暁烏敏賞 平成19年第2部門論文「「いじめ」を越えた子どもたちとの歩み 教室の人間化から生まれる成長の姿」1

ページ番号1002552  更新日 2022年2月15日

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第23回暁烏敏賞入選論文

第2部門:【青少年の健全育成に関する論文または実践記録・提言】

写真:覚華鏡

  • 論文題名 「いじめ」を越えた子どもたちとの歩み 教室の人間化から生まれる成長の姿
  • 氏名 寺岸 和光
  • 住所 白山市在住
  • 職業 金沢大学附属小学校教諭

はじめに

「いじめがあった。まだ解決できていない。トラブルもよくあり、学級編成で配慮はしているが、根本的な解決にはならない。この六年生を担任してもらいたい。」

新任教員打ち合わせの日、校長先生は私にこのような話をされた。もう数年前のことになる。新たな小学校に赴任することになった三月の末だった。学級づくりにこだわってきた私に、校長先生はきっと期待されたのだと思う。しかし、私にははっきりとした「いじめ」問題に出会った経験がなかった。だから、「任せて下さい」とは返答できなかった。

四月一日、私は六年担任になった。これまでとは違う緊張感があった。しかし、私が担任した子どもたちに、幾度も語ってきた言葉が自分自身への励ましになった。

「どんなに背伸びしても、人は自分がもっているものしか出せない。わずかずつでもそれぞれが出せるものを出し合って考えて、自分のものを増やしていけばいい。それが学ぶということ。ありのままから始めよう。」

この子どもたちは気持ちのよい学校生活を送ってきてはいないはずだ。学校に否定的なイメージをもっているだろう。「いじめ」を見つめられない子どもたちに、人間関係の問題をいきなり指摘して説教じみた話をしたところで、私との心の距離は広がるばかりだ。しかし、子どもがつながり、成長し合っていく学級づくりになら何度も挑戦してきた。私がこだわってきたことから今年も始めるしかない。「いじめ」をどうするかではなく、子どもたちの成長をどうアシストするかだ。急がば回れ・・・そう決意してみると、不安があるにもかかわらず、新しい六年生たちを迎える気持ちが不思議と膨らんできた。こうして、「いじめ」を抱えていた子どもたちとの一年間が始まった。

私は、この実践記録で次のことを提起する。

子どもが協同的に学び、成長していく場としての学級づくりの表裏として、「いじめ」を越えられる子どもたちは初めて立ち現れてくる。

「いじめ」問題は、「いじめ」自体に対処しようとする姿勢だけでは解決できない。目の前の「いじめ」を抑えつつ、並行して「いじめ」を否定できる関係や力を育んでいかなければならない。子どもたちが互いの心を重ね、共感も対立も悩みも含めて人間らしくかかわっていける過程が、結果的に「いじめ」とは対極のかかわりを育てていくのである。

1 「いじめ」が生まれる空間

(1)子どもの現実を受け止めた二週間

指導要録の記載、前担任との引継ぎなど、教師は実際に出会う前から子どものイメージを決めつけてしまう場合がある。しかし、人間の態度や言動は、場所や相手によって簡単に変わってしまうことは、誰もが経験的に知っている。子どもも同様である。現に、誰も知らないところで大きな悩みを抱えていた「いい子」や、学級全体の学びが深まるほどの感性を見せた「問題児」に、私は毎年のように出会ってきた。私は自分の目と感じ方を起点にしたかった。この年も、しばらくは指導することよりも子どもの現実を受け止める意識を強くもっていた。まず、私が四月当初の二週間の中で感じ取った実態を記すことから始める。「いじめ」や人間関係のもつれに苛まれてきた子どもたちの空間は予想以上に重く、苦しく思えた。

〔1〕硬直した狭い世界の日常

子どもたちとの出会いは春休み最後の日、新学期準備の場だった。仕事の役割分担をするために六年生全員を体育館に集合させた。この学年が抱えていた問題は、このときすぐに見て取れた。男女が左右にはっきりと分かれて座ったのである。直後の作業場面でも男女間での会話はほとんど見られなかった。

