暁烏敏賞 平成12年第1部門本文「連帯する市民 21世紀の創造と生産の現場」1

ページ番号1002585  更新日 2022年2月15日

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写真:暁烏敏像

第16回暁烏敏賞入選論文

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

  • 論文題名 連帯する市民 21世紀の創造と生産の現場
  • 氏名 小平 慎一
  • 年齢 45歳
  • 住所 神奈川県横浜市
  • 職業 フリーランスライター

哲学・倫理学の「需要」は伸びている

伝統を誇るある私立大学で倫理学を専攻する学生数が、バブル経済期ねに、一学年、二人にまで落ち込んだ。教授会の席で、学生数の多さに音をあげていた社会学の教授が、「哲学・倫理学を社会学科に吸収せよ」と机を叩かんばかりにうったえ、あやうく哲学・倫理学も大学の市場化の波に掻き消えていくかに見えた。しかし、幸いにも、哲学・倫理学の間引きを救ったのは大学の良識というより、バブル経済の破綻だった。

バブルが弾け、日本経済が景気の底をモップで掃除するようになると、学生数は徐々に増えはじめ、現在、倫理学の学生だけで一学年三十人にまで膨らんだ。教室はマンモス学科さながらの盛況である。学生の人気は、なかでも「生命倫理」「環境倫理」など、現在、切実に必要とされ、対象分野がはっきりした社会規範である。

筆者も二十年前に同じ大学の倫理学に籍を置いていたが、当時、ほとんどの学生は、カント倫理学、ティーリヒやアドルノの倫理学など過去の知的遺産の掘り起こしがもっぱらであった。ことさらに、当時の社会状況を取り上げて、社会のエートス(社会理念、社会意識)やコードを探る、という方法は流行らなかった。というより、哲学・倫理学は基本的に「俗世離れ」していた。社会学が徹底的に「俗世」に関わったのに対して、哲学・倫理学は、山岳仏教のように俗世を逃れ、ひたすら書物、それも洋書に耽溺していた。

第二次世界大戦後、フランスは、構造主義、脱構造主義などで世界の哲学界に君臨し、今なお強い影響力をもつが、彼らフランスの哲学者は、哲学を現実世界から乖離させない。むしろ、哲学の永遠のテーマはこの世界そのものであり、現実の生きた人間であることを知悉している。

フランスの哲学者たちは盛んにジャーナリズムに登場し、ジャーナリズムも果敢に彼らに肉薄した。哲学の難解な言葉がマスコミを通じて世間に流布した。第二次世界大戦後、「実存」という言葉はパリの軒下の朝寝の娼婦の口からさえ漏れたという。

ところが日本では、サラリーマンや主婦が哲学にとりつこうとすると、まず襖ぎをしなければならない。人間の生命の意味や人生のあり方があると期待して哲学書を紐解くのだが、難解きわまる専門用語の峻険な岩山にぶつかり、人生はさらに不可解になる。

日本を代表する哲学者、西田幾多郎は、「哲学者は悪文書きである」と高言してはばからなかった。文章は粗悪であるが勘弁してくれ、というのである。西田哲学ほどのオリジナリティがあり読み応えがあるなら悪文も許せようが、ヨーロッパ哲学の解釈をするのに、ヨーロッパ哲学以上に複雑な文章にする必要があるのだろうか。最近、哲学をわかりやすい言葉で解説しようとする研究者が日本でも増えている。「軽薄短小」化されている日本の日常生活の中で、哲学の需要も確かにある。『ソフィーの世界』など哲学を平坦に説明する書物が売れているのもその証だ。一般市民は、キャッチアップ型経済、アメリカ追随の価値観からの脱出を試みようとしている。今、新しい独創的な価値観が必要とされているのは確実だ。しかし、その価値観を探すために大学の哲学・倫理学に籍を置く必要があるのだろうか。大学にどこまで期待できるのか。

大学の新しい役割

ドイツ人やフランス人が哲学に親しむのと、日本人が哲学書に救いを見いだそうとするのとでは労力がケタはずれに違う。

「アカデミズム」の語源はいうまでもなく、プラトンがアテネに創設したアカデメイアである。その後、ヨーロッパでは、アカデミアが高等教育機関を意味するようになるが、その過程で、「アカデミック」という形容詞には二つの意味が張り付く。一つはいうまでもなく「学会の」「学術的」だが、もう一つは「陳腐な」「保守的な」「融通のきかない」「形式的な」という意味合いだ。欧米では、文脈によって、「それはアカデミックだね」というと皮肉な意味になる。日本のアカデミズムはとくに保守的な傾向が強い。

