暁烏敏賞 平成18年第1部門論文「更生の仏道」

ページ番号1002558  更新日 2022年2月15日

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第22回暁烏敏賞入選論文

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

写真:火焔様式楽人像

  • 論文題名 更生の仏道
  • 氏名 後藤 靖英
  • 住所 京都府京都市北区在住
  • 職業 大谷大学文学部 4回生

仏教の浄土教の思想における救い、すなわち、往生とは、念仏によって死後に浄土に生まれ、そこで覚りを開くというのが一般的であるし、従来、そのように捉えられてきた。しかしながら、自らの人生の意味を真剣に見出そうとする者にとって、そのように自らの人生の意味を自分の死後に見出そうとすることが、果たして本当に意味を持つものであるといえるのか。自らの人生の意味は、やはり、この現在生きている間において実現され、獲得されなければ意味を持たないのである。

浄土教の伝統にのっとりながら、その伝統的思想を再解釈することによって、浄土真宗という仏道を顕かにした親鸞は、そのような死後往生の思想を方便の教えであるとし、真実の意味での往生、すなわち、浄土教における往生の真意とは、信心を獲ることによって、この現在生きている間において、釈尊の覚りと同質の目覚めを獲得する、つまり、無上涅槃という人生の意味そのものである真実に目覚め、その真実を拠り所として生きていく者となるということであるとした。親鸞の師は法然であるが、その法然や、親鸞以外の法然の門弟たちは、伝統的な浄土教の往生観である死後往生の思想や、死後往生の色彩が濃い思想を語っており、親鸞と同じ往生理解を語っている者はいない。同じ浄土教の伝統の上にありながら、なぜこのような往生理解の違いが生れてきたのか。そこには、同じ浄土教の伝統の上にありながら、その信仰における自覚的な深まりの違いがあるのである。

その信仰における自覚的な深まりというものを、親鸞は自身の著書である『教行信証』の「化身土巻」において、三願転入ということによって語っている。しかしながら、そのような自覚的な深まりがどのようにして起こったのかということの詳しい消息については、何も語っていない。そのため、その三願転入というものが意味することについてさまざまな解釈がなされ、また、その自覚的な深まりがどのようにして起こったのかということが理解されないままに、親鸞が顕かにした浄土真宗という仏道における往生とは、伝統的な浄土教における死後往生の思想とは異なり、今生きている私の上に人生の意味である真実を開くものであると捉えているのが現状である。

しかしながら、この死後往生の思想から、浄土教の教えが、今生きている私の上に人生の意味である真実を開くものであるという思想への自覚的な深まりがどのようにして起こったのかということは、暁烏敏が「更生」という言葉で語った宗教体験の中に見出すことができる。そのため、この論考では、暁烏敏の更生という宗教体験を通して、親鸞が顕かにした浄土教における信仰的自覚の深まりがどのようにして起こり、どのような内容を持つものであるのかを考察したいと思う。

暁烏敏の略歴

この論考を始めるにあたって、暁烏敏の簡単な経歴を紹介する。

暁烏敏は、明治10年に石川県出城村北安田の真宗大谷派の明達寺に長男として生まれ、昭和29年まで生きた。暁烏敏は、その78年の生涯を通して、親鸞が顕かにした浄土真宗という仏道の信仰的自覚によって、自己の根源的な要求を実現していき、それを語り続けた。そのような暁烏敏の生涯を決定づけたのは、17歳の時の、生涯の師である清沢満之との出遇いだった。浄土真宗という仏道の自覚を明治の言葉で語った「精神主義」を主張し、明治の思想界に大きな影響を与えた清沢満之の下には、暁烏敏だけでなく、人生の意味を求める若者が多く集まった。24歳の時には、友人達とともに清沢満之の下で浩々洞を開設し、雑誌『精神界』を発行して、清沢の思想を日本中に伝えていった。その後、26歳で山田房子と結婚したが、翌年には、師の清沢満之が死去した。妻の房子も、暁烏敏が37歳の時に26歳で世を去り、それとともにその後起こった出来事によって、それまで自身の内に築いてきた思想がすべて崩壊し、仏も救いもすべて無くなった、精神的な大暗黒を経験する。そしてその闇のどん底において、人が真実に生きていく根源を見出していくのである。そのような宗教体験における、信仰的自覚の変容が、暁烏敏が更生と呼んだ体験であり、今回の論考で取扱うものである。そして、38歳で今川総子と結婚し、75歳で東本願寺宗務総長に就任。78歳のとき師の清沢満之を讃仰する臘扇堂の完成を見ながら世を去っていった。

