暁烏敏賞 平成13年第2部門本文「中学校「心の教室相談員」のあり方について『きっかけ探しの部屋』づくりの実践事例と考察」1

ページ番号1002582  更新日 2022年2月15日

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第17回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

  • 論文題名 中学校「心の教室相談員」のあり方について 『きっかけ探しの部屋』づくりの実践事例と考察
  • 氏名 高田 咲子
  • 年齢 歳
  • 住所 石川県松任市
  • 職業 教育相談員

1 はじめに

不登校、非行、いじめ、などが社会問題化する現状に対し、文部(科学)省スクールカウンセラー活用調査研究委託事業が平成七年度に始まり、拡大されてきた。また、平成十年度から石川県内の中学校に、生徒たちが気軽に悩みや不安を話すことができ、ストレスを少しでも和らげることができる相談相手、聞き役として、「心の教室相談員」が設置されている。子どもたちに関する問題の解決には、学校、家庭、地域社会などでの取り組みが、勿論大切と考えられているが、学校における取り組みの一つとして、相談活動への社会的要請が高まってきているのである。

このような中で、筆者は中学校の心の教室相談員として、日々、試行錯誤を重ねながら、子どもたちに接してきた。子どもたちは、様々な不安や悩み、ストレス、こころの傷などを持っている。それらを、子どもたちが自分の存在を大切にし、自身の力で解決し、あるいは癒してゆける力が、本来、子どもたちみんなにあると確信し、そう願ってもきた。

相談員は、子どもたちに寄り添って、どのような手助けができるのか。

子どもたちが求めている居場所、空間とは?そして、子どもたちの感情世界を受け入れるにはどうしたらいいのか。また、学校という組織の中で、相談員がどのような位置付けを持ってゆくのか。

筆者は、かつて中学校の教師として、生徒のカウンセラー的立場に立つことを望み、その難しさと壁を感じた。その後、通信制の高校で様々生徒たちと接し、教師として、カウンセリングマインドを持って相談活動にあたろうと試行錯誤した。そこで実感したことは、(a)教育が持つ「規制」を強要されず、ゆったりと心のエネルギーを蓄えられ、また、どんな感情をも自由に表現してもよいという、開放的な場が、学校において必要とされていること、(b)開放的な場の中で、自分自身に気づき、自己本来の潜在力が沸き起こってくるための、きっかけ作りが大切であることであった。これらの経験によって、筆者が中学校の心の教室相談員となった際に考えたのは、相談室を「子どもが自己の感情を明確にし、現在の自分の内的世界をより明らかにすることにより、本来持っている、自然な回復力を刺激することのできるための、きっかけ作りができる場」「相談員が、子どもの感情世界を受け止め、共感的に応じながら、きっかけ探しの手助けができる場」としての「きっかけ探しの部屋」にしたいということであり、それを目指して今日まで活動を進めてきた。

本論文では、これらの活動を事例として紹介するとともに心の教室相談員(及び相談室)のあり方について考察を加えるものである。

2 中学校の教師として感じた「相談」の難しさと壁

中学校の教師をしていた時、職員室に何か手助けが必要と感じた生徒を呼んで、「どうしてああいうことをしたのか、言ってごらんなさい。」「今、どんな気持ちか聞かせて。」「元気ないけど、なにかあったの?」などと質問しては、無言の生徒と長時間向き合っていた。「かまわないで。」「放っておいてくれ。」そんな声が聞えてくるような中、生徒の心の中が知りたい、話してほしい、精一杯の心をこめて、どれだけでもつきあっていこうという気持ちだった。一瞬→瞬が緊張であり、非常に厳・しい時間であった。しかし、おそらく生徒にとっては、侵入的な教師に、自分の孤独感を深めていく空間であったのではなかろうか。

「話してごらんなさい。話すだけで少しは楽になりますよ。」「話してくれなければ、先生は何の手助けもできませんよ。」「先生の心の中だけにしまっておくから、少しだけでも自分の考えていることを外に出してみて下さい。」生徒の良き相談相手になり、思春期特有の問題に苦しむ状態から、一緒に出口を探すことはできないかと、必死で言葉をかけ続けた。しかし、そんな時、生徒は職員室の椅子に落ちつきなさそうに座り、そわそわしていたり、おどおどして目を合わせなかったり、イライラする気持ちを露骨に表してみたり、全く無表情に押し黙っていたりした。