戦後、フランスでは、サルトルが雑誌『アンガージェマン』を発行し、知識人が理論的、実践的に社会参加する方法を探った。最近では、「ソクラテス・カフェ」の実践が有名だ。パリ大学の著名な哲学研究者が公開講座をカフェで行い、市民が自由に討論に参加する。

フランスやドイツの多くの高校でも哲学という授業があり、哲学の専門用語とともに、方法論、考え方、世界観をディスカッションしながら学ぶ。他教科でも共同研究やディスカッションが頻繁に行われ、生徒は魅力的で説得力のある発言の方法や、討論のルールを身につける。そこで批判精神を養い、周囲とのコンセンサスの取り方を学んでいく。

しかし、日本の教育では、そういう方法がほとんど用いられない。大学では、明治時代に欧米から移入されたときのままのアカデミズムに則った「融通のきかない」授業と研究活動が進められている。

現在、倫理学の学生が、「環境倫理」や「生命倫理」をテーマに選ぶのは、教師や書物がそれらの解答を用意していると思うからではない。彼らは、環境問題、遺伝子組替や脳死、ヒトクローン、跋扈する優性学的理論などがもつ深刻で地球的問題に対して「参加」を求めているのだ。これらの問題を看過してはいけない、という直感は健全だ。

それに対して大学の倫理学は、これまで蓄積した思想的方法を用いて、現実世界を分析しながら、不特定多数との対話を切り開いていく方法を提示しなければならない。一つひとつの意見が、批判にさらされながら、社会全体の議論として組み替えられていく場こそ、実践哲学といわれる倫理学の主眼というべきではないだろうか。そのためには哲学・倫理学の用語を平易にする必要がある。

多くの倫理学研究者にとっても、「生命倫理」「環境倫理」はまったくの未知の世界である。「倫理」という名前が賦されているのがアダといってもいいくらいだ。ありふれた倫理学研究者ならば、せいぜい、カントは生命についてこういつている、という言説をひけらかすのが関の山であろう。

とはいえ、人の生命を扱う医学者や遺伝子学者がこれらの問題の「玄人」か、といえばこれも違う。ただ、時々刻々の判断を迫られ、苦境に立たされているがゆえに彼らの意見は「プロフェッショナル」の意見として珍重されてきた。

しかし、これらの新しい問題に関しては、どのような研究者も、いうまでもなく政治家も行政も素人である。ヒトクローンの技術が、今後、人類をどのような未来に導くか予測できる人はいない。原爆や地雷は憎悪の対象として理解しやすい。しかし、これさえ解決にはほど遠い。新しい技術は、いっぽうで医学を進歩させ、人の命を助ける方法でもある。人間の英知の結集であったはずのテクノロジーが柔らかい岩盤にぶちあたった。掘削しようと思えばどこまでも掘削できるが、山そのものを崩壊させかねない。

地球規模の社会倫理が必要な時代なのだ。それもやっかいなのは絶対的なものが望めない。ただ、地道に地球規模にまでオープン化されたテーブルを囲みながらプロトコルを積み上げていくだけである。しかし、つねに話し合いながら一つの方向を見いだしていく「姿勢」こそ、世界の倫理コードであろう。つまり倫理はプロセスにしかない。

大学は、そのもてる知識と経験を、このプロセスのために開放すべきである。それが新しい大学像ではないか。もちろん大学だけに責務があるわけではない。今、必要なのは、「知」を集積させてきた人間全体が、社会にアンガジェ(参加)して、その知を活用する方法論なのだ。大学でも、村の公民館でもいい。その場は開かれていて、行政とつながり、大学とつながり、さまざまなスペシャリスト、また、世界へと開かれたコミュニケーションの場でなければならない。

かくして言葉は「権力」となった

日本社会にあって大学の功罪は大きい。明治以降、大学の研究者は、ヨーロッパの諸概念を邦訳するに当たって、日本語の日常語を無視してヨーロッパ語の直訳を心がけた。その際、わざわざ難解な漢語を駆使して造語し、日常世界に高い防波堤をつくりながら「権力世界」を形成した。

「専門用語」は大人の玩具である。一定の垣根を使って言葉に閉鎖性をもたせることで、「貴族的」な共同体をかたちづくる。大人だけではなく子どもも同じだ。流行り言葉を駆使して、コミュニケーションの閉鎖性・密室性を楽しむ。学者や「専門家」には、この子どもの閉鎖性・密室性に衒学趣味、保守主義が加わる。言葉を駆使して思想をするはずが言葉に振り回され、ますます権力構造に取り込まれる。

