暁烏敏賞 平成17年第1部門梗概「ありのまま・そのままの生き方 幾多郎・大拙・啓治の自然法爾」

ページ番号1002559  更新日 2022年2月15日

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第21回暁烏敏賞入選論文

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

写真:火焔様式楽人像

  • 論文題名 ありのまま・そのままの生き方 幾多郎・大拙・啓治の自然法爾
  • 氏名 光明 祐寛
  • 住所 滋賀県東浅井郡びわ町在住
  • 職業 高等学校教諭

論文概要

現在、「いのち」が、ものすごく、ないがしろにされている。モノ化されている。また、冷戦終結後も紛争・戦争が絶えない。そうした時、西田幾多郎・鈴木大拙・西谷啓治という西洋と東洋の学殖の全幅を究め尽くした人が「人生をしっかり生きよ」と警鐘を打ち鳴らしていることに、今こそ耳を傾ける必要があるのではないか。そんな思いから、三人が学び、発表し、願ったものを自分なりに辿ってみた。三人にはそれぞれ独自性がある。でも、共通したものもある。そして、こうした時代だからこそ、その共通したものを探ることが大事なのではないかと思えてならない。

三人は生涯、禅の世界に生きた。厳しい座禅修行もした。しかし、禅僧にはならなかった。禅は生命を正し、意志を研ぎ澄まされたものに錬磨するものであった。そして、三人が学んで、世に問うたことは、幾多郎が哲学で「無の場所」と「絶対矛盾的自己同一」である。大拙は宗教で「即非の論理」と「霊性的自覚」である。啓治は宗教哲学でその両方を止揚して「空」を世界思想の中心にすえた。西洋の哲学・宗教を学んで、西欧は自我(わがまま)がその中核になっているという。だから、幾多郎は東洋の「無の世界」を再認識することによって、大拙は「大地」「源底」を重視することで、啓治は「ニヒリズム」を通して「空」の哲学を樹立することで、「わがまま」から「ありのまま」「そのまま」への回心が重要だと訴えている。そして、三人とも、自分の人生を誠実に生きた。自力を極めた。自分が自分に成りきろうとした。そうして、おのずと、自分は生かされて生きていることを体得した。もともと我々の命は縁がなければ存在しないのである。だからこそ、与えられた一日一日を有意義に過ごさなければならないのだという。「ありのまま」は釈尊の言う「あなたはあなたのままで」と、そのまま、うなずく「如是」の世界である。親鸞の教義である。このさわりなき「自然法爾」(親鸞の教え)に目覚め、柔軟心をもって、謙虚に永遠の今を生き抜き、完全燃焼することが大事だと三人は言っているのではないか。

魂の静かなるとき、そんな声が聞こえてくる。

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