勿論、全ての生徒が心を開いてくれないわけではないし、生徒の心を上手に外へ引き出すことのできる教師も多い。しかし、幾度かこういう場面を重ねるうちに、筆者は自分の熱意が伝わらないもどかしさ、教師としての未熟さを思い、自分を責めながらも、次のことを強く感じるようになった。それは、(a)生徒が(必ずしも心を開かないのではなく)自分の心の中にあるもやもやした何かを自分自身でもはっきりと理解していないのではないかということ、(b)そうしてそれを適切な言葉で表現することのできない不安や孤独感をも含む無言のメッセージを教師が受け取ることができないのだということ、(3)それには何か理由があり、状況が変われば乗り越えられる可能性があるのではないか、どこかに「きっかけ」があるのではないか、ということである。

この後それらを自分の中で明らかにできぬまま、通信制の高校へと転任する事となった。

3 通信制の高校で見つけた「きっかけ」

(1)生徒の求めていた空間

通信制の高校に転任した私は、様々な生徒たちと出会うことになった。

「若い頃できなかった勉強をしょうとして」、「いじめられて」、「先生を殴ってしまって」、「身体が弱くて」、「経済的な理由で」、など、通信制を選んだ理由は多岐にわたる。そんな生徒たちと授業として向き合うのは日曜日だけで、平日は様々な話をして過ごす毎日である。そこは、学ぶという本人の意思と主体性を尊重し、学びを強要する場ではなかった。

私はまず、自分と生徒に気楽な環境を作ろうと考え、自分が図書教諭を兼ねていたこともあり、平日はなるべく職員室ではなく、図書準備室にいることにした。図書準備室には、ゆったり座れる椅子もクッションもある。漫画なども多くおいてあり、作業途中の本やマジックなども雑然と広がっているが、それなりに私にとっても職員室からここへ来るだけで何かほっとできる場である。植物を置いたり、壁掛けも飾ったりして、ポットも置いてみる。

そこに来る生徒たちは、勉強の内容の質問はもちろん、家庭のこと、友人のこと、恋の悩み、仕事のこと、将来のことなど次から次へと話題を提供してくれる。

そんな中、中学校にいた時とは違う何かを感じた。まず、職員室という場所についてである。そこで生徒の感情が自由に解放されただろうか。そこでなら自分の気持ちを何をも気にせず表現し、それを受け止めてくれると確信できる場であっただろうか。そして、生徒に向かい合う教師としての自分自身はどうであったろうか。生徒と全く対等な立場で信頼関係を築こうとしたことはあっただろうか。教科の向上、生活習慣の規制、受験、という壁をいつも見つめ、休息や退行を認めたり、受け入れたりすることを良しとせず、まず、生徒の達成や到達を求め、評価してきた。許容的雰囲気を放任的な自由と決めつけ、生徒が自由に自分を表現できるような、心理状態を作ることができる雰囲気に配慮することはなかった。

自分の中で理解できなかったことが、明確化されてゆくようだった。

(2)図書準備室で見つけた「きっかけ」(事例A君のこと)

図書準備室に来る生徒たちは、自分の感情を自由に吐き出しているようにみえる。怒り、笑い、泣き、訴える。ただそんな生徒たちの話の中に、不思議と過去のことはあまり出てこないのだ。心の奥深く押し込まれたものは、容易に外へは言語として表現されないのである。

A君は中学生の頃から不登校になり、通信制の高校へ入学した。その日初めて図書準備室に来てソファーに座るが、なにも話さず、話しかけても言葉はない。担任の先生もA君が何を考えているのかもわからずとても不安だと言っている。それからも毎日来て、同じ場所に座り、本を読むでもなくうつむいているので、何か話したいことがあるのだろうと思い、「どう、最近?」などと声をかけてみるが反応はない。A君は何かとても重いものを心の中に持っている。できることならばそれを吐き出して楽になってしまいたいのではないだろうか。しかしどうしたらA君の感情が自由に解放され、それが言語的に表れてくるのだろう。