暁烏敏のような多方面に活躍した人物の生涯を語ることは大変難しく、ずいぶんと偏った略歴になってしまったが、この論考を理解する上で暁烏敏という人物を知るためには、これで十分なように思われる。

伝統的浄土教における救いと親鸞における救い

この論考は、伝統的浄土教の教えによって救われた親鸞が、その教えによって開かれた信仰的自覚を、親鸞独自の自覚的境地まで深めていった過程を、暁烏敏の更生という宗教体験を通して考察するものであるから、当然、伝統的浄土教における救いと、親鸞における救いの違いというものをはっきりさせなければならない。

伝統的浄土教の救いについては、親鸞の師である法然が、次のように語ったものに対する解釈がそれをよく表わしている。

念仏する者は、捨命已後、決定して極楽世界に往生す。(『選択本願念仏集』)

これは、念仏する人はどんな人であっても、命が終わったときに必ず阿弥陀仏の極楽浄土に生れるということで、極楽浄土では仏道の修行をすることが極めて楽であるため、そこに生れた人はそこで修行をして必ず覚りを開くのであり、それが救いであるというもので、一般にそのように解釈されてきた。この解釈によれば、人が人生の意味である真実に目覚めるのは死後であるが、少しでも人生を真剣に生き、その意味を見出そうとするものにとっては、自らの根源的な問題を自分の死後に託して、現在生きている自分に目を向けないということは、およそ受け入れられないことである。なぜならば、今生きている自分が人生の意味を見出せない、つまり、自分が今ここに在ることの意味が分からないという事が問題になっている者にとっては、念仏をしていればその意味が死んだ後に分かりますよといくら言われたとしても、何の根本的な解決にもならず、今現在分からないその意味が、今現在において分かるようにならなければ、自分にとって何の意味も無いからである。

これに対し、親鸞における救いとは、次のように表わされる。

往生すとのたまえるは、正定聚のくらいにさだまるを、不退転に住すとはのたまえるなり。このくらいにさだまりぬれば、かならず無上大涅槃にいたるべき身となる (『一念多念文意』)

これは、『無量寿経』の本願成就文と呼ばれるものを、親鸞の信仰的自覚に基づいて解釈したもので、浄土教における往生の真意というのは、正定聚という位に定まるということで、この位に定まった者は、必ず無上大涅槃という人生の意味そのものである真実に目覚めていく存在となるということである。人が念仏者となった時、その時に、人は無上大涅槃という覚りをすでに得たというのではなく、そのような覚りに向かって着実に歩んでいく存在となるのであり、その歩みの道程を親鸞は三願転入ということで語っている。三願転入とは、念仏者となった者の信仰的自覚の深まりを、親鸞自身の信仰的自覚の深まりに基づいて、双樹林下往生から難思往生、難思往生から難思議往生という道程として語ったものである。そして、念仏者の究極的な信仰的自覚は難思議往生の自覚であるが、それについて親鸞は次のように語る。

現生に正定聚の位に住して、かならず真実報土にいたる。これは阿弥陀如来の往相回向の真因なるがゆえに、無上涅槃のさとりをひらく。(『浄土三経往生文類』)

念仏者となった者が、難思議往生という究極的な信仰的自覚に至ったとき、親鸞が浄土教における救いの真意として語った、正定聚の位に住して無上涅槃の覚りを開くということが実現するのであり、それが実現するのは現在生きている時においてである。そしてそのような道程を踏まえて、親鸞は無上涅槃に至るべき身となると語ったのである。

