暁烏敏賞 平成20年第1部門論文「今、独自的普遍(Universel Singulier)というあり方」1

ページ番号1002542  更新日 2022年2月15日

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第24回暁烏敏賞入選論文

第1部門 :【哲学・思想に関する論文】

写真:火焔様式楽人像

  • 論文題名 今、独自的普遍(Universel Singulier)というあり方
  • 氏名 南 コニー
  • 住所 京都市南区在住
  • 職業 神戸大学大学院人文学研究科後期博士課程

今、独自的普遍(Universel singulier)というあり方

はじめに

「哲学」は今、我々の時代にどのように関わっているのだろうか。そして我々は今、哲学や哲学者から何を学ぶことができるのだろうか。哲学の責務についてニーチェは次のように規定している。

哲学者たちはもはや自分達に与えられる諸概念を受け取って、それを浄化してみがきをかけるだけで満足してはならず、まずはじめに諸概念を製作し、創造し、目の前において、それに頼るように人々を説得するというのでなければならない。結局、現在に至るまでみな、自分が手にしている諸概念をまるで何かワンダーランドのようなところから贈られた不思議な持参金であるかのように、信用してきたのだ。(注1)

哲学とは物事の真理や根拠を追求する学問、あるいは何か特権的な一部の人間にしか関係しない難解な思想なのだろうか。そして我々は哲学者の創造した諸概念を鵜呑みにしたり、欠伸をしながら聞き流したりする以外に選択肢はないのだろうか。一見、学問としての哲学思想は我々の日常生活には全く関係のない世界のものだと思われるかもしれない。だが、我々が「私」という言葉を発したその瞬間から哲学は我々に関係しているのである。あるいは、むしろ、「私」という意識以前からすでに我々に関係しているといっていいだろう。しかし、いくら哲学が我々に関係していようと、それが我々にとって全く無用のものであるなら、それは知るに値しない空論に過ぎないだろう。だが歴史を概観してみると賢人達の思想はいつの時代も人間の生を豊かにする手助けをしてきたと言えるのではないだろうか。周知のように、そもそも知ること、知(sophia)を愛する(philo)ことから哲学(philosophia)は生まれたのである。さまざまなことを知ることによって、我々はその「知」を現実において実践し、経験を積み重ねて人生を豊かにしてゆくのである。それこそ哲学が現在まで人間に果たしてきた大きな役割ではないだろうか。そして高度に情報化した現代においても我々と「知」はますます無関係ではいられないはずである。では21世紀を生きる我々に「知」としての哲学は一体どのように関係しているのだろうか。そして我々はその教えをどのように活用してゆくことができるのだろうか。本論で哲学の真理や系譜を網羅的に検討することは不可能であるが、時代を特定し幾つかのキーワードに焦点を当てながらそのことについて論を進めていきたい。

まず本論の題目にある「独自的普遍」(Universel singulier)という言葉について見ておきたい。これはフランスの実存主義思想家ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の表現である。この言葉の意味は多義的で、その真意を記すためにはこの言葉の背景を丁寧にみてゆく必要がある。最初にこの表現がサルトルによって使用されたのは1964年、ユネスコ(パリ)で開催された実存思想の創始者キェルケゴール(Soren Kierkegard)の生誕150年記念のシンポジウムにおいてである。そこでサルトルは『生けるキェルケゴール』(Kierkegaard vivant)と題して講演し、次のように述べている。

キェルケゴールは卓越した独自的普遍者であり、彼は個人−歴史間の関係を理解する道を切り拓いたのだ。だが実のところ、我々は皆、独自的普遍者である。(注2)

まずこの引用から「独自的普遍」という表現が、人間における一つの生き方を意味し、個人と歴史の関係についての言葉であることがわかる。さらにサルトルは、1972年に完成させた浩瀚なフロベール論の序文で次のように書いている。

人間を独自的普遍と呼ぶほうがよいだろう。自分の時代によって全体化され、まさにそのことによって、普遍化されて、彼は時代の中に自己を独自性として再生産することによって時代を再全体化する。(注3)

一見、難解に聞こえるこの表現の内容はこうである。つまり、一人の人間は、その人間の生きる時代に繰り込まれているが、その人間のもつ独自性を前面に出してゆくことで彼の時代と歴史の創造を担うことができるということである。我々の先進社会に顕在化している管理社会的状況を我々に対する全体化と捉えるならば、我々は各々の独自性をもって社会の発展に臨まなければならない。そのような生き方をサルトルは「独自的普遍」として提示しているのである。しかし、なぜ今この「独自的普遍」というあり方が重要になるのか、そしてそれは具体的にはどのようなあり方なのか、という疑問が生じるだろう。その問いかけに答えるためには、順を追って考察していかなければならない。

1.「関係」の哲学としての実存思想

はじめに「独自的普遍」の背景にある思想と哲学者について簡潔に見てみよう。「独自的普遍」の根幹にある思想は実存哲学(existential philosophy)である。そしてこの実存思想は先に名をあげた19世紀の哲学者、キェルケゴールによって生み出された思想である。ギリシャ古典期以来の西洋形而上学においては、存在概念が「本質存在」(essentia)と「事実存在」(existentia)の二つに分岐しており、常に「本質存在」の方が優位であるとみなされてきた。つまり、存在が「在るか、無いか」ということよりも、その存在が「何であるか」の方がはるかに重要であったということである。しかし、キェルケゴールは、あるものが何であるかということは、まずあるものが存在しているということが前提になっているのであるから「事実存在」(existentia)の方が「本質存在」(essentia)よりも優位であるという逆説的思想を提唱した。この思想は専ら、彼が1841年にベルリン大学でヘーゲルの近代理性主義の克服をはかったシェリングの後期哲学を聴講した後に生み出されたものであるが、キェルケゴールはこの「事実存在」(existentia)の概念を存在一般に広げるよりもむしろ、自己、他者、神の存在に深く関係させながら追究してゆくのである。つまり現にあるがままに存在する自分とは一体何であるのか、どのように存在し、どのように存在すべきかということを終生探究し続けたのである。