学者のペダンチズムは、日本だけではなく、世界共通かもしれない。中世以来、ヨーロッパ・アカデミズムの柱は神学だが、神学は権威とともにあり、民衆や世俗権力に対峙しなければならなかった。神学をモデルにして発展した法学もそれにならい、十八世紀に勃興した近代諸科学もその跡に従った。ただ、近代諸科学は大学という俗世の権力の一部を構成することになる。

このときから大学が「知」を独占するようになる。大学という「知」の制度の洗礼をうけた学者、官僚、医師、教師といった新興市民層が、それまでの身分制度のくびきを離れ、国、社会、倫理構築の立て役者になる。大学という制度化された「知」が新しい権威を象徴するようになつた。

日本は明治以降、「知」をヨーロッパから移入するとき、その方法論だけではなく、ヨーロッパそのものをも権威として受け入れた。「知」の方法だけではなく、ヨーロッパを「知」のモデルとした。その「知」の権威は「日本のラテン語」というべき漢語によって担保された。当時、漢語は、仏教の言語であり、男性社会の言葉であり、「知」の言語であり、「公」の言語であり、日常とは隔絶された世界の言語だった。

現在でも、それらの言葉の多くが当時と同じ意味で使われている。しかし、言葉は時代とともに変化する。とくに抽象的な言葉は変遷が激しい。

日本がヨーロッパから移入した時点のヨーロッパ語は、すでにその故郷では歴史の波をかぶり、思想の影響を受けながら百五十年前とは変わったものになっている。文化のズレの上に時代のズレという二重のズレをうけている。しかし、その言葉の意味の相違は容易には気づきにくい。

ボランティア活動と市民運動の違い

この拙文の主題の一つである「権利」という言葉を例にとる。

英語でRightというこの概念は、もともと「契約=法」に源を発し、ヨーロッパで、現在のような意味が定着するのは十七世紀といわれる。

現在でも、Rightは、その歴史のさまざまな変遷を含んで、「権利」「法律」「正義」「道理」などを意味する。これらの意味から察せられるように、もともと「権利」には二重の意味がある。一つは、法律的、政治的に、個人を外部から守るものであり、二つめは真理や道理をあらわす個人の内省的側面である。

ところが日本語の「権利」はつねに、社会的、法律的なものとして、「外的」に規定され、「公」の介入を待ってはじめて成立する。

だから、「わたしには権利がある」という発言は、自動的に「公」に対してのもので、人間同士、あるいは人間存在の深みからの発語とは受け止められない。表層的で多数の人の共感を得にくい。「それはあなたの権利であっても、わたしの権利ではない」といういいかたもできる。しかし、権利が内なる真理を求める言葉であるなら、ある人には真理であり、道理であるものが別の人には真理でも道理でもない、ということはありえない。

明治時代に日本がドイツからこの概念(権利、Right)を移入したとき、ドイツの法学界は、「権利」を「法的に保護された利益」としてとらえていた。それが日本に移入され、漢語によって「冷凍保存」された。そのことが社会における権利意識の成長を阻害させてはいないだろうか。謙譲が美徳である日本にあっては権利の主張は不徳として扱われてこなかったか。

日本で使われる「ボランティア活動」と「市民活動」という言葉にも同じことがいえる。ボランティア活動は一方的な奉仕であると考えられている。もともと十九世紀米国の「ボランティアーズ・オブ・アメリカ」が由来とされるこの言葉は、教会の「チャリティ精神」に対して、神によらない、あるいは教会という制度によらない、自己の意思に基づくものとして使われるようになった。その点で自覚的で意志的な個人が基調となっている(その意味では、最近、教育審議会が打ち出したボランティアをカリキュラム化するという発想は本末転倒であろう)。

いっぽう、「市民運動」は権利意識を共有する個人の連帯によって支えられる。

図式的に考えると、ボランティアは個人の善意を土台にし、市民活動は権利意識を基調にする。この場合の権利意識とは幅広い社会のコンセンサスを得たRight(理念、権利、道理)であり、いいかえれば共通感情として機能する概念である。

ボランティアも市民活動も同じ自発的な活動だが、環境保護活動は「市民運動」となり、福祉活動は「ボランティア」と呼ばれることが多い。あるいは、当事者が活動する場合は市民運動といわれ、当事者の周囲の人間が「親切心」で支援する場合がボランティアであるかのように区別される場合もある。いってみれば、Right(権利)かKindness(善意)かという区分だ。しかし、このような区分が果たして意味があるのだろうか。