ところが、数日後には同性でもいくつかのはっきりとしたグループに分かれていることがわかってきた。この状況は、学習の消極化に直結していた。当然のことだが、教室ではそれぞれのグループがバラバラになって座る。だから、授業中は誰にとっても仲間と離れている居心地の悪さがあった。授業は、沈黙して終業のチャイムを待ち、休み時間になるとグループ毎で固まってはしゃぎ、授業開始直後からはまた沈黙する。授業後の解放感が居場所を強調し、他グループをさらに否定的に見てしまう悪循環を生んでいた。

〔2〕揺るがないイメージ

居場所であるグループは楽しい場所にも見えなかった。子どもの表情から窮屈さすら伝わってきた。狭い世界に生きる日常は、互いのイメージを強固なものにする。周囲がそのイメージに合ったいつもの扱いをし、本人もまたその扱われ方に合わせる。いつもの言動から誰もが自分をずらすことができなくなっていた。好きではない自己像であっても、周囲に合わせることで居場所を確保しているように見えた。互いに縛り合う硬直した関係が、個々の成長を阻んでいると感じた。

〔3〕関係の慢性的なもつれ

子どもたちの慢性的な関係のもつれも見えてきた。例えば次のようなものである。

  • 特定の子どもへの「いじめ」
    低学年の頃から続いてきた特定の子どもへの「いじめ」がある。学級編成によって一時的に沈静化している。よって、いじめられてきた子どもに対する感情は変わっていない。
  • 被差別感
    周囲から嫌われていると感じている子どもも何人かいた。個性的な発想や言動の子どもだが、嫌われる理由は明らかではない。しかし、座席が隣になったり同じグループになったりすると、露骨に嫌悪を顔に表す子どもがいた。
  • グループ内の力関係
    親密に見えるグループ内でも問題を抱えている。グループを維持するためには高圧的な子どもの出現は必然である。そして、居場所を手放したくない子どもたちは安易に同調する。しかし、一旦対立し合うと、睨む、無視する、陰で悪口を広めるといった陰湿な関係に反転するようなつながりの希薄さも感じさせた。
  • 教師に不信を抱く子ども
    子どもの多くは教師に対する不信感をもっていた。訴えても相手にされなかったり、形式的に対応されたりしてきたと思い込んでいる。私と会話を避ける子どもが多かった。
〔4〕力量、挑戦、経験の不足

基礎的な力量が多くの子どもに不足していた。例えば、文字の乱れが目立ち、文章量も多く書けず、数行書けばすぐに鉛筆を置いてしまう。音読の声は小さく、たどたどしい。聞き直しが絶えずあり、数分間の話でも姿勢が崩れ、手遊びが始まり、集中力を欠く子どもが多くいた。指示を待ち、最低限度の活動で留める。失敗も含めた経験の不足を感じた。

(2)「いじめ」が生まれる理由

学級びらきから二週間、子どもたちの現実を見つめていると、「いじめ」が生まれ、広がっていく学級の特徴がわかってくる。例えば、以下のような実態である。

  • かかわる相手が狭く、子どもだけの世界で放置されている
  • 授業では消極的で無表情な子どもが多い
  • 力量や経験が十分に備わっていない
  • 感情的なかかわりが多い
  • 教師と積極的にかかわろうとしない

これらの姿に表れているように、多くの子どもは日常の居場所の確保と同調の作法に汲々として生きている。視野に入っているのは数名の仲間だけで、周囲のグループや教師との間には見た目以上の精神的距離がある。生きる世界が狭いために、些細な変化や不満で頭の中がすぐにいっぱいになる。相手を認めてしまうと差異が際立ち、互いが同じでなくなるため、よさを認め合うこともなく、自分を見つめる余裕もない。そこにグループ外の異端者が目に入れば、標的になってしまう空気も想像できる。

生きるとは、自分のエネルギーを何に使うかという問題である。この学級の子どもたちは、目先の些細な関係のためにエネルギーを使ってきた。だから、「いじめ」を止めることができたとしても、エネルギーの使い道が定まらない限り人間関係のもつれはもちろん、「いじめ」も繰り返されると私は考えていた。小学生とはいえ、社会に押し出される数年後の無力も私には容易に想像できた。この子どもたちに必要なのは、これまでと違うエネルギーの使い方、自分の成長を実現するための新しい生き方だった。

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