暁烏敏賞 平成8年第1部門本文「『聞く』態度をきわめた人暁烏敏小論」3
第12回暁烏敏賞入選論文
第1部門:【哲学・思想に関する論文】
14.とどまらない
「真実報土の行人は、何んのこだはりもない。新しいことを聞いて、明らかな世界に手を引かれて行く。真実報土の行人は、毎日のことが新しく、あるもの、あることを喜こぼして頂けるのであります。その報土に生まれる者は極めて少ない。化土に生まれる者は多いと言はれたのは、かういふ心から言はれたのであります。どうも、人間は止どまり易い。善いことに止どまり、一寸ばかり喜こばれると喜こぶことに止どまり、ちと分かると分かつたことに止どまる。」(15)
人間にとって、毎日、生まれなおすことが大切だ。日々新しくなる。今日という日を一心に生き、一心に開く。人間、ややもすればこれだけ努力して来たのだから、ここらで一休みしたっていいのではないかと、とどまりやすい。これではいけない、すきがあるというわけだ。こだわらないということは、同じ所にとどまらないということである。その場を破るということである。一日一生、日々生まれ変わる。そのエネルギーの根底に何があるのか。何があれば、それが可能なのか。生死を賭した願いである。願いの強烈さだけが、それを可能にする。得たもの・つかんだものは、宝海の一滴にすぎないのではないか。それを自覚したら、毎日、両手で宝海の水をすくいつづける以外にない。人間にとって必要なものは、得たものではない。喜ぶことも一瞬のうちに投げ捨てないといけない。喜ぶということも迷いである。これを悪魔として退けることが必要である。瞬時もとどらないということが、無礙光を頂く絶対条件である。そのためには、仏に礼拝することを繰り返す以外にない。礼拝というもっとも旦ハ体的なもっとも平凡な所作を繰り返すことだけである。礼拝の行為を言語化したものが、南無阿弥陀仏と唱えることである。これは、身体全体で、沈黙のうちに唱えることができる。日常生活の一呼吸、一呼吸、南無阿弥陀仏になりきれるよう訓練していく以外にない。
15.永遠のいのち
「一人の人があって大海の水を汲み干さうとするに、子孫その志を相継ぐとしたら、数千万年かの後その願ひが遂げられて、遂に海底の宝を手にすることが出来るのは必定である。人が真心こめて道を求めて止まなかったら、きっと大願を成就するのである。世自在王仏が法蔵菩薩に対して仰せられた御言葉に「我々の生活に断念はいらない」といはれたことは大きな教訓ではないか。断念してはいけない、いつまでも希望の道を進むのである、願力の大道を精進するのである、いつまでも不退転の道を行くのである。身は死んでも希望は死なない、その希望にこそ永遠の命がある。」(16)
毎日の生活の中で、本願に従い、本願に導かれて大道を歩む時、不退転の心で歩きつづける。断念することが一番いけないことなのだ。この道を歩きつづけることにおいてのみ、絶対に何物にも壊されない希望がある。この希望の中で、永遠の命とつながっているのだ。この地上にありながら、永遠の命を実感させてもらっているのである。私共の人生の目的は、仏になる道を歩むことにあるとしたら、永遠のいのちである仏の光に合体するために、この地上の生涯があるということになる。
終わりに
暁烏敏は、自己の存在を凝視しつづけ、その中に十方衆生を発見した。つまり、一人の中に万人の姿を見たのである。さらに、万人の姿の向こう側に突き抜けて行った所に、仏の姿を拝んだのである。こうしたことを、彼の法話・座談に直接触れた人々の証言を通して、暁鳥敏像を確認して置きたいと思う。
氏は大衆の中に入って行った。
「今思ひますに、暁烏先生は仏教でいはゆる衆生縁の深い方でありました。」(a)
「まあ暁鳥先生は教団外の人に多くの信者がある。例へば北本願寺とでもいふものを創立してもできる位の信者を持ってをられた。小さい伝統にこだはらずに、宗教の本質にふれてゆかれた。そして今まで無縁の大衆が先生の教へによって随喜していったといふことは、日本の思想界の上に見逃せないものちやないかと思ふんだ。」(b)
なぜ、大衆は、氏のことばに随喜したのか。
「先生は聴く人でした。聴く人は受け納れる人ですからね。」(c)
「詣つた人達が感話を述べられるが、それを全部黙って聴いてをられた。黙って聴くといふことは容易のことで出来るもんではないからね。」(d)