アメリカでは、一九五〇年代の黒人の公民権運動や、その後に起こった障害のある人々のアクセス権運動は、はじめは当事者が中心の運動だった。しかし、社会を変化させるには、当事者グループを超えて、その即碍耳(権利、道理)に賛同する人々の広く熱い連帯が必要だった。多くの人々を動かし連帯させていった理念はKindness(善意)ではなく、誰にでも共通して関わるRightだった。ある人々のRightが守られない社会を、同じ社会に住む人間として放置できない。ある人々に不合理は誰にとっても不合理だ、という共通感情が形成されていく過程で市民連帯ができる。しかも、その不合理に対する怒りは一地域だけに通じるものではなく、地球規模で必然とされなければならない。市民連帯とは、世界に開かれた窓であると同時に地域に根ざした活動なのだ。いっぽうで個人の善意は、市民連帯の規範にはならない。それはあまりに恣意的で社会のセーフティネットとして機能しない。

雪国の老人の家の雪下ろしは、善意の人が近くに住む限り安心だが、彼が転勤で引っ越したら家は潰れてしまう。しかも、豊里息を心理的に掘り下げていくと実体のないものになる。人を慰めているつもりが、人を傷つける結果になることは誰もがもつ苦い経験だ。

ある障害者施設には、「気をつけよう、甘い言葉とボランティア」という標語が冗談とも本気ともとれずにあった。ボランティアが障害のある人を一生懸命介助しているうちに、障害のある人が彼女や彼に恋してしまう。相手も同じ気持ちだろうと思いこむ。それが現実とは異なることを知ってショックを受けるということが繰り返されるのだそうだ。

善意の陰に隠れトゲの例を数え上げるのは愚劣なことだが、人の善意や親切心は社会の潤滑油ではあっても、安定的な「供給」を期待することはできない。介護保険は、介護の責任を家族から社会に引き継いだものとして評価される。「親孝行」という個人感情に立脚した老人介護は、つねに安定的なサービスを与えるとは限らないからだ。

ボランティア活動には、善意はもちろん必要だが、より高次の、つまり理念的な連帯が必要だ。その紐帯となる概念がRight(権利、道理)であろう。しかもそれは、討議と広い承認を受けたものでなければならない。その過程・姿勢にこそ社会的倫理があることは先述した。そしてこの姿勢こそが「知」ではないか。「知」とはRightを求めるプロセスである。

市民連帯はつねに独立した市民団体である必要はない。強いRightを共有する人間関係があればいい。しかも、この市民連帯は、もとより行政と対立するものではなく、役人など「公」の人も連帯する市民として存在し得る。むしろ、そうである必要がある。

一九九五年の阪神大震災のとき、ある山陰の県立病院長は俊敏に反応した。四方八方に電話を鳴らし、医療チームを編成するとともに知事を動かして、自ら率いるチームを県から出動させた。当然、医師や看護婦に報酬がある。

この病院長の反応は「公人」である前に}市民であり、それにすぐ反応した知事も「公人」であると同時に、病院長と理念を同じくした市民であった。そして日々の仕事に忙殺されながら、危険のある震災地で、無心に働いたスタッフも「公人」である前に一市民ではなかったか。彼らは「公人」でありながら、「公」の枠を抜け出て活動した。誰の頭にも、今何をすべきかがはっきり理解されていた。

もし彼らが「公人」であることを優先したら、命令を待ち、会議をして、予算を立て、他県と連絡しあって行動を決めただろう。事実、他県は出遅れ、組織的医療活動を行うチームは少なかった。

いっぽうで、個人のボランティア医師の参加も少なくなかった。しかし、個人の善意は被災者にとっては不安定だ。どこまで頼んでいいのか、何時帰ってしまうのかわからない。組織的に活動していたチームほど役に立った。資材、技術、経験といったパワーをもつ組織は、行政や他グループと効率的に連動し、戦略的戦術的に活動できた。被災者にとっても信頼しやすい。

連帯しない個人の力は弱い。個人の善意に立脚する「資源」は不安定である。さらに思いこみの善意はかえって妨害にさえなる。市民のRightをしっかり共有した連帯こそ強固な力になる。その意味ではボランティア活動と市民活動に相違はないであろう。Right(道理、理念)を共有した市民連帯こそが社会資源として社会のセーフティネットとなりえる。個人個人が一つの理念をもって連帯してはじめて市民が生まれる。

市民とはRightを共有して連帯する個人なのだ。

自分の意見をつくるにはまず発言する

しかし、Right(道理、権利、正義)を共有するにはどうすればよいのか。NPO法の成立以来、市民運動は活発化しているといわれるが、その内容は玉石混淆ともいわれる。

