくる。体中の毛穴から「怒り」という気体を発散させているようである。すれちがうもの皆、ちょっと身を引いて彼を避ける。

C男がとうとう私の前まで来た。しかし、その表情が泣き出しそうに見えたのも一瞬で、「キッ」と私をにらみつけると、足早に通り過ぎていった。「バシッ」と音がするような緊張した気分が私の中に残った。『また、何かあったのか』と暗い予感がかすめた。

C男は中学三年生。行動が粗暴で、ときどき備品を壊したり、ものを投げつけて他人に危険を及ぼすなどの問題行動をしてしまう。先日も、ふざけて蹴ったボールが体育館のガラスに当たり、生徒指導のD先生に長時間叱られていた。

C男は、行動は粗暴で失敗が多いが、通常は素直でやさしい面を持っている。二年生までは、やはり同じような失敗を繰り返し叱責されることが絶えなかったものの、素直に反省し叱られた後にすっきりした笑顔を見せることもあった。

ところが、このところどうも様子がおかしい。叱られれば叱られるほど彼の表情が曇ってしまう。そして、粗暴な行為の頻度も次第に増してきたようである。
職員室に戻った私は、何となく部屋の雰囲気が堅いのに気づいた。どうも原因はC男らしい。C男の担任のE先生が小声で私に話しかけてきた。「困ったことになりました。掃除の時間にC男が二階の窓から落としたほうきが教頭の車に当たってしまって。それを注意していたD先生に、C男がいきなり殴りかかりそうになって…。周囲のものでC男を押さえたんですが、今度は振り切って飛び出して行ってしまいました。」職員にとってはたいへんなことだった。D先生は、校長室でC男の保護者と連絡を取っているらしい。周囲のあわただしさの中で、私は、C男はどこでどうしているだろうかと考えていた。

戸外の暑さもようやくおさまりかけたこの夕方、私は、校舎裏の学校菜園の茄子の育ち具合を見ながら畑の中を歩いていた。そして、ビニールハウスの陰に誰かがうずくまっているのに気づいた。それは、あのC男だった。「びっくりした。どうかしたの?」と声をかけた私を見た彼の顔には、もうさっき見た獣のような猛々しさは微塵も感じられなかった。『泣いていたのか?』と思うほど、C男の顔は頼りなかった。私は、C男の横の雨ざらしの椅子に座り、空を眺めながら「何か、悲しいことあった?」とつぶやいてみた。

しばらくして「オレ、頭、悪いから…」とぼつりとつぶやき、まるで空にいる誰かに語るかのように心の内を話し出した。

この時のC男の話に私はとても心を動かされた。C男の語るところでは、「確かに自分のやったことは悪い。何か感情的に我慢できないことが起こると、すぐにものを投げつけたり蹴ったりしてしまう。どんなに叱られても当然かもしれない。本当は、自分でもそんな自分がみじめでかわいそうだ。何とかしたいと思っている。だから、そんな自分を叱って欲しいと思う。でもそう思っていても、D先生に叱られていると、次第にそんな反省する気持ちと異なった、なにかいやな気持ちになってきてしまう。だんだん、逆にD先生が憎らしくなってくる。」という。

「どうしてかな?」という私の問いに「よく、わからない。けど、何かごちゃごちゃうるさいから。授業中の態度がどうとか、去年の担任もいつも困ってたとかいうんだ。今日だって、ほうきを投げちゃったこと悪いと思ってるのに、何か、Dのヤツ、『最近成績下がってるぞ。そういうところにも、お前の態度の悪さが現れているんだ!』なんて、オレの今日の事と関係ないじゃないか。むかつくよ。何か、あいつ。」という返答。「そうか、むかつくね。」と返した。それから二人で空を眺めながら他愛もないことを話した。しばらくそうしていると「先生、オレ、教室に・:戻るよ。さいなら。」と駆けていってしまった。残された私はまだ、C男の気持ちを追いかけていた。

近頃職員室でよく「生徒が怒りっぽくなった」とか「感情の起伏が激しくなった」とかいう会話を耳にする。確かにC男のように教師の叱責に対して、あまり反省を示さない子どもが昔に比べると多くなっているのかもしれない。そして、時にはいわゆる「キレル」という生徒の攻撃的な反応に教師が混乱してしまうことさえある。

