暁烏敏賞 平成8年第2部門本文「子どもと居場所 不登校児への援助を通して」2

ページ番号1002611  更新日 2022年2月15日

印刷大きな文字で印刷

第12回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

2.新しい居場所づくり

(1)新しい居場所とは

不登校の子供連が増加するにつれて、従来の学校の外に子供連の新しい居場所を創る動きが徐々に現れ、現在大きなうねりとなってきている。草の根的な民間のフリースクールや施設は言うに及ばず、公的機関でも、適応指導教室(不登校の子供達を援助・指導する学校外の教室)の設置が急速に進み、この数年の間に全国で約五〇〇ヶ所にまで達している。また、文部省も、一定の条件のもと、これらへの通室(通所)を学校への出席扱いとみなしてよいとの見解を発表している。

フリースクールにせよ適応指導教室にせよ、学校の外に子供連の居場所を創らなければならない時代がやって来ている。誰もが学校へ行くことを当然と思っていたひと昔前には、予想し得ない状況が到来したとも言えよう。不登校の増加によって、従来の学校制度の枠組みの中で収まらない事態が生まれ、堅固で巨大な学校制度に揺らぎが生じたのである。時代を問わず、制度の変革とは、常にこのような現実の変化を追認するようにして、徐々に形づくられていくのかもしれない。不登校の子供連をひたすら学校に引き戻すことに全精力を注ぐのではなく、学校の内外を問わず、子供連の成長や発達を支える居場所づくりを重視する方向へ、子供連を取り巻く情勢は確実に移行しているのである。

ともあれ、本章では、不登校の子供連一人ひとりの成長や発達に貢献する場を創るために何を大切にしたらよいか、すなわち、不登校児への援助の実践から導き出された居場所づくりの原則を述べ、その中から居場所の持つ意味を明らかにしていきたい。

居場所づくりの第一の原則は、子供連の「安全と自由を保証する」ことに尽きる。不登校の子供連は、学校での教師や友達との人間関係に失敗し深く傷ついている場合が多い。さらに、登校しないことによって、身内からの叱責や非難に晒され、両親を中心とする家族との関係も悪化し、まさに四面楚歌の状態に置かれている場合が多い。学校での対人関係、さらに家族との関係、彼らを取り巻くすべての関係で傷つき、彼らの心には不安や不信や憤りが渦巻いている。このような子供連の場合、家庭の外に居場所を見つけようという意欲すら失っていることがある。フリースクールにせよ適応指導教室にせよ、これから訪れる未知の場が果たして「自分の気持ちを本当に分かってくれるのか」、「ひょっとしたら叱られたり学校に無理矢理連れて行かれるのでは」など、彼らの心に不安や疑念が募り、来所に二の足を踏むことになる。

アメリカの心理学者のマズローは、人の要求(欲求)に関して有名な階層理論を提示した。その中で、}、生理的要求二、安全の要求三、所属と愛情の要求四、自尊の要求五、自己実現の要求を区別し、より基本的な要求が満たされるに従って、より高次の要求が現れるとマズローは考えた。この理論に従えば、不登校の子供達の多くは、学校での対人関係や家族との関係の失敗や悪化によって居場所を失い、1、の生理的要求だけが充足される状態への後退を余儀なくされている。結果として、2、以降の要求はほとんど剥奪されてしまい、無気力な状態に陥ったり、ときには精神病を思わせる症状を呈するようになってしまうことさえ起きてくる。

従ってまず第一に、マズローのいう二、の要求が満たされるよう、子供連に安全と自由が実感できる場を創ることがもっとも肝要である。そのためには、自らの言動が叱責や非難に晒されることなく、あるがままの言動が許されるという体験が、子供連に是非とも必要になってくる。援助スタッフは、スタッフの価値判断を子供に押しつけるのではなく、ひとまず自らの価値判断を括弧に入れ、子供連の言動を条件をつけずに受け入れることから始めなければならない。言え替えれば、スタッフが目前の子供に対して、何かを意図的に働きかける前に、まず子供とともにいることから始めなければならない。