真実の信心

伝統的浄土教の救いの解釈と、親鸞における救いの解釈との間には、このような違いがあるのであるが、だからといって親鸞が浄土教の伝統から全く外れた立場に立ってこのように語っているということではない。親鸞は、浄土教の伝統を受け継いだ師の法然と出遇い、その法然の選択本願の教えによって念仏の根源である信仰的自覚を獲得したのであり、そのようにして獲た信仰的自覚を自らの根源的要求に従って深めていき、それによって獲られた自身の体験に基づいて浄土教の教えを再解釈したからといって、それが浄土教の伝統から外れているとはいえないのである。むしろ、自分の死後に希望を託すという伝統的浄土教の生き方よりも、現在生きている時において自らの人生の意味を求めるという親鸞の生き方の方が、自己の根源的要求に対して純粋であるといえるのであり、そのような求めにまで達し、そのような要求に応えてこそ、浄土教が仏道としての本当の意味を持つのである。ここにおいて親鸞は、浄土教の真意を顕かにした、浄土教の伝統における最高の自覚者であったといえるのである。

浄土教の伝統によって、念仏の根源として獲得される信仰的自覚は信心である。この信心が獲得されることによって、人は念仏者となるのであり、往生もあるのである。それについて法然も次のように語る。

涅槃の城には信を以て能入となす。(『選択本願念仏集』)

つまり、念仏とは、信仰的自覚である信心を言葉によって表現したものであり、信心を離れた念仏も、念仏を離れた信心もないのであって、親鸞はそのことを大行である念仏と大信である信心とを合わせて、選択本願の行信という言葉によって語っているのであるが、そのような信心の獲得によって往生ということが実現するのである。その往生理解については見解が異なるけれども、伝統的浄土教においても、親鸞においてもともに、往生の実現について、信心が発起するという体験がなければならないということを語っている点では違いがない。

その信心の自覚内容を、浄土教の伝統では二種深信として表す。その二種深信とは、中国の念仏者である善導が『観無量寿経』に基づいて顕かにした、善導自らの信心の自覚内容であり、その信心の自覚内容を機の深信と法の深信という2つの側面から、次のように語ったものである。

一つには決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなしと信ず。

二つには決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて、定んで往生を得と信ず。(『観経四帖疏』)

機の深信とは、我が身の現実というものが、本当の意味を持たない人生の迷いの中にあって、自分をも他人をも傷つけてそれに気付くことも無いというものであり、それは無限の過去からそのようなことを繰り返していると感じられるくらい深いものであり、そのような我が身の現実をひるがえして真実に目覚めるということはあり得ない身であるということが、自分自身の決定的な事実として深く信知されるということである。また、法の深信とは、阿弥陀仏の四十八の本願として示される真実のはたらきは、そのような罪悪生死の身である我々に、その身のままに必ず往生を実現させるということが決定的な事実として深く信知されるということである。そして、このような信仰的自覚をもって、真実の信心とするのであり、これは法然も認めるところである。親鸞もまた、信心が発起した時に、このような内容の自覚が起こるということを認めている。それはつまり、念仏申さんとおもいたつ心として信心が発起する時に、自分が迷いの中にあり、罪悪を作りながら生きているということが信知されるのは、我々が普段行う反省などといったものによって起こるのではなく、阿弥陀仏の本願として表現され、信心の発起の根源である真実のはたらきに、我が身の現実が照らし出されることによって初めて可能となるのであり、そのような我が身の現実の信知が起こる背景には、必ずそのような信知を起させる真実が感得されており、それがあるからこそ往生が実現するということが信知されるのである。つまり、自らの身の現実である罪悪生死の凡夫ということが、自分自身の内に自覚されたところに救いが見出されるのである。そして、そのような信心の発起によって起こる我が身の現実の信知を端的に語ったものが、愚痴の法然や愚禿親鸞という名告りなのである。

