暁烏敏賞 平成19年第2部門論文「「いじめ」を越えた子どもたちとの歩み 教室の人間化から生まれる成長の姿」3

ページ番号1002554  更新日 2022年2月15日

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第23回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】「いじめを越えた子どもたちとの歩み 教室の人間化から生まれる成長の姿」寺岸 和光

(3)六月

〔1〕関係を越えた評価眼を育てる

音読、合宿での群読、そして、六月下旬からスタートした朗読。教室には、昨年度までとは異なる表現が生まれてきていた。そして、他の教師や参観日の保護者の驚嘆によって、子どもたちに小さな自信が芽生えていた。

私は朗読コンテストを実施することにした。朗読を磨くためではなく、子どもの評価眼を養うためである。数値化できない朗読評価だからこそ、子どもはそれぞれの感じ方を言葉にして評価する必要があった。関係に影響されて引きずられる見方ではなく、自らの感じ方を最優先にした評価ができる力と関係を、私は教室の中に感じ始めていた。加えて、どのような評価も一旦受けとめて考えられる個々の強さと関係性も育ってきていた。

このような相互評価の場は、図工の作品鑑賞や各教科のノート比較などでも設定する。仲間の中から自分のモデルや、自分にない工夫を発見することは、教師の抽象的なアドバイスとは比べものにならないほど生かされやすい。しかし重要なのは、教師の評価も明確に示すということである。より多様な観点から多彩な評価ができる教師の目は、まだ十分に育っていない子どもの評価眼を揺さぶる。子ども個々の評価と全く異なる見方があることへの気づきが、互いの安易な決め付けを疑う目も育てると考えていた。

〔2〕互いの成長を認め合う場をつくる

総合的な力量を総動員して行う相互評価活動は、学級に知的風土をもたらす。朗読コンテストは子どもたちと私の総合評価で優劣をつけた。ところが、どの対戦も誰もが迷うことになった。一生懸命の朗読に優劣などつけられない。学級全体のこの迷いが、結果的には力が拮抗している現実や、誰もが真剣に受けとめて考えている証になった。そして、四月を思い出しながら、私は感動するばかりで言葉が出なくなった。最後は、他の学級の子どもたちも教室に入ってきて参観し、馬鹿にするどころか拍手喝采してくれた。三月までとは違う仲間の姿をそこに見出だしていたのだと思う。

朗読には自分を忘れて作品に入り込む勇気が必要である。人の目を気にせずに自分を曝け出す勇気が必要である。子どもたちの朗読は、弱い自分と闘っている姿に見えた。

(4)九月

〔1〕新たな挑戦へと説得する(運動会三週間前)

個の力が高まり、さまざまなかかわりが日常化し、授業が主体的・協同的なものになりつつあるところで夏休みになった。この学校では夏休みが明けるとすぐに運動会シーズンとなる。子どもたちがつかんできたものを一気に出し切る「行事創造」の場で自分たちの可能性が確信できれば、その後は自ずと協同的な学びの質は高まると私は考えていた。

しかし、運動会には授業とは全く異なる活動が多く含まれている。子どもの意志抜きに願いは実現しない。立候補者三名のあの日を思い浮かべて、私は正面から説得した。

「本気でやるなら忙しくなります。休み時間も話し合ったり練習したりしなければなりません。先生がいくら本気でも、みんなが本気でなければ何も生まれません。それぞれの成長のために、みんなでいっしょにやりたいことを全部やってみませんか。」

担任教師からの「本気でやろう」という呼びかけは、提案というよりも説得だった。この日の十分間作文に子どもたちは返答を書いた。私はここでも「ありのまま」を感じた。

「まだまだ自信がなかったり、周りの人に合わせたくなったりするけど、自分一人じゃ無理でも協力すればできることをやりたい。そうしたら、学校がもっと楽しいところになる。」

「今までの運動会よりももっとみんなが活躍したり楽しめたりできるようにしたい。こんなことができるのは今しかないと思った。もう小学校最後。いい思い出になると思った。」

「私はみんなにくらべて力がない。朗読もうまくないし、他のこともみんなにくらべたらだめな方だから、応援団がんばってみたい。七人しか入れないけど、まだ可能性はあるんだから私は立候補する!!」

「何にも立候補しない。できる自信がない。でも何もしないでいるのは逃げているような気がする。今までと違う自分になりたい。今やらなければ何も変わらない。今の自分と未来の自分を変えてみたい。」

「ぼくは途中でやる気がなくなるかもしれないけど、今は本気です。」

「自信がないから立候補しない」と言っていた子どもたちが、今は「自信がないからやる」と書いた。テストの点数では測れない子どもたちの成長ぶりが表れていた。そして翌日、全員が応援団に立候補した時点で、私は運動会の成果をすでに確信することになる。

〔2〕やりたいことはすべてやってみる(運動会当日)

この二週間、教室は運動会一色になった。応援、騎馬戦、リレーなど、それぞれの担当グループを決めて、作戦を考えたり準備や練習をリードしたりしてきた。それぞれが運動会のどこかの場面にこだわりをもつことになる。時間を費やして苦労した分だけ、互いが互いの踏ん張りを求め、それに応えようとしていた。もちろん、いくつかのトラブルはあったが、もはやそれで目標を見失うほどの関係ではなかった。そして、「やりたいことはすべてやろう」という合言葉と実行は、当日を待たずして勝敗を越えた学びをすでにもたらしていた。だからこそ、運動会当日には予想もしない子どもたちの姿に出会えた。

例えば、全員リレーの場面。ケガをした一人の女子が走らないと言い始めた。「全力で走れない。みんなの足を引っ張ってしまう」と。しかし、その仲間が、最後の運動会をやり遂げたいと思っていることは誰もがわかっていた。その時、チーム内から声が上がったのである。「遅くてもいいよ」「六位になってもいいから」と。この言葉によって、全員が予定通り、出場することになった。

結局、リレーは一位も二位も取れなかったが、子どもたちは誰のせいにもしなかった。全員が完走することを全員が望んだ。それが答えだった。走る前から子どもたちはすでにゴールしていた。そして、座席に戻ったとき、リレー担当グループが学級全員を突然集合させた。これも予定になかったこと。伝えられたのは「二週間、休み時間も放課後もリレーの練習がんばってくれてありがとう」という感謝の一言だった。

何度も練習したバトンパスは心の継承。勝つために練習してきたにもかかわらず、子どもたちは勝つことよりも大切なものをつかんでいた。

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