暁烏敏賞 平成20年第1部門論文「今、独自的普遍(Universel Singulier)というあり方」2

ページ番号1002543  更新日 2022年2月15日

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第25回暁烏敏賞入選論文

第1部門:【哲学・思想に関する論文】「今、独自的普遍(Universel Singulier)というあり方」 南 コニー

2.キェルケゴールとサルトルにおけるモラルの相関性

人間の自由と自己生成を謳う実存思想はキェルケゴールとサルトル両者に共通のものであった。またこの両者に於けるモラルの出発点も、共に主体的行為によるモラルである。主体的行為のモラルというのは、本来性のモラル(頽落した自己の状況を自覚し、引き受ける態度の総体)と同義であり、要するに主体が自由の下に選択をしてその責任を引き受けることでモラルが形成されてゆくということである。しかしながら、同じ実存主体から出発する両者も有神論と無神論という違いがあったため、双方のモラルの考察には明白な差異がある。牧師の父親の下に生まれたキェルケゴールは厳格なキリスト教者であり、サルトルは生涯に渡り無神論者であった。このような二人の違いは少なからず両者の考察の差として至るところに現れる。例えば人間の自由のもとの「選択」を語るとき、キェルケゴールにおいて最も重要なのは「pathos」(情意)であった。つまり「何を」選ぶかが大事なのではなくて、「真剣に」選ぶ行為の方が大事だったのである。このことについてキェルケゴールは、緊急事態に陥った船の船長の例で説明している。

今まさに方向を変えようとしている瞬間の船長は、右か左かと意識している間にも船は同じ速度で進んでいる。そして船長がああしようか、こうしようかと迷っていられるのが一瞬に過ぎないのと同じように人間の人生に於ける選択もその方向を変えられるチャンスはほんの一瞬しかなく、しかも次の瞬間にはまた別の選択肢を選ぶ可能性もあるため、その一瞬を逃すと選択は他者の手に委ねられた非本来的選択になってしまうというのである。つまり、たとえ自分の意志で正しい選択をしたとしても次の瞬間にその選択が正しかったといえない状況に陥るかもしれないということである。それはちょうど我々が二者択一の選択にさしかかったときに感じる「どちらを選んでも後悔する」という気持ちと似ているものではないだろうか。そしてどちらを選んでも後悔するのであれば、正しい選択など初めからないということであり、自分の思い入れの強さを反映させた選択をする方が良いということである。人間の日和見的な正誤判断よりもその瞬間の真意や情熱の方が普遍的かつ優位であるということである。この瞬間の真意「pathos」は恒常的ではない代わりに一瞬のうちに何かを生み出す契機となり、神に繋がる人間の飛躍へと展望をとげるとキェルケゴールは考察する。

他方、サルトルにおいて神は基本的に不在であるから、選択時の「pathos」よりも主体的行為者が何を選ぶかということの方が重要であり、それと同時に選択をすることからの逃げ道もない。つまりサルトルにおいてはキェルケゴールの言う非本来的な選択(選択の一瞬を逃し、他者によって選択されること)も自己の選択の範疇なのである。「人はたとえ選ばなくても、やはり選んでいることを知らなければならない」というサルトルの言葉は、「選択をしない」というのもあなたの選んだ選択肢の一つなのだ、ということを意味しているのである。

キェルケゴールは常に絶対的他者としての神を認めながら倫理論を展開させたため、宗教的倫理を他の二領域(審美的・倫理的)よりも崇高なものとして位置づけた。彼にとって良き人間のあり方とは真のキリスト教者になることであり、そのために彼は「自己省察」という形を選んだのである。つまり倫理は、「倫理的に実存するべきである」という単独者に対する要求であって、数百万人や数世代について大言壮語するものではないということである。倫理は自己省察である限りにおいて、単独の人間を扱うものである、と彼は明言している(注6)。つまり、万人に共通する行動規範のような倫理はないが、だからこそ各々が自己省察をしてゆく中で自らのあり方を選ばなければならないということである。ただし、「自己省察」というと何か利己的で静的なイメージをもつかもしれないが、キェルケゴールも彼の時代において彼なりの仕方で社会参加を果たしてきたことを忘れてはならないだろう。彼は彼と同時代人であり友人関係にあったニコライ・グルントヴィ(注7)とともに「民衆の自覚」(Folkeoplysning)の運動の一環として国教会という当時の大々的な組織に対する変革の要求を行なったのである。彼は独断的教義の下に没個性的な大衆をひたすら増やそうとした教会組織に対して立ち上がり、個人の尊厳を回復させようと最後まで懸命に試みたのである。