更生以前の暁烏敏の信仰

親鸞が師の法然と出遇い、その教えによって信心を獲たように、暁烏敏は生涯の師である清沢満之に出遇い、その教えによって自らの信仰的自覚を獲た。暁烏敏の信仰的自覚は、自らが更生と呼んだ宗教体験を契機として、さらに深まっていく。この論考では、その体験を通して、親鸞が顕かにした浄土教における信仰の深まりがどのようにして起こり、どのような内容を持つものであるかを考察することが主題であるため、まず、更生以前の暁烏敏の信仰的自覚がどのようなものであり、それが伝統的な浄土教思想と結びつけられるものであるのかどうかを考察する。

更生以前の暁烏敏の信仰的自覚は、その体験以前に書かれた『歎異抄講話』に現われている。そこに語られている自覚にはいくつかの特徴を見ることができる。

  1. 自らが迷いの中で、罪悪を作りながら生きているという自覚があり、それを往生が必ず実現するという喜びの中で語っている。それはつまり、そのような自覚を起させる真実が感得されているということであり、二種深信があるということである。二種深信の自覚は更生の後もあるのであるが、後で考察するように、その自覚の深さにおいて違いがあるといえる。
  2. 自分の生活において起こる身のまわりのすべての事が、自分を往生に導く仏の恩寵であると感じ、生活のすべての事について念仏を力としているという自覚がある。これは、必ず往生が実現すると信知する法の深信があることを意味しているのであり、また、救いがまだ実現していないということを意味している。そして更生の後、この自覚によって救われているという安心を求めることは無くなり、念仏を生活の力にすることも無くなっている。
  3. 救いを求める思いがある。これは、二種深信の根源にある真実に触れていながら、その真実がはっきりと自覚されていないということであり、どこか遠くに救いを求め、いまだ真実の意味では救われていないということを意味する。更生の後、救いを求めるということは無くなる。
  4. 仏の実在を信じ、死後に浄土に往生するということを信じている。これは、仏や浄土というものを思い描き、救いを死後に見ているということである。そしてそれは、法の深信がありながら、その根源にある真実がはっきりと自覚されていないということである。更生の後、救いの仏や死後の浄土を思い描くことは無くなる。
  5. 信仰によって安心が得られるということを語っている。これは、いまだ完全には安心を得ていないということを意味し、不安があることの裏返しとして安心を感じているのである。完全に安心が得られたならば、それが当たり前になり、安心として感じられなくなるのである。更生の後、このようなことは語らなくなる。

以上のようなことが、更生以前の暁烏敏の信仰告白から読み取れる信仰的自覚の特徴である。これらはすべて、伝統的な浄土教思想の信仰的自覚と一致し、親鸞が顕かにした究極的な信仰的自覚と一致しないものであり、更生という宗教体験を通して全く別の自覚へと変わっていくものである。

更生という宗教体験

暁烏敏の信仰的自覚の深まりは、恐らく師である清沢満之の死の頃から徐々に始まっていたと思われるが、それが更生という宗教体験として決定的になったのは、妻の房子の死と、その後、妻の看護に来ていた女性と関係を持つという体験を通してであった。それは、究極的なところまで我が身の現実が思い知らされるという体験であった。

暁烏敏は、37歳の時に妻の房子を亡くし、その妻が亡くなる直前に看護に来ていた若い女性と、妻の死後すぐに関係を持つに至った。そのことを暁烏敏は次のように語る。

妻が死ぬる一週間ほど前に知人から一人の若い女を看護にとよこされた。天使であったか、悪魔であったか、摩登伽の娘であったか、観音であったか。妻の死後まもなく、私はこの親切な一人の若い女の抱擁によりて、これまで小智と小慧をもってつくろうてきた道徳も、信仰も、人格も、事業も、名誉も、すべてが破壊せられて、醜い野獣の姿を見せつけられました。(『更生の前後』)