この事例でもD先生には決してC男を苛立たせる意図はなく、事件をきっかけに彼の人格の向上を望み、一歩内面に踏み込んだ指導を試みたに違いない。しかし、残念ながらD先生の善意はC男には届かなかった。

なぜD先生の善意がC男に届かなかったのか、このことを考えていくことが、キレやすくなったといわれている現代の子ども達と関わっていく手がかりを与えてくれるように思う。

生徒との適切な心理的距離を保つこと

この事例でのD先生の指導は、C男の「行為」に対する指導から、「人格」への指導へと向かっている。すなわち、C男の「窓からほうきを投げた」という誤った行為から出発して、過去の出来事やその背景にある態度やあり方という「人格」を矯正しようとしているのである。

このような指導は、従来の生徒指導の典型と言えるかもしれない。そして、かってならば、このような「人格」にまで踏み込む指導を子ども達は受容し、時には涙を流して反省することもあったかもしれない。確かに対象となる「行為」と、その行為の主体である「人格」は連続したものとみなされる。したがって従来その「行為」から敷衍した「人格」への指導は当然のことと考えられていた。しかし現実には、このような教師の指導を、自己の内面に土足で踏み込まれ傷つけられたと感じる子ども達が確実に増加しているのである。したがってこれからは、子ども達の心に土足で踏みこむ「内面への蹂躙」の恐れをはらむ指導と、踏み込み過ぎを戒め心の理解をめざす「内面の包容」といえるような援助の相違を切実に考えていかなければならない。

例えば、生徒を呼び捨てにすることは、現在では保護者的な思いから発する「親愛の表現」ではない一面を強く持っている。なぜなら、生徒を「保護し守るべき弱い子ども」と見るより、「失敗もするが自立し尊重しなければいけない小さな大人」と認識するとき、呼び捨ては「人権の軽視」と考えられる側面を持っているからである。

ともあれ、中学校は、児童期を経た子ども達がはじめて経験する本格的な社会参加の場である。そこで子ども達は自己のアイデンティティを獲得し、他者との関わりをさまざまな体験を通して学んでいく。したがって教師は、彼らの自己の確立を援助するための、適切な身体的・心理的な距離感を保っていかなければならない。彼らの個の存在を認めるような適切な距離は、おそらく、それまでの疑似家族的な人間関係より少し距離をとったものなのであろう。教師がこのことを自覚し、彼らを自立した存在と認めることから、援助の道がはじまるのではないだろうか。

事例3

F子はもういじめられていないの?

中二のF子がよく相談室に顔を見せるようになったのは、梅雨の明けた七月初め頃だった。最初は、週に二回ほど昼休みに来室し、部屋の隅で箱庭の人形を並べ替えたり、磨いたりしていた。二週間ほどすると来室は次第に頻繁となり、放課後や始業前のほんの数分の問にも、顔を出すようになった。何をしているのかと言えば、やはり、箱庭のミニチュアをいじっている。「お人形、好き?」と聞くと、こっくりとうなずいた。担任の話では、一年生の頃からおとなしい子だったが、ここ最近特にその傾向が顕著で、ほとんどクラスでしゃべらない。どうも、クラス一気が強いG子に、何かきついことを言われることがあったらしい。何度もそんなことがあるうちに、G子に遠慮してなのか、F子はますます寡黙になってきた。相談室に行っているのなら、何がつらいのか聞いてみてくれないかとのことだった。

『F子はいじめられているのかな?』と感じはしたが、彼女には特別、私にその気持ちを吐露しようという素振りはみられなかった。私としては、F子は今のところ、相談室という空間、いわゆる安心できる「心の居場所」に存在することに大きな意味があるように思えた。風のように入ってきて、部屋の片隅で、ミニチュアに触れながらほんのひとときを過ごしていく。それで彼女の崩れそうな心の安定が少しでも保てるなら、それ以上私から彼女に働きかけることはなかった。