やや気取って言えば、「すること(Doing)から、在ること(Being)へ」と発想を転換することでもある。子供連を援助するとき、とかく子供連のために何かをしなければ(Doing)と焦ることが多い。しかし、子供連に安心を実感させる鍵は、ゆったりと子供とともに在ればよいこと(Being)を、援助する側が心から納得することであろう。この場合、「ともに在る」とは物理的な距離の近さを意味していない。ときには、そっと見守る方が深い共感を呼ぶことも多い。援助者のぺ!スでなく、子供のペースやリズムを尊重することが肝要となる。比喩的に言えば、ラジオのチューニングが連想できるかもしれない。援助者の周波数でなく、まず子供の周波数を尊重し理解していくことが援助者に課せられた命題と言えよう。

子供達が安全と自由を実感するとき、彼らの不安や疑念は払拭され、「受け入れられた」「分かってもらえた」という気持ちが生まれてくる。彼らの中に、再び居場所を見つけ出そうとする意欲が蘇ってくる。そして、閉ざされていた心に希望の灯がともり、彼らの訪れた場が心の傷を癒す力を持ち始めるのである。

さて、自分の言動が拒否や非難されないという体験は子供連に安心感を与え、それとともに所属や愛情や自尊など様々な要求が生まれてくる。換言すれば、隠れていた「元気さ」が蘇り、子供の中から何かをしてみたいという気持ちが沸き起こってくる。そこで大切なのが、居場所づくりの第二の原則の「自己決定の重視」である。

やや唐突であるが、不登校を車の運転に例えれば、不登校とは、学校という高速道路を降りて、一般道路を地図や標識を頼りに独力で進んで行く状態とみることができる。行き方や走り方がはっきりした高速道路同様、学校は目的地へもっとも効率よく運んでくれる。

それに引きかえ一般道は、常に厳しい判断や決定が要求される。交差点を右折するか左折するか、直進するか迂回するか、各自の判断や決定がその都度要求される。もちろん学校に通っている子供連にも同様の判断や決定が要求される場面があるが、それは不登校の子供連の比ではない。不登校の子供連の場合、朝何時に起きるかに始まって、テレビを観るか、ゲームをするか、それとも勉強するか等々、一日の生活すべてを自分で決めなければならない立場を余儀なくされる。このような立場にたたされた不登校の子供連が、実際に独力で生活を律していくことは至難と言えよう。たとえ大人であっても、毎日が日曜日のような生活を長期間続ければ、生活のリズムが崩れてしまいかねない。ましてや子供の場合、しかも、登校しないことで様々の葛藤に直面している子供では、判断や決定を放棄し、結果として生活リズムが崩れてしまうのは当然であろう。

不登校の子供連の状況をこのように考えるとき、彼らが自らの意志で物事を決定し実行していく力を獲得していくことは極めて大きな意義をもつ。不登校によって、子供連は学校に行っている以上に、物事を自らの力で決定し実行する必要に迫られているのである。ひょっとすると、高速道路を走る子供、すなわち休まず登校している子供以上に、不登校によって自分で物事を決定するチャンスに恵まれたと言うことができるのかもしれない。ともあれ、安全と自由を実感し元気が蘇ってきた子供達に、自分で決定する体験を持ってもらうことが、新しい場の大切な課題となってくる。

しかしながら、子供の自己決定が、必ずしも責任ある行動に結びつかないことがある。自分で決めたにもかかわらず、決めたことが実行に移せなかったり、中途半端になって頓挫してしまうことがある。子供達の決定には、このような面がしばしば現れてくる(もっとも子供だけでなく、大人でもそうかもしれないが)。大人でも子供でも、たとえ自分で決定しても、それが常に実行に結びつくとは限らない。ましてや、心に傷を受けている不登校の子供連の場合、むしろ、遂行に失敗することの方が多いかも知れない。そんなとき、居場所づくりのための第三の原則が意味を持ってくる。第三の原則とは、子供達の「試行錯誤を許す」場を創ることにある。