キェルケゴールは、単独の個人が全世界をものともしない確固たる倫理的態度を自分自身のうちに獲得したとき、はじめて人は「真に一体になる」と(注8)言う。つまり、「関係」としての自己が統合され、本来的な自己になるということである。彼は公共という抽象性、あるいは個人一人ひとりの独自性が脆弱化される組織や連合という概念にひたすら警笛を鳴らし続けたのである。しかし彼は不運なことに人々にビラを配りながら教会の腐敗を訴えている最中に道端で倒れそのまま帰らぬ人となった。人々に嘲笑されたり、書物の中で酷評されたり、当時の人々の目にいかがわしい人間と映ったかもしれないが、生涯をかけて国民の「覚醒」と行動の大切さを呼びかけ続けた彼の姿は100年後のサルトルの社会参加の姿勢とそう遠くはないように思えるのである。サルトルもまた個人を実践的惰性態(注9)へと変貌させてしまう社会の集団、集列の危険性について訴え続けた行動の哲学者であった。

さて、そのサルトルも生涯に渡り倫理を打ち立てようと何度かモラル論(注10)を試みたが、残念ながらそれは未完の思想に留まった。『存在と無』『倫理学ノート』『弁証法的理性批判』あるいはフロベール論などでモラルの問題が扱われているが、こうした広汎な執筆にも関わらず彼のモラルはどこか漠然としている。そもそもサルトルにおいては「自己省察」よりもその先にある行動こそが倫理であった。先見的にいかなる一般道徳も存在しない中で、我々一人ひとりが世界に関わっている事実を彼は現実状況として捉える。しかし既成の価値も概念も存在しない世界で我々はいかなる指標をもとにして共存しながら生きてゆくべきなのか、という大きな問題が生じるのである。そもそも普遍的真理、超越的存在、人間性一般といったものを一切否定するサルトルにモラル論の構築など可能なのだろうか、という疑問も生じるだろう。

しかしサルトルは言う。咽の渇いた者に水を与える行為がモラルであるのは、その行為が良い行為だからではなく、「咽の渇きを癒すためにする打算のない行為」だからである(注11)、と。つまり、モラルというのは自発的であり、自然発生的な行為であるということであり、反省的な行為ではないということである。要するに、サルトルにとってモラルとは、善悪の考察を超えたところにあるものだということである。ここにおいて、再びサルトルはキェルケゴールの倫理へと回帰してゆくのである。

倫理は単独者を把握し、そして単独者に全ての考察から、とくに世界と人類についての考察から遠ざかることを要求する。なぜなら、内的なものとしての倫理は、外部の人によっては決して考察されない。倫理は、単独の主体によってのみ実現される。(注12)

つまり倫理が善悪判断の領域を超えるのは、倫理がある個人や他者に委ねられた「考察」だからではなく、単独の主体者によって実現されるべきものであるからである。しかし、サルトルが言うように個人が常に世界に関わりあっている存在であるならば、人がモラルを実現するためには世界と人類についての考察から遠ざかることはできないはずである。ここにサルトルのモラルの矛盾、あるいは「躓き」とも呼べるものが生じてくるのである。

3.モラルの限界、そしてその先にあるもの

サルトルにとって選択の内容が重要なのは、それが人間の直面している具体的な現実に関わっていることだからである。だが、我々が現実に関わるためにはある一定の規範も必要になるだろう。つまり物事を捉えるための手がかりがなければ自分の立場を表明することが困難になるということである。しかし、だからといって個々人の生がそのような一定規範に還元されることがあってはならないのである。なぜなら、人間の実存はいかなる本質にも還元されえないからである。ジレンマともいえるべきこの状態をよく表しているを例を現実状況に即して見てみよう。

1962年11月、ベルギーの工業都市リエージュで催眠効果のある薬「サリドマイド」を使用したことにより妊婦が奇形児を産み、自分の子ども(嬰児)を殺すという事件が起こった。この母親のモラルが問題視され、彼女の行動を道徳的に見てどう判断すべきかについて議論が沸騰した。母親は出産から一週間後に哺乳瓶のミルクにバルビツールという鎮静剤を混入させて嬰児を殺害したのであるが、実行者は母親だけでなく、その子供の父親、祖母、姉、鎮静剤を処方した医師らであり、彼らも共犯者として起訴されたのである。母親は手足のない嬰児の将来を考えるといたたまれなかったという理由で犯行に及んだと弁明した。この事件に関してサルトルは次のように言及した。