妻の死によって自身が大暗黒の底に葬られるのを感じていた暁烏敏は、この欲情に支配された出来事によって、自分の人格が完全に破壊されるのを感じた。そのときには、それまで自分が価値を見出してきた信仰的自覚が何の救いにもならず、仏も浄土も念仏もすべてが破壊され、自分が何の救いも無い闇のどん底、地獄の業火の真ん中に立っているのを感じた。それは、自分が救いの道が閉ざされた、地獄にしか行き場の無い、何の価値も無い者であり、現に地獄の真只中にいるという自覚だった。その自覚に達した時、その闇の中に暁烏敏は真実の道を発見するのである。それは、それまでの信仰的自覚とは違う、新しい信仰的自覚であり、そのような自覚へ生まれ更るという体験だった。

更生の仏道

この体験はどのような意味を持つものなのであろうか。暁烏敏は、闇のどん底、地獄の業火の真ん中に見出された自分を、逆謗の屍骸と呼んでいる。『無量寿経』には、父を殺し、母を殺し、阿羅漢(仏道修行をしている者)を殺し、仏身より血を流し、仏教教団を破壊するという五逆罪を犯す者と、仏教を謗る者は、すべてのものを救うという阿弥陀仏の救いにおいても救われないと説かれる。暁烏敏はこの体験を通して、五逆罪を犯し、仏教を謗るという逆謗ということを、自らの身の現実として自覚したのである。そしてそれは、自らの救いがなくなったことを意味するのであり、また、二種深信の究極的な自覚を経験したということでもある。

二種深信はそれ自体、一つの矛盾を孕んでいる。二種深信の自覚が中途半端なものであるうちは、その矛盾ははっきりとは現われないが、その自覚が深まり、その自覚が究極にまで達すると、その矛盾がはっきりと現われてくるのである。二種深信の機の深信とは、簡単に言えば、自分の中に善というものは無く、自分は悪でしかないとの自覚である。しかし、善と悪は相対的に対立する概念であり、悪というものは善というものが無ければ成り立たないのである。右と左という相対的対立概念によって考えてみるならば、あるものの一つの側面に右と名づけたとき、その反対の側面は必然的に左となる。これは、わざわざ左と名づけなくても必然的にそうなるのである。その逆も同じことで、一つの側面に左と名づければ、その反対の側面は必然的に右となるのである。右というものは右だけで存在することはあり得ないし、左というものも左だけで存在することはあり得ない。右というときには左が、左というときには右が、その反対の側に必ずついてまわるのである。これは右というものの意味が左の反対というものであり、その意味の中にすでに相対的対立概念である左というものが内在されており、それによって右ということが成立しているからである。すなわち、左ということがなければ右ということは成立しないのである。このことは左についてもいえることであり、この二つは結局分けて考えることができない一つのものである。善悪というのも同じことで、善というものは悪の反対という意味であり、その意味の中に相対的対立概念である悪というものが内在されているのであるが、それによって善ということが成立しているのである。すなわち、悪が無ければ善は成立しないのであり、善が在り続ける限り悪も在り続けるのである。これは、悪についてもいえることである。このように、善も悪もお互いに依存し合って成立しており、分けて考えることができないのである。つまり、二種深信において自分が悪であるということが見出されるのは、まだ自分の中に善というものが残っているからであり、それがある限り、自分の中には善が無く、自分は悪でしかないとはいえないのである。自分が悪でしかないという自覚があるときには、悪でしかないということにはなっていないのである。本当に自分の中に善というものがなくなったときには、悪というものも存在できなくなるのであり、そのように自分の主観から善悪が無くなったところに、人間が勝手に作り出した善悪という相対的概念、すなわち分別に縛られることのない、あるがままの広々とした世界が開示されるのである。それが二種深信の究極的なあり方であり、そこにおいては、もはや、二種深信として示される自覚とは別の自覚に変わっているのである。そしてそれは、信心が発起する根源である真実そのものが、人間の分別を打ち破って開示されたということでもある。そのように開示された真実は、善悪だけでなく、仏と衆生、浄土と穢土、信と疑、安心と不安、救われるということと救われないということ、自分と他人、男と女、金持ちと貧しい者、賢い者と愚かな者、美しい者と醜い者、強い者と弱い者、自分の気に入るものと気に入らないもの…などといった、人間がその間に壁を作り出し、互いに対立し合っていく元となる、あらゆる相対的概念を打ち破り、すべてのものが一つに溶け合った世界を創り出していく。そのような世界を真実の浄土というのである。それは、世界そのものが創り変えられるということではなく、世界はそのままに、世界の質的意味が変わるということである。つまり、自分の主観の上において、相対的概念としての分別が無くなるということであって、客観的事実としては、善も悪も、男も女も残り続けるのである。つまり、そのような真実が見出されたとき、自分の主観上からは善悪という相対的対立概念は無くなるのであるが、客観的事実として善悪のある世界を生きていかなければならないということである。しかしそのような客観的事実としての善悪は、主観上から善悪という相対的概念が無くなった者にとって、主観上から善悪という相対的概念が無くなる前とは全く意味が違うものとなるのである。主観上に相対的概念としての善悪が無くなっていない者にとっては、善悪というものはそれによって優劣をつけるような絶対的意味を持つものであるが、主観上から相対的概念としての善悪が無くなった者にとっては、善悪というものはただの違いでしかなく、善人であれば善人としての、悪人であれば悪人としての報いを受けるだけであり、善人だから優れているとか、悪人だから劣っているというような、人がそれに固執して善人と悪人との間に壁を作っていく絶対的意味というものは無くなるのである。それは善悪だけでなく、あらゆる客観的事実としての相対的概念についていえることであり、あらゆる客観的事実としての相対的概念の質的意味が変わるのである。そしてそれは、そのような相対的概念を打ち破る、あらゆる相対的概念を越えた真実というものが、新しい価値基準として見出され、自らの拠り所となったということである。