F男も、試行錯誤を繰り返した一人である。旧家の次男に生まれたF男は、幼い頃から優秀な兄と比較されながら育てられてきた。世間体を重んじ口うるさい両親に不満や反発を感じながらも、それらを心の奥に抑え込み、一見無口で従順な少年として思春期を迎えた。しかし、中学二年の後半、学校での友人関係をきっかけに不登校に陥る。閉じ籠もりの期間を経て、適応指導教室に通うようになる。安全と自由を実感する中で、教室が徐々にF男の居場所になっていく。

元気になるにつれて、教室でのF男の行動に変化が現れてくる。当初「遅れている勉強を取り戻したい」と意気込んでいた学習はまったくしなくなる。毎日来室するとの約束も反故となり、気の向いたときに来室し帰るという状態になっていく。教室で知り合った友達を引き連れて、ゲームセンターやカラオケに出かけることが増える。母親の話では、家の中でも口答えすることが増え、親の前で平然と喫煙をすることも最近あるという。F男のこのような行動に直面したとき、彼を取り巻く多くの大人は、おそらくF男の行動の規制に向かうであろう。一般に、親や教師をはじめ多くの大人は、子供連の試行錯誤をできるだけ回避する方向へ動きやすい。もし発見すれば、それらは問題行動や逸脱行為と呼ばれ、直ちに除去を意図した対応が開始されることになる。しかし、子供連の居場所づくりを目指すとき、子供達の試行錯誤に問題や逸脱というレッテルを貼るのではなく、それらの行動の意味するところを、子供連の心の状態に基づいて熟考することがまず大切となる。

F男の教室や家庭での行動は、一体何を意味しているのだろうか。F男のみならず、人は安全と自由を実感するにつれ、心の中の封印が解かれ様々な要求が生まれる。心の中に押し込められた様々な思いが解き放たれてくる。それは、必ずしも自己実現に向かうとは限らない。前向きな希望や夢ばかりでなく、ときにはまるでパンドラの箱のように、苦悩や災厄をもたらす力を持っている。光のあるところには影が生まれる。人の営みは、常に逆説を含んでいる。

F男の行動も、長年心の奥に抑え込んできた両親や友達への不満や反発が形を変えて、安全で自由な場の中で、溢れだしてきたと考えられる。いずれ直面しなければならない心の屈折した思いが、親を始めとする大人達が嫌う、一見無責任で気ままな行動としてあらわになってきたのである。安全と自由を実感したからこそ、抑え込んできた思いが顕現してきたとも言える。安全で自由な場は、ときに子供連の試行錯誤を促進することがある。特に、心に深い傷を負った子供連であればあるほど、試行錯誤はより激しい形で現れてくる。

しかし、ここで性急な規制に向かうのではなく、F男の行動化を受け止める度量と勇気が援助者には要求される。F男の試行錯誤を温かいまなざしで見守ることが必要となる。もちろん、叱るとか叱らないという現象面を問題にしているのではない。ときには注意することがあってもよい。むしろ大切なのは、援助者の理解の深さなのである。なぜならば、子供達は試行錯誤を通して、自らも気づかぬうちに、援助者を始めとする大人達を試しているのだから。その試みに応える努力をするとき、子供連の試行錯誤は、成長や発達へのエネルギーに転換していく可能性を持つようになる。換言すれば、援助者の理解に守られて、子供達の失敗や退行は、成功や前進に向かう力となっていくのである。