まず、母親の道徳的葛藤の一方には全ての人間には価値があるとする生命そのものを絶対的価値として捉える規範があり、他方では人間らしく生きるいかなる可能性も欠いた生命の延長を否定する立場がある。しかし彼女は対立する規範の無条件の義務的性格を引き受け、それを生きることで我々の世界の非人間的条件に対する抗議をしたのだ、と(注13)。つまり、母親達の責任を追及する前に、サリドマイドの副作用性も知らせず、あるいは知らずに認可した社会及び、そのような社会を準備した先行社会の人間に対する審判もなく特定の人間だけをとりあげ、彼らの実践を糾弾する権利は我々のうちの誰にもないということをサルトルは強調したのだった。これは、人間存在の実践がたとえ身体や社会といった過去や現在によって条件付けられているとしても、それがいまだ存在していない未来へと向かうものであり、その未来には実践によって作られたものとしての実践的惰性態の破壊と否定が付託されている、ということでもある。つまりここで問題になっているのは、全ての命は尊いものであるから殺めてはいけない、あるいは優生学的な見解に従いある種の命だけが価値があるゆえ人間性を欠く命を絶っても罪にならない、という平面的な善悪二元論を超えた領域なのである。

6日間の審理の後、法廷の外に1000人の群集が集まる中でついに母親に判決が言い渡された。それは12人の陪審員全員一致の「無罪判決」であった。当時の観衆の多くは母親の無罪に同調し、中には社会と戦う人間として彼女を英雄視するものまで現れた。しかしその後、不治患者の「安楽死」を安易に引き起こす判決なのではないかという批判も招くことになった。しかしリエージュの母親の場合、安楽死そのものが目的視とされていたのではなく、認可されていたサリドマイドを服用したことによって引き起こされた問題であるため、生命倫理をそのまま適応させることはできないという見方もあった。

サルトルは続ける。結局、我々がシステムと呼ぶ社会構造は過去の人間の実践の総体でもあるので、その循環により人間がシステムの産物であるということも否定できないのではあるが、それでもやはり実践の客観化を通してシステムを生み出すのは他ならない人間である、と。つまり、人間とシステムの連動性の中で条件付けられた一つの「実践」を構造から切り離し既成の規範で裁くことは不可能ではないだろうか、ということである。このようなサルトルにおける究極的なモラルの解釈は、人間には「人間」となる無条件的可能性があるということが前提とされている。彼はこのような究極的モラルが実存的人間を本来性へと向かわせる実践を導き、そうした実践一つひとつを通して歴史が導かれるのだと解釈する。要するに、サルトルにおける真のモラル論は我々の無条件的未来をその目標としてもっているような倫理学のことなのである。

しかし、このようなサルトルの姿勢はモラル相対主義と非難される場合もあるだろう。つまり、その場凌ぎのモラルだけでは我々の判断基準を失わせる危険があるということである。やはり人が生きていくうえでは恒常的なモラルの基準というものが必要になるのではないだろうか、と。しかし上記のような事件は、異なった環境、慣習、多様性の中に生きる我々にとって全ての事柄を一義的なモラルに還元することが不可能であるという現実を示したはずである。だが、このようなモラル相対主義の議論の起源は古く、紀元前6世紀以前から宗教者や哲学者によってすでに成されてきたのである。ヴェーダの教権を否定したワルダマーナのジャイナ教、「人間は万物の尺度」と説いたプロタゴラス、歴史の父ヘロドトス、経験論の立場に立つヒューム、キリスト教倫理思想を奴隷道徳とするニーチェ等々、モラルの還元不可能性は決して新しい思想ではないのである。しかし、サルトルが問題とするのはモラルの相対主義に立つ学問的立場ではなく、現に一般規範とモラル相対主義の間で宙吊りになっている生身の人間なのである。つまり個としての人間の可能性と、歴史性(システムの連続性、あるいは人々の過去の実践の総体)との位置関係を模索することでもある。そして一方で具体的で有限なものとしての人間と、他方無限なものとしての可能的人間とを歴史的観点から捉え直そうという試みが「独自的普遍」という形で模索されてゆくのである。彼はこのような思想をある種モラル論の総括として捉えようとしたが、結局このような人間のあり方はモラル論の集大成にはなりえず未完の思想という形で残された。

しかしその一方で、この思想の未完性にこそモラルの具現化があるといえるのではないかと思われる。つまりモラル論として未完の思想は、モラルの限界を引き受ける限りで成り立つ「独自的普遍」という「あり方」によって表象されていくということである。

かつてサルトルがキェルケゴールを独自的普遍と定義したように、今やサルトルもまた我々の眼に「独自的普遍」として映りはしないだろうか。つまり彼の未完のモラル論は彼自身の生き方そのものによって体現されたということである。言いかえれば、この還元不可能性を生きることこそ実存としての人間が「人間」へと生成し本来的自己へと向かう方法なのである。

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