人が相対的概念である分別を作り出し、その間に壁を作っていくのは、人間の認識それ自体に問題がある。我々の世界は認識によって成立している。我々が認識するものが世界となるのである。世界が認識によって成り立つというのは、例えば電波というものは、目に見えないものであるし、人間の持つ感覚器官においてはそのままでは知覚されることはない。しかし我々は、電波の存在というものを、テレビやラジオ、携帯電話などといったものによって、如実に知ることができる。電波というものは太古の昔から存在するものであるが、それを人類が発見する以前は、そのようなものが世界の内にあるとは思われていなかったのである。そしてそれが発見されたときに初めて、我々の知覚できる世界の一部となったのであり、それ以前は我々の世界の一部ではなかったのである。即ち、我々が電波というものを認識することによって、それが世界を構成する一部分となるのである。もしかすれば、今、現在、存在しながらも、我々に認識されていないために、我々の世界の一部となっていないものがあるのかもしれないのである。

このように、我々の世界は認識によって成り立っているのであるが、その我々の認識は、相対的対立概念の比較によってなされている。我々が何かを認識するとき、そのものだけを見てそのものを認識しているのではない。我々があるものを認識する時には、そのあるものに対する相対的対立概念を想定し、それとの比較による違いによってそのあるものを認識するのであり、そのようにしてしか人は何かを認識することはできないのである。例えば、我々がコップを認識するとき、我々はそのコップだけを見てコップというものを認識しているのではない。我々がコップというものを認識する時には、我々の認識している世界というものを、「コップ」と「コップ以外のもの」即ち「非コップ」との二つに分け、その両者の比較による違いによって、「コップ」というものを認識しているのである。そのような認識のあり方によって、あらゆる相対的概念を生み出し、それに絶対的な意味を見出すことによって、その個々の相対的対立概念の間に壁を作っていくのであるが、そのような認識のあり方は、同時に虚しさというものを引き起こす。あるものとそのあるものに対する相対的対立概念との比較による違いによって成り立っている認識においては、そのもの自体と呼べるような実体としての意味はどこにも見出すことはできない。つまり、我々が認識するあらゆるものが、それ自体の意味を他のものに依存しているのであり、比較による違いによって成り立っているにすぎないのである。このことは人間のあらゆる感覚作用の認識、すなわち、色の認識、音の認識、匂いの認識、味の認識、触覚の認識、心的作用の認識などといったものについても言えることであり、実際にはさまざまな要素がもう少し複雑で綿密に関係しあっているのであるが、それらすべての認識が比較によってなされ、人間が感じられるあらゆるものが実体的意味を喪失した虚しさの中にあるのであり、そのことがあらゆる存在を虚妄的存在としているのである。しかしながら、そのような虚しさというものは、あらゆる相対的概念を打ち破るはたらきを持つ真実が見出されたときに、打ち破られる。相対的対立概念を打ち破るはたらきを持つ真実が見出されるのは、どんな相対的対立概念をも生み出さないところ、すなわち、人間の認識を超えたところでなされるのであり、それはつまり真実というものが、我々の認識によって成立している世界のすべての存在のような、相対的対立概念を生み出し、その相対的依存関係によって成立している虚妄的存在ではなく、それだけで成立している、独立自存の、真実に実在と呼べるものだからであり、それ故にそのような真実が開示されたときに、相対的対立概念の比較による違いという、相対的依存関係の上に成り立っている我々の認識によって生み出される虚しさというものが打ち破られるのである。