その言語化されていない感情が裸の姿を見せるのには、A君に莫大なエネルギーを要し、それが充分になった時である。しかし、エネルギーが充分になったからといって、心の鎧は容易にははずされない。それには生徒の心に響く「何か」が必要なのではないだろうか。、その「何か」がきっかけとなり、押し込まれた感情が外へ押し出される機会が訪れるのではないか。本人にもっかめていないその「何か」を一緒にさがしてみよう。A君の心に響く「何か」、それを探すのには、何のあてもない。しかし、どこかで見つかるはずだ。実際A君は図書準備室まで足を運んできている。これがすでに一歩である。そうだ。ここは図書準備室だ。本ならどれだけでもたくさんあるのだ。本の中にそのA君だけの「何か」を見つけることはできないだろうか。どれだけ時間を要してもかまわない、そのヒントだけでも見えてこないだろうか。

そこでA君にどんな本でも本棚にある本を毎日一冊持ってきてもらうことにした。それを教師が声を出して読もうというものである。A君も不思議とすぐにその案に頷いてくれ、それから毎日それは続けられた。A君は本棚へ行き、無言のまま、全く選ばす、無作為に一冊ずつ本を持って来た。絵本のこともあれば、図鑑のこともある。それを教師が声を出して読み、本に表現されているイメージを大切に二人で味わいながら、見つかるものはないかという気持ちであった。

暗闇の中、手探りですすんでいるような毎日が過ぎたある日、いつものように、A君がなにげなく持ってきた本の中の、「夢の浮き橋」(谷崎潤一郎著)を声を出して読んでいた。

私はやがて十三、四歳になり、夜は一人で寝るようになったが、そうなってもときどき母の懐うが恋しく、「お母ちゃん、一緒に寝さして。」と半襟の合わせ目を押し開いて出ない乳を吹い、子守唄を聞いた。そしてすやすやと眠ってしまうと、いつの間に運ばれたのか、朝起きた時は六畳の間に一人で寝ていた。母は「一緒に寝さして。」と云うと喜んで云われるままにし、父もそれを許していた。

いつも通り、うつむきながらじっと聞いていたA君に、ここの所で何かが起きた。「そんなことないって。」初めて教師の前で声を出したのである。この文章こそが、毎日探し続けたA君にとっての「きっかけ」であったのだ。「なにもしてくれなかった。」「本なんて読んでもらったことなんて一度もない。」「誕生日の時も一緒にいたことない。そういう時って母親って一緒にいるもんだ。」今まで言語化されず、内部にぎっしり詰まっていた感情が一度言葉となり声として外に押し出される時、それは一つの蛇口からではなく、いくつもの穴から一度に吐き出されてゆく。

それは年齢的に、幼児期のことであったり、最近のことであったり、場所的にも、家の中のことであったり、祖母の家でのことであったり、感情的にも怒りであったり、不満であったり、欲求であったり、何の順序も前おきもなく並べ立てられる、A君の母親像を求める、気も狂わんばかりの叫びであった。そうしてそのような感情そのものを表現し得たことが気持ちを随分楽にし、受け止めてもらうことを通して、自分の感情をより明確に知ることができたA君は、それからも毎日来て、自分のこと、将来のこと、毎日のできごとを今度は以前から長くたまったものを吐き出すのではなく、ある程度感情の整理をして、今、現在、考えていることをゆっくり、ゆっくりと話すようになった。

A君の場合は、本が自分の内部世界を外へ表現してゆく「きっかけ」となった例である。本の中に並ぶ文字を「読み聞かせる」ことによって声に変換し、その声は母親の声とも重なりながら、登場人物の体験と自己の体験を比べる。その時、A君の閉ざされていた部分が外へ強く押し出されたのである。

それから何年か後、A君から手紙と写真が届き、そこにはA君と奥さん、それにかわいい女の子が誕生日ケーキをかこんでいる姿が写っていた。

(3)家庭科準備室で見つけた「きっかけ」(事例B子さんのこと)

B子さんは母親が再婚し、母親とも新しい父親との間もうまくいかず、家を出た。「自分なんかいなくなればいい。」とだけ繰り返し、教師たちとも距離をとり続けているが、自分が安心して本音を出せる対象を無意識のうちに求めているかのようにみえた。そんなB子さんがよく顔を出すのが、家庭科準備室である。家庭科準備室は家庭科の先生の手作りの小物や服などが所狭しと飾ってあり、家庭科の先生の趣味の部屋といったところである。弁当を持って行っては、そこでくつろぐのを楽しみにできる部屋でもある。

B子さんは、そこへ来て別に何を話すでもなく、手作りの品々を手に取っては、飽きずにながめている。家庭科の先生がミシンをかけていると、じっとその横で見ているので、「やってみる?」と声をかけると、す一つと行ってしまうのであった。