自己とはなんであるか。自己とは自己自身にかかわる一つの関係である。いいかえればこの関係のうちには、関係がそれ自身にかかわるということがふくまれている。したがってそれはただの関係ではなくて、関係がそれ自身にかかわることである。自己自身にかかわる関係、すなわち自己は、自分で自分を置いたのであるか、それとも他者によって置かれたのであるか、いずれかでなければならない。自己自身にかかわるこの関係が他者によって置かれたものだとすれば、それは自己自身にかかわる関係であるばかりではなく、さらにこの関係そのものを置いた第三者に対する関係でもある。このように派生的に置かれた関係が人間の自己である。それは自己自身にかかわるとともに、この自己自身への関係において他者にかかわる関係である。(注4)

実存思想や実存主義という言葉を聞くと、多くの人は1968年の学生運動、あるいは構造主義思想に乗り越えられた個人至上主義思想を連想するかもしれない。だが、実存思想は果たして一つの時代に還元されうる思想、あるいは「人間がシステムをつくる、システムが人間をつくる」といった二元的構造論の枠の中に埋もれてしまうような思想なのだろうか。確かにかつて一世を風靡した実存主義の思想では個人の自由や選択、投企といった言葉が目立ち、その思想が単純化されて、「私は私のしたいようにする」といった社会に対抗する運動に広がった結果、自己主張の強い個人絶対主義思想であると受け取られてきた可能性がある。だが、上記のキェルケゴールの言葉に示されているように、実存思想は個人から出発する思想ではあるが、「関係」を第一に扱う思想でもあるのである。自己とは、何よりもまず一つの「関係」なのである。精神と肉体の統合としての自己、他者との関係に位置づけられる派生的な自己、我々は皆、肉体と精神のバランスを保ちながら、他者との関係のなかで存在しているのである。そしてこの関係としての自己は、自己があるべき姿へと生成を続けていかなければならない。この実現のための無限の努力こそが実存(注5)するということの本来の意味であった。それは1968年の五月革命から40年経った今も、これから先も同じではないだろうか。なぜなら我々は人間である以上、常に他者との関係の中で一つの「関係」として存在し続け、自らに課した課題を全うしながら「自己」を創っているからである。このようなキェルケゴールの普遍的な実存思想はのちにヤスパース、ハイデガーの思想に引き継がれた後にフランスに移入される。

20世紀を代表する知識人、あるいはカフェの哲学者サルトルが実存思想を人々により身近なものにさせたのは第二次世界大戦後であった。あらゆる既成の価値が戦争の悲惨さによって覆され、人々が限界状況に直面する中で問う「人間とは何か」という根源的な疑問が実存思想を再び蘇らせたのである。やがて「実存は本質に先立つ」というサルトルの有名な言葉とともに一部の哲学者の学問だった実存思想がより身近で大衆的な思想として人々に浸透していった。つまり、人間はまず先に存在し、そのあとに自ら創ったものになるのであれば固定された人間性などは一切存在せず、決定論も存在しないということから人間は自由であり、自由そのものである、という思想がその当時の人々を魅了したのである。

しかしサルトルは、その紆余曲折に満ちた生き方によってさまざまな評価をされてきた思想家でもある。彼は自宅や図書館にこもって論文を執筆したり、学会発表をして哲学者同士の交流を深めることに没頭するようなタイプの伝統的な思想家ではなく、サンジェルマンのカフェでコーヒーを飲みながら論文を書き、自ら民衆との交流をはかった思想家であったために、当時としては一風変わった存在でもあった。

だが喧騒の中で煙草の煙を燻らせながら執筆した作品は哲学論文だけではなく小説、戯曲、政治評論、評伝、シナリオなど多岐にわたる。しかしサルトルが既存の哲学者と最も異なる点は、さまざまな分野の執筆活動をしたということよりもむしろ彼の生き方そのものであろう。自らの言動を実践する姿勢は行動する哲学者という新しい存在形態を創った。彼は哲学者に特有の静観主義を嫌い、自ら積極的に社会に関わろうとする姿勢をアンガージュマン(社会参加、政治参加)という形で終生貫いたのである。サルトルのアンガージュマンというと、1972年に彼が樽の上に立ってルノー工場の労働者に呼びかけている滑稽な姿を思い浮かべる人も多いかもしれない。だが、サルトルのアンガージュマンは一義的ではなく、常にそのときどきの歴史的状況に深く関わっていたのである。そもそも彼がアンガージュマンする際の動機はインドシナ戦争であった。当時あらゆる政党がこの戦争を開始した政府を支持していたのに対し、サルトルは彼自身が主宰していた『現代』という雑誌において、一人公然と戦争反対の立場を表明する。ある一国が他の国を侵略したり、人々を拷問にかけるいかなる権利も存在しない、という彼の反植民地主義の背景には人間一人ひとりの自由を根底においた実存思想と強いヒューマニズムがあった。なお、現在のサルトル研究において新しい解釈の試みがなされているのも、彼の生き方に直結するこのような彼のヒューマニズム、モラルを対象とした分野である。

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