七月の後半、期末テストも終わり、学校では球技大会やボランティア体験会など行事が目白押しになってきた。それとともに、F子の来室は日毎に増し、今や常連になっていた。そんなある日、いつものように放課後の小一時間を、部屋の片隅で過ごしたF子が帰った後のことだった。さっきまでF子がいた場所をふっと見ると、箱庭にミニチュアが置いてある。いままでF子は、ミニチュアを並べ直したりよく触ったりはしていたが、箱庭にそれを入れることは一度もなかった。『どんな様子かな』とのぞいてみて、思わずはっとさせられた。置いてあったミニチュアはたったの二個だった。ひとつはいつもはトラックの荷台に乗せられている小さなブタ。それが今はトラックから降ろされ、一匹のブタだけを使ってある。そしてもうひとつは、白雪姫の魔女。箱の左上の隅にこちらを向いたブタが半分砂に埋まっている。そして、そのブタの正面にブタの十数倍の大きさの魔女が立ちはだかっかている。たったそれだけの作品だった。

私の『いじめられているのでは』という思いは、今や確信に近くなっていた。F子のクラスでの様子がとても気に掛かった。幸いにもF子の担任は、F子のクラスでの居心地の悪さを敏感に察知し、さりげなく彼女を庇っているようであった。例えば、球技大会でのバレーボールのチーム分けでは、F子がG子と同じチームにならないように配慮した。昼食や掃除の時間など、F子が仲間外れになりそうな時間帯には、自然な形で教室に居るようであった。私は、それでもやはり彼女のことが気に掛かり、担任に夏休み中の配慮をそれとなく促した。

夏休み明けの九月、やはりF子は元気がなかった。一学期と同じように相談室の隅に休憩しに来る。「今日は暑いね。}というと、小さく「うん」と返答したり、帰るとき「さよなら」と挨拶するようになっていた。

ところが、九月の終わり頃から、このF子が次第に相談室に顔を見せなくなってしまった。『どうしたのかな?』と再び気に掛かり、担任に様子を尋ねてみた。すると「F子さん、元気になってきてますよ。最近は、教室にいることが多いですよ。」と言う。担任なりに思い当たることとしては、二学期の初めの学級レクリェーションの時、二人ペアで答えるゲームをした。この時担任は、ふと思いついてF子がH子と組むように配慮した。実は、H子はF子と似たような無口でおだやかなタイプ。出身小学校が違っていたため、二人は同じクラスだったがこれまで交流する機会がなかった。そこで、担任が自然な出会いのチャンスを作ってみたのだった。最初は、H子が話しかけることが多かったらしいが、次第に、F子も受け答えから、自発的に働きかけるようになってきたらしい。
今では笑顔も見られるようになり、ほとんどいっしょに行動している。

H子もずっと一人でがんばっていたので、F子の存在は好ましいもののようである。G子の風当たりは依然として強いが、F子は以前のように落ち込まず、H子と肩を寄せ合うようにいっしょにいる。「F子がG子以外のクラスの生徒に目を向けられるように何か行事でも考えたら・・・」と夏休みの研修の時に話し合っていた担任と私は、やや好転した事の成りゆきに安堵した。

秋風が立ちはじめた十月、久しぶりにF子が相談室に顔を出した。今日は、あのH子といっしょだ。中に入ってくると、やはり以前のように部屋の隅に座っている。最初は何か話し声が聞こえたが、そのあと、その声も聞こえなくなった。それから、三十分程経っただろうか。「先生、さよなら。」とF子は小さな声で言って、一人いっしょに戸口から消えて行ってしまった。

それ以来、F子は一度も相談室に現れない。その代わり私は、H子と楽しそうにおしゃべりしながら廊下を歩いているF子とよくすれ違うようになった。担任がH子との出会いを作ったことで、あんなに元気のなかったF子が見違えるように生き生きとしている。あの日の相談室への来訪は、「相談室とのお別れ」の儀式だったのだと元気なF子を見て納得した。

斥力よりも引力を学校魅力の創造へ

人が自分の周囲の社会に対して「不適応」状態になってしまう時には、おそらく各ケース特有のきっかけや原因がある。F子のケースでは、クラス替えで気の合わないG子と同じクラスになったことがそれにあたるであろう。このように、不登校やいじめなどのいわゆる「学校不適応」にもさまざまなきっかけや原因が存在する。両親の不和、兄弟の確執などの「家庭内要因」、担任との相性、クラス替えなどの「学校内要因」、神経質や分裂病の発症などの「個人内要因」など多様である。そして、これらの要因が、その子どもを学校から遠ざける大きな斥力となっているのである。