「説教者になるな。決して説教するな。聞く人となれ、いつどこででも如来の声を聞き得る人となれ」「妥協するな。自分の本心を聞いて進め。…」(e)
「この頃の先生は、読んでみる本は止めても、書いてみる原稿は中途になっても、どんな話でも、相手になりきって聞かれる。いつまでも。」(f)
「先生は真剣に全身で聞かれましたです。」(g)
これだけ徹底して、大衆の声を聞くことができたから、話すことばが生きて来る。
「実際法話とか座談とかいふものの妙味を暁烏師によって知ることが出来た、それ程暁鳥師の法話といふものは上手であった。」(h)
「先生のお話といふものは、法と先生の生活がぴったりと合うてをつた。自分の日暮しの底から話された。(中略)先生のお話は本当に身にふれてきて、有難かつた。」(i)
氏は、聞く人に応じた説法を展開する。
「"生きる"といふのは、自分の衷心に願ひを見出すことなんだ。何物にも揺がない願望を発見することだ。そしてそれを貫くことなんだ…」
「自分で見つけるんだ!汝自当知といふことだ…自分の生涯の仕事として何を選ぶか、自分の人生をどの方向に設定するか、それを定めて真つしぐらに進むんだ、(後略)」(j)
「僕はあの頃は、焼けたあとの店がやってもやってもうまく行かんで、につちもさつちもならなくなってをつた。(中略)そしたら先生は、まゝを食うて、糞を乗れて、空気を吸ってやって行けと言はれたね、全く。僕はこの答で心機一転してやり出しましたよ。」(k)
氏の人物の大きさは、十方衆生が包み込まれているからである。
「人間としてあれほどの自由人はなかった。実にやはらかな、やすらかな自由さ、それは仏教の教へと御本人の性質とが一致して起つたものと思ふ。それに大きい。あれは修養ぢやないと思ふよ。修行をつんで出来た自由さちやない。天性のものがあるんだね。(下略)」(l)
「暁烏さんといふ人はどんな人にでも応じてゆける用意のある人だなあと、その大きさを思ったものである。」(m)
氏のつぶやきの中に見える自画像
「わしは世話焼は嫌ひで出来んけれど、花咲爺の灰撒きみたいなもんだ。あまねく駈けずり廻って灰撒いて歩く。一心に灰撒いて歩いてみるうちに、どっかに花が咲く。(後略)」(n)
暁鳥敏は、どんな職業人にも、どんな社会的地位の人にも、平等に、直接、相手の魂にひびくことばを投げかけた。その根底にあるのは、聞く態度の深さである。氏は相手のことばと存在を礼拝しつづけた。そして、そこには、人間存在の大道が現出しているのである。氏は、世界に向かって開かれた巨大な言語行動人であったと思う。
注
- (1)『暁烏敏全集』二巻三六四ページ
- (2)『暁烏敏全集』八巻一二一ページ
- (3)『暁烏敏全集』十九巻五四一ページ
- (4)『暁烏敏全集』九巻四六三ページ
- (5)『暁烏敏全集』十巻七〇ページ
- (6)『暁烏敏全集』十八巻四〇四ページ
- (7)『暁烏敏全集』七巻四二五ページ
- (8)『暁烏敏全集』八巻四八ページ
- (9)『暁烏敏全集』九巻五四九ページ〜五五〇ページ
- (10)『暁烏敏全集』八巻一七四ページ
- (11)『暁烏敏全集』十巻ニ四二ページ
- (12)『暁烏敏全集』二十巻一二九ページ
- (13)『暁烏敏全集』二十巻ニ四六ページ
- (14)『暁烏敏全集』十七巻四二ページ
- (15)『暁烏敏全集』十巻一六六ページ〜一六七ページ
- (16)『暁烏敏全集』十七巻一六九ページ
- (a)『暁鳥敏全集』二十五巻五〇六ページ
- (b)『暁鳥敏全集』二十五巻六二二ページ
- (c)『暁鳥敏全集』二十五巻五四九ページ
- (d)『暁鳥敏全集』二十五巻五三三ページ
- (e)『暁鳥敏全集』二十五巻五六三ページ
- (f)『暁鳥敏全集』二十五巻五九七ページ
- (g)『暁鳥敏全集』二十五巻六一五ページ
- (h)『暁鳥敏全集』二十五巻五一六ページ
- (i)『暁鳥敏全集』二十五巻五九一ページ
- (j)『暁鳥敏全集』二十五巻五六〇ページ
- (k)『暁鳥敏全集』二十五巻五七五ページ
- (l)『暁鳥敏全集』二十五巻五七八ぺージ
- (m)『暁鳥敏全集』二十五巻五八○ページ
- (n)『暁鳥敏全集』二十五巻五八七ページ
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