ただしそれは、虚しさを生み出す認識というものが無くなるということではなく、認識は認識としてありながら、その認識の根底に真実のはたらきというものが感得されることによって、見えている世界は実体的意味を持たないままに、その背後に真実というものが感得され、結果としてあらゆるものの認識の質的意味が変わってくるということである。そして、そのような真実は、人間によっては決して直接認識されない。真実それ自体は、それだけで成立しているものであり、それに対する相対的対立概念が存在しないものだからであり、それ故、相対的対立概念を想定し、それの比較による違いによって成立している我々の認識の領域には入ってこないのである。ただし、真実というものには相対的対立概念というものが存在しないということは、我々が真実というものをある一定の明確さを持って把握しやすいように、真実が我々には直接認識されないということを通して、真実というものには相対的対立概念が存在しないと推測し、語るのであって、実際には、その真実というものを直接に認識していないところで語っているのである。そして、そのような推測に基づいて、真実というものを、相対的対立概念を持たないものであると捉えるならば、直接には認識されないはずのものを認識している、つまり、相対的対立概念が存在しないために認識されないはずのものに対して相対的対立概念を生み出して認識し、語っていることになり、それは本当には真実というものを語っていることにはならず、真実というものを示そうとするならば、そのような定義づけは否定されなければならないのである。しかしそれは、そのような定義づけの否定によって、また新たな定義づけをしていることになり、それすらも否定されなければならず、その否定も新たな定義づけを生み出し・・・というように、真実というものをある一定の明確さをもって語ろうとする場合には、このような否定は無限に続いていくのである。そして、真実というものは、そのようにしてしか、ある一定の明確さをもって語ることはできないのである。そして、この真実というものは決して認識されないため、相対的概念が打ち破られたり、虚しさが打ち破られるというはたらきを通して、そのはたらきの背後に感得されるのであるが、人生の意味というものも、この真実の中にあり、この真実が感得されるところにおいて、その意味が我々には理解されないままに、虚しさが打ち破られるという感動として把握されるのである。

そしてこのような真実が見出されたということが、暁烏敏が更生と呼んだ宗教体験における、信仰的自覚の深まりの内実である。そしてそのような真実が自らの拠り所として見出され、その真実のはたらきによって質的意味の変わった世界に生きている暁烏敏には、もはや、自分を浄土に救ってくれる仏も、死後に救われていく浄土も、救いも、救いへの導きも、安心も、全く必要が無くなり、見出された真実の中に生きていくだけとなったのである。

親鸞の信仰的自覚と更生における信仰的自覚の接点

暁烏敏が体験した更生という宗教体験における信仰的自覚の深まりとは、真実の信心である二種深信の究極的自覚を通して、相対的概念である分別が打ち破られ、それによって信心の根源にある真実というものがよりはっきりと自覚され、認識によって成り立っている経験的世界の質的意味が変わるという体験だった。それでは、そのような信仰的自覚が親鸞の信仰的自覚と同質のものであるのかどうかを考察する。