このような援助者側の態度は、一人ひとりの子供を大切にする姿勢そのものに結びついていく。そこで、第四の原則を「個別援助の重視」と呼ぶことができる。
子供一人ひとりが異なった存在であるという認識を疑う人はいない。また、一人ひとりの子供を大切にすることに反対する人もおそらくいないであろう。しかし、親にせよ教師にせよ、実際に一人ひとりの違いを大切にして、子供達に関わっていくことは意外に難しい。

例えば、子育てを考えてみたい。自分の子供に期待を抱かない親はいない。まったく親から期待されない子供は、自己や世界への基本的信頼すら獲得すことができない。親の期待は子供を育てる原動力となる。しかし、親の期待に問題がない訳ではない。親の期待は、必ずある方向性を生み出す。その方向性は、おそらく親自身も十分に気づいていない親の価値観に基づいている。もし、それが子供の気質や個性に即したものであれば、親の期待と子供の行動とは良好な循環をもたらし、子育ては順調に進むであろう。しかし、親の期待と子供の個性や気質が異なり、そのギャップが気づかぬうちに大きく広がってしまったとき、親の「期待」は「押しつけ」と子供に映り、親子の関係に深い溝が生じてくる。

上述したF男と両親の関係にその典型をみることができる。積極的な性格で学校の成績の良いF男の兄の場合、親の期待と兄の個性がぴつたり一致し、兄は順調に成長していく。一方、兄と異なり自己表現が下手で成績もふるわないF男にとって、親から向けられた兄と同様の期待は重荷でしがなかった。それでも、親の期待に応えようとF男も必死に頑張るが、親の期待をいつしか押しつけと感じるようになり、ついに力尽きてしまう。

子供の個性や気質の違いを見抜けなかったF男の親を責めることはたやすい。だが、不登校に陥るかどうかは別として、このような親の期待と、子供の個性や気質が一致しない家庭はたたくさん存在する。程度の差はあれ、親の期待と子供の個性や気質は、往々にして一致しないのである。まさに「期待」と「押しつけ」は紙一重と言えよう。子供一人ひとりの個性や気質を理解し対応して行くことは、現実には相当に難しいことなのである。この辺りの事情は、学校の教師と生徒の場合も同様であろう。

それでは、個に即した援助を行うためにはどうすればよいか。まず、指導する大人と指導される子供という固定的な発想、すなわち指導者と被指導者という発想を捨て、対等な位置で、子供理解に基づく信頼関係を築いていくことが大切である。例えば、対人関係の選択権が大人側ではなく、子供の方にあっても一向に構わない。子供連が、いわゆる「馬の合う」大人を選択することは、指導者と被指導者という発想を捨てればごく自然な行為と言えよう。そして、子供から選ばれた大人は、子供の話にじっくり耳を傾け理解を深めていけばよい。このような柔軟な枠組みの中で、不登校の子供連の個別援助は進展して行くのである。

また、個別援助を進めるためには、子供連の活動が異なってもかまわない、より積極的に、子供連の活動が違うことを前提にした上で対応していくことも肝要であろう。例えば、ある女子が急に集団から離れ独りになりたいと言えば、たとえ援助スタッフが彼女の集団内での活動を期待しても、その言葉に耳を傾けるべきであろう。援助者に大切なことは、彼女を集団に戻すことでなく、なぜ彼女が独りを望むのかを推測してみることである。なぜなら、その推測は、援助者の彼女への理解の深さを反映しているのだから。

このような、あくまで子供一人ひとりに焦点を当ててじっくり関わっていく個別援助の姿勢が、子供連の成長や発達を醸成する場づくりに不可欠になってくる。そのためには、子供の多様性を素直に受け入れる度量と、教師生徒、親子供、指導者一被指導者という従来の図式に拘らない勇気を持てるか否かが、常に援助する側の大人に問いかけられているのである。

ここまで、子供連の居場所づくりのための四つの原則を述べてきた。「安全と自由の保証」「自己決定の尊重」「試行錯誤の受容」「個別援助の重視」、これらの姿勢に守られて、子供連は居場所を実感し、自発的な仲間集団を形成していく。そして、仲間集団は子供連を支える大きな力となって行くのである。