理念を研ぎ澄まし、方法論を確立するには、まず「知」のトレーニングから入る必要がある。最近の生涯教育の機会の隆盛には目を瞠る。大学でも公開講座を開くところが年々増えている。大学は、少子化によって減少しつつある受験生を社会人で補いたいという市場意識が働いている。しかし、日本の大学の権威的な「知」のありかたが、今後の生涯教育の「知」のモデルとなりえるとは思えない。

日本では偏差値別に大学、学部は見事なまでに階層化され、高校生は、「実力」に合わせて大学、学部を選ぶ。高校の教科内容もほとんどは受験科目に合わせられる。

高校生が、哲学書を読み、ディスカッションし、批判精神が養われ知を磨いても、入試では評価されない。議論をいやがる大学教師もいるぐらいだ。ある日本の名門のビジネススクール(大学院)では、ハーバード方式にしたがって、ケーススタディを中心にディスカッションを行いながらビジネスマインドを養っている。しかし、二年間のコース修了のとき、学生にこう申し渡すそうだ。

「ここでやったことと同じことを職場でやってはいけない。日本のビジネス習慣には徹底した議論はない」。

ディスカッションはビジネスを展開するのに合理的な方法だからこそ授業に取り込まれている。にもかかわらず、実地ではそれをやるな、という。

筆者がドイツで生活しているとき、文部省の補習授業校で、歴史、論文作成などを高校生に教えていた。ドイツで生まれ育った生徒は活発に発言する。それに比べて、日本から数年間、親の転勤でやってくる短期滞在型の生徒は控えめだ。

人と意見をぶつけ合う中ではじめて自分の意見が繰出される。はじめから人前できちんと意見を組み立てる必要はない。その完全主義のために日本人は発言を恐れる。

筆者は生徒に、「発言するから自分独自のまとまった意見や考え方を練ることができるのであって、意見や考え方がはじめにあるから発言するのではない」といっていた。すべての場面であてはまるわけではないが、人前での発言・発語は重要な自己形成の契機なのだ。人からの批判を受けて修正していけばいい。日本人の多くは批判より嘲笑を好む。首をかしげて否定はするが発語しない。人を批判することで火の粉が自分に降りかかる、いわば「二次被害」を防ぐことに必死だ。

「ドイツ人は、まず人の話を否定してから、内容を考える」とよくいわれる。ほんとうかどうかわからないが、あながち間違った方法ではないかもしれない。ヨーロッパで発達した弁証法(これもなぜ、「弁証法」などとわかりにくい漢語に訳したのか!)は、提起された意見(テーゼ)を否定することで、より高次の意見を導き出す方法である。

これは人々の生活の中に根づいている。欧米人は、否定を契機にしてコミュニケーションを行う。日本人同志では、「それは違うよ」とあっさり否定するのはかなり親密な関係の場合だ。誰でもあまり否定されることは好まない。たとえ親密であっても会話の雰囲気を壊さないためにうなずいて聞いていることがあるようだ。

ある大学で新しい学部を創設したとき、一人ひとりの教員が一年分の講義内容を他教員の前でプレゼンテーションし、互いに批判しあった。

このときの合い言葉は「あっけらかん」だったという。つまり、遠慮会釈なく、ドライに批判し合おうという申し合わせだ。青筋を立てながら批判・弁駁するという場面もあったようだが、「あっけらかん」で行こうという、最初の申し合わせが効いて、批判を腹に溜めないで徹底して言い合うことができたという。もし、欧米なら、「あっけらかん」ルールをつくるまでもなく、当然のごとく手厳しい批判が矢、霰のように飛び交ったろう。この文化の違いは大きな差になる。

謙譲は、日本人の美徳かもしれないが、批判精神や理論的センスが培われなければ、国際社会、地球化社会には対応できない。国際社会は英語の学習熱だけでは乗り切れない。何がRightであるかを理解し、それを人に納得させる能力が市民社会、国際社会には求められている。

Rightを求めるための「知」の方法を、連帯した市民は、独自につくる必要がある。もちろん、そこに大学や行政が関与すれば効率的である。しかし、大学の「知」のモデルが応用されはしない。

新しい「知」の方法の出発は、一三人ではじめる読書会でいい。その小さなテーブルで、公の「審議会」「専門家会議」など、既成の「知」を一度疑ってかかる必要がある。実際、それらの「知」が社会に妥当できない例が多いことははっきりしている。典型的な例は、「規制緩和」か「政策介入」かという経済学者の対立だ。その間で政府も行政も木の葉のように漂い、結局、時機を逸して不況をいつまでも脱することができない。まして生命倫理の問題に「専門家」などいるはずがない。一般市民が、「専門家」の影に寄り添うのは怠惰でしかない。

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