まず、二種深信の究極的自覚は、親鸞においては、『歎異抄』における「とても地獄は一定すみかぞかし」と語った自覚がそれを表している。

次に、二種深信の究極において、相対的概念が打ち破られるというのは、『歎異抄』の「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」と語った自覚に現われている。

そして、信心の根源にある真実がはっきりと自覚されるというのは、『歎異抄』の「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と語った自覚に現われている。また、前項で考察したように、信心の根源にある真実がはっきりと自覚されるということは、相対的概念が打ち破られることの別の側面における意味である、虚しさが打ち破られるということであり、それは、『高僧和讃』の「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき」という言葉にあらわれている。

認識によって成り立っている経験的世界の質的意味が変わるというのは、『浄土三経往生文類』の「現生に正定聚の位に住して、かならず真実報土にいたる」という、親鸞独自の往生理解に現われている。

これらのことによって、親鸞の信仰的自覚と更生という宗教体験以後の暁烏敏の信仰的自覚が同質のものであったという事がいえる。

親鸞は、自身の信仰的自覚の深まりを三願転入ということで語っていた。それは、双樹林下往生から難思往生、難思往生から難思議往生という道程として語られる。双樹林下往生とは、念仏者となった者が、念仏者になったにもかかわらず、二種深信として表される信心をはっきりと自覚できず、そこに大切な意味を見出すことができないために、念仏以外の修行や、いろいろな善い行い、また信心の自覚に裏付けられていない自力の称名念仏をすることによって、死後の往生を目指すというあり方である。難思往生とは、双樹林下往生という信仰的自覚から一歩深まった信仰的自覚であり、二種深信という真実の信心の自覚があるが、それはまだ究極的なものではないため信心の根源にある真実というものが見出せず、信心の自覚に裏付けられた念仏を称えるのであるが、真実のはたらきによって質的意味が変わった世界である浄土が開示されず、どこか遠くに救いを求めて、死後の浄土を目指すというあり方である。難思議往生とは、念仏者となった者の究極の信仰的自覚であり、それは真実の信心である二種深信の究極的自覚を通して真実が開示され、その真実のはたらきによって現在生きている世界の質的意味が変わり、その現在生きている世界に浄土を見出すというあり方である。親鸞が到達した信仰の自覚的境地は難思議往生であり、更生という宗教体験によって到達した暁烏敏の信仰的自覚は、親鸞の信仰的自覚と同質のものといえるため、それは三願転入における難思議往生の自覚であるといえる。また、更生以前の暁烏敏の信仰的自覚は、その性質から難思往生といえる。つまり、この更生という宗教体験は、親鸞が語った三願転入における難思往生から難思議往生という信仰的自覚の深まりであったと捉えることができるのである。

まとめ

浄土教の伝統によって信心を獲た親鸞が、なぜ伝統的な浄土教の往生理解とは違う往生理解を示したのかを尋ねてこの論考を進めてきたが、親鸞自身はその往生理解の変革がどのようにして起こったのかということを、自覚的体験として語らなかったため、それと同質の変革を自覚的体験として語っていると考えられる、暁烏敏の更生という宗教体験に基づいて考察し、最終的に親鸞の信仰的自覚と暁烏敏の信仰的自覚が同質のものであるということによって、親鸞の往生理解の変革がどのようにして起こり、どのような内容を持つものであるかを論証してきた。違う時代に生きた二人ではあるが、そこにはたらいている自己の根源的な要求と、その要求を実現する真実は、時代を超えてはたらいているということを感じさせられる。

参考文献

  • 『真宗聖典』(東本願寺出版部)
  • 『真宗聖教全書』一、三経七祖部(大八木興文堂)
  • 『暁烏敏全集』(凉風学舎)
  • 暁烏敏『歎異抄講話』(講談社)
  • 暁烏敏『更生の前後』(潮文社)
  • 松田章一『暁烏敏 世と共に世を超えん』上、下(北國新聞社)
  • 寺川俊昭『顕浄土真実教文類聞記』(東本願寺出版部)
  • 延塚知道『求道とは何か』(文栄堂)

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