そんなある日の昼休み、私は通信の添削をしていて、袖が汚れぬよう、家庭科準備室で腕抜きを作ることにした。裁縫が苦手なため苦心惨憺して作っていると、B子さんがやってきて、じっと見ている。そうしていつまでも進まない様子に、とうとうしびれをきらしたように、無言で布を手にとり、実に見事な手つきでさっさと完成させてしまったのである。

あまりに驚き感動して、心からの「すご一い、見事、びっくり。」と驚嘆の声を繰り返し、パチパチ拍手し続けた。B子さんは今まで見せたことのない笑顔で照れていたが、それから度々来ては、ぬいぐるみや、筆箱、財布などを作るようになった。そうして、次第に、それらを作り、忙しく手を動かし布を見つめながら自分の抱えていることのできない悲しみや恨みなど様々な感情を見せるようになった。またそれを教師に見せても何の不安もないということが少しずつ確認できてきたことで、B子さんは安定してゆき、自分の見られたくなかった弱い部分や、自分の身に生じたことを振り返り、受け止めてもらおうとしてきた。そういった中で、気持ちを整理し、自分の悲しみや淋しさの正体を知り、自分をその苦しい世界から抜け出させようともしていた。

その後、B子さんは結婚し、娘のためにすてきな服を作り続けている。

「誰にもほめてもらったことがなかった。あの時、先生の拍手がいつまでも鳴り響いていた。今も娘の服を作っても、だれもほめてくれる人はいない。でも、できた服を眺めていると、今でも先生の拍手がうしろから大きく聞こえてくるみたい。」それがB子さんとの問に偶然生じた「きっかけ」であった。

4 中学校にできた「きっかけ探しの部屋」

(1)生徒の自然な回復力が湧き起こってくる部屋

本人にもわからない「きっかけ」。それを誰かが与えてあげることにより、生徒の持つ自然な回復力を刺激することが可能なのではないだろうか。しかし、その「きっかけ」を探す場は、生徒たちの不安や警戒を取り去って、自分の内部世界を自由に表現できるような心理状態を作り出すことができる場所、そうして、どんな感情や欲求をも自由に表現してもよいという場所である必要がある。

1 「いつでもいるよ、いつでも来てね、待ってるよ。」(事例Cさんのこと)

中学校の教師をしていた頃のこと。Cさんは中学一年の女子生徒。夏休みまでは毎日学校へ来ていたが、二学期になり、休みがちになる。十月ごろから全く登校しなくなり、その理由もわからない。電話をかけても出ることはなく、毎日Cさんの家を訪れることにした。チャイムをならしても出て来ることはない。しかし、毎日訪れては、二階の窓に向かって、「お一い。」と叫んでいた。

ある日、風雨が強く、嵐のような日、車を運転しない私は、いつものように歩いてCさんの家の前まで来た。傘は折れ、服はずぶ濡れ、眼鏡にあたる雨で前もみえない。「お願ーい。タオルだけでも貸してー。」大声で二階に向かって叫んだ。

しばらくして、Cさんは二階から降りて来て、玄関の鍵を開けてくれ、かわいいクマの模様のピンクのタオルを貸してくれた。Cさんはそれがきっかけとなり、つらい友人関係について話してくれるようになり、「先生が話を聞いてくれるなら行く。」と、相談室になら通うことを約束した。

相談室から徐々に教室に入ってゆけるようにすればよいのだ。「本当によかった。」と、すべてが解決してゆくかのような安堵感を覚えた。

Cさんは約束どおり、相談室に来た。しかし相談室に入ったCさんは一人だった。授業や仕事に忙しい私は、ずっと相談室に座っているわけにもいかず、少し話をしては、教室や職員室へ行く毎日であった。そうして一週間ほど過ぎたある日。Cさんが泣きながら訴えたのである。「先生が話を聞いてくれるって言うから来たのに、先生が相談室で待っているって言ったから来たのに。相談室に来れば先生と話ができると思って来ていたのに。もう来ないからね。」愕然とした。相談室は確かにソファーもありカーテンも暖かい色でゆったりできる場所として作ってある。心安らげる場所として申し分ない。しかし、そこには生徒の感情を共感的に理解し、生徒の心を受け入れてあげる者が、常に必ず存在しているという安心感が必要なのである。「いつでもいるよ。いつでも来てね。いつでも待っているよ。」そう言ってくれる人のいる場所を生徒は求めていたのである。

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