G男の家は、母一人子一人。彼が物心つく前に母親は離婚し、爾来、母親は女手ひとつでG男を育ててきた。G男は生まれつき体が弱く、他の子供連に比べると小柄で体力も乏しかった。母親は、他の子に負けまいと、そんなG男に過保護とも思えるほどの指示や叱責や干渉を繰り返してきた。そのせいか小学校六年まで月に数回休みながらも、G男は何とか学校生活を送ってきた。しかし、思春期の入り口に差しかかり、周囲の子供連が少しずつ変貌を遂げていく中で、G男は徐々に取り残されていく。小学六年になっても母親から離れられず、一緒に寝ているG男にとって、思春期的な雰囲気を漂わせ始めた周囲の子供達の言動は、不安や恐怖を感じさせるものになっていった。学校での孤立に比例して、母親への依存が深まっていく。ついに、G男は登校を渋るようになる。

さて、適応指導教室への通塞を開始したG男は、安全と自由を実感する中で少しずつ元気になり、いつの間にか六人程のグループにとけ込んで行った。彼が加わったグループは、小学校四年から中学校二年までの男子で構成され、比較的子供っぽい雰囲気を持っていた。いわゆる異学年同性集団で、かつて地域が機能していた時代に、児童期から思春期にかけて子供達が形成したもっとも典型的な集団とみなすことができる。

その特徴は、遊びを通して集団の中の地位や役割やルールが分化し、小さな子供社会が構成されていくところにある。すなわち、年上の子供がリーダーシップを発揮し、年下の子供連がそれに従い、その中で子供連は、親からは学べない様々な社会的な知識や技能や態度を身につけていく。G男が出会った集団も、まさにここで述べたような特徴を持っていた。テレビゲームに興じたり、野球をしたり、ときには小さな子供のように鬼ごっこに夢中になったりと、心ゆくまで遊びを満喫させてくれるグループであった。こんな集団を「群れ」と呼びたい。子供達は、子供同士の「群れ合い」を通して成長していくのである。

G男は、「群れ」との関わりを深めていく中で、少しずつ逞しくなっていく。最初、母親に付き添われて通っていたG男は、グループに加わる頃には、一人で通ってくるようになっていた。G男の実感からすれば、「母親と来るのを友達に見られたら格好悪い」というところであろうか。通室を始めて半年もする頃には、母親とも離れ、ひとりで寝られるようになった。また、週末にはグループの友達と出かけることも増えた。これらの変化は、母親から友達との付き合いへと、彼の対人関係の重心が移行した現れと言えよう。一年を過ぎたある日、突然G男は「新聞配達をしたい」と言い出す。きっかけは、グループの先輩が数カ月前から新聞配達を始めたことによる。先輩の話を聞くうちに、「僕にもできそう」とG男の中に意欲が沸き起こってきたのであろう。「体が弱くとてもできそうにない」と当初新聞配達に否定的だった母親も、最後はG男の希望を受け入れる。母親の予想に反して、G男は雨の日も風の日も決して休むことなく、毎日新聞を配り続けた。カウンセリングの中で母親は、「あの子がこんなに頑張れるなんて、思ってもみなかった。G男の好きなようにやらせてみてもいいと、やっと思えるようになった」と語る。G男の母親から仲間集団への乗り換えは、G男の親離れを強化し、それは、また同時に母親の子離れを促進する結果になった。G男は母港を離れ、仲間と共に大海原に漕ぎ出したのである。

より良いホームページにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページは役に立ちましたか。

このページに関するお問い合わせ

観光文化スポーツ部文化課
〒924-8688 白山市倉光二丁目1番地
電話:076-274-9573
ファクス:076-274-9546
観光文化スポーツ部文化課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。