暁烏敏賞 平成21年第1部門梗概「苦悩の倫理学 死なないでいることの<理由>」

ページ番号1002533  更新日 2022年2月15日

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第25回暁烏敏賞入選論文

第1部門:【哲学・思想に関する論文】

写真:火焔様式楽人像

  • 論文題名 苦悩の倫理学 死なないでいることの<理由>
  • 氏名 梶尾 悠史
  • 住所 東京都西東京市在住
  • 職業 株式会社 日本標準 勤務 東北大学大学院文学研究科博士課程1年

論文概要

本論の目的は、「死ぬとわかっていて生き続けることにどのような意義があるのか」という究極の問いに対して、現実の人生にしっかりと根を下ろした答えを与えることである。

本論では、われわれに可処分権が帰せられる所有物と同じ水準で生を捉える考え方を批判する。そして、生の放棄としての自殺は、生の意味を直視し続ける者にとって倫理的に受け入れがたい選択であることを示す。最初に、プラトンの著作に依拠して、善と悪を所有と欠如の関係として理解する古典的な道徳論を吟味する(第二節)。こうした考え方に代わってわれわれが重視するのは、所有=善と欠如=悪が二極化して問題を形成する以前の、生の流動的なあり方である。実体的な「生」ではなく、遂行される動詞的な〈生〉こそ、われわれにとって唯一の現実的な人生であることを確認する。

続いて、ショーペンハウアーの思想に依拠して、この生を貫く原理を、決して終結することのない所有と欠乏の間の相克に翻弄され続けることから生じる「苦悩」に求める。この苦悩を自分の人生の中で誠実に貫徹できる者のみが、逆説的にも、「私たちは生に蔓延する否定性から決して逃れられない」という二重否定の形で自らの生を肯定しうるのである。このことを示して、生き続けるための「苦悩の倫理」を提起したい。

苦悩の倫理は、所有‐非所有という偶然的な価値基準に先立つ、生きることそれ自体に内在するアプリオリな価値に目を向ける視点を可能にする。このような視点を獲得したとき、はじめて、私たちは「持つ‐持たない」という二項対立を克服して、「分かち合う」ことに新たな価値を認めることができる。そして、他者に対して、その人が持って生まれた属性やその社会的な有用性を度外視して、その人自身の存在を無条件に肯定する友愛の視点をもつことができるのである。

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