従来、私たち教師はこれらの斥力の存在に目を奪われ、排除することに力を注ぐことが多かった。両親の離婚騒動を耳にすると、家庭内の問題に踏み込んで不仲の両親を説得したり、トラブルを起こす担任が原因となると、親の要求通りに担任を交代させるような事態さえ断行する。

しかし、果たしてこれらの斥力を排除することばかりに囚われていてよいのだろうか。

以下は、私が教育センターで相談を受けたケースの概要である。子どもが「自分はこの学校が嫌い。別の学校なら行ける。」と訴えた。そこで転校させてみた。

しかし、やはりその学校にも行けない。するとまた子どもが「通学の時のバスにいやな子がいるので行けない。」というので、バス路線を変えるために一家で転居した。ところがそれでも行けない。すると今度は「お父さんが妹ばかりかわいがるからいやだ。」というので、母親とこの子が家を出てアパートに住んでみた。ところがそれでもやはり行けない。あげくに家の中で「お前のせいだ。」と母親に暴力を振るうようになってしまった。両親はこうした原因探しの長い旅に疲れ果てたあげく、最後に教育センターに来所されたのだった。

子どもが不適応の状態に陥ると私たちはともすると、その原因を探り、援助の視点を原因の排除の方向に向けやすい。だが、原因は原因としてそこにひとまず置き、少しその周囲にある肯定的な要素に目を向けてみてはどうだろうか。それまで、背後の風景となって見逃していたものの中から、価値ある要素が浮かび上がってくるかもしれない。

確かに昔に比べて学校が生徒に与える魅力は低下しているが、それでも、一日の約半分の生活時間を占める学校には、子ども達を引きつける何かが存在しているはずである。あるいは、魅力がなくなった今だからこそ、あってもいままで気づかなかったものや新たな魅力を発見し創造し、子ども達に発信していかなければならないのではないだろうか。

例えばそれは親友の存在かもしれない。あるいは、思う存分力を発揮できる部活動かもしれない。時には、心密かに思う片思いの異性の存在でもあるだろう。そして、自分を理解してくれる教師との出会いが子どもにとって一番の魅力になるかもしれない。現在の学校にも「学校でしか味わえない魅力」いわば学校への引力といえるような日常が存在する可能性はある。学校での肯定的な体験、子ども達を学校に引きつける引力が、不適応のきっかけとなっている斥力より大きなものとなれば、子ども達の再生の可能性が高まることとなるであろう。斥力に目を奪われそれにとらわれるよりも、子ども達が思い描く「学校魅力」を発見、創造し、開発することが今教師に求められている。学校の魅力が低下している状況の中で、以前にもまして教師はこのことを自覚すべきなのである。

自らの生き方を見つめることを

これらの事例からわかるように、豊かな時代を迎え、子ども達の心の有様は、小さな差異に容易に影響を受ける、より繊細で敏感なものとなってきた。この現状に対して「過去にとらわれる心の不自由さを自覚し、目の前の子どもをしっかりと見つめること」「子どもとの適切な心理的距離を保つこと」「斥力のみにとらわれず、引力を見つけ創造し、それを子どもに投げかけること」という援助の視点を提案した。そしてこのことはもちろん、教師のみならず我々大人がそれぞれの立場で子ども達に接する時の援助の視点であると確信している。

社会の変化の激しい現在、この援助の視点もまた時代の変化とともに刷新していくべきものとなろう。そのため最後にもう一点、私たちに求められる援助の視点を提起しておきたい。大人や教師による子どもの心の理解は、以前に比べ難しくなっている。一面で、研修会や研究会に参加し専門性をみがき、子どもの心の理解や関わり方の技術を身につけることは重要であろう。しかし、より重要なことは、私たち大人が自分自身の心をみつめ、自分の心の動きに敏感になることだと思う。なぜなら、私たち大人も子ども同様この豊かな時代を生き、昔に比べ小さな差異に影響を受けながら日々暮らしているからである。

子どもの心を自らと異なる別個の存在とみなすことなく、自らの揺れる心の延長線上に見い出す時、そこにその時代に生きる子どもへの理解が生まれる。それは、こどもとの異質性の基底に、現代という時代をともに生きる人間としての共通性を見い出すこととも言えるだろう。

やや言い古された感もあるが、他者(子ども)理解は自己理解からはじまるのである。

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