曽谷村村御印

ページ番号1009556  更新日 2023年2月1日

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白山市指定有形文化財 古文書
曽谷村村御印(そだにむらむらごいん)

〔所在地〕白山市西新町168番地1 白山市立博物館
〔所有者〕曽谷町町内会
〔員数〕1通
〔材質・形状〕檀紙、続紙、包封
〔寸法〕縦37.4cm、横97.0cm
〔年代〕寛文10年(1670)
〔指定日〕昭和58年3月11日

曽谷村村御印の写真

村御印は加賀藩が村々に下付した租税徴収令状のことで、その村の草高(田畑や宅地の面積を米の生産可能量で表したもの)と、免(税率)及び雑税額などが書かれた文書です。第3代藩主前田利常の黒印「満」が捺印されていることから村御印と呼ばれました。加賀藩では作柄の豊凶に関わらず、年貢は毎年一定の税率を村ごとに割り当てる「定免法」を採用し、村御印を下付することで税の納入を徹底させました。村御印は慶安3年(1648)から4度回収下付され、現在市内には4度目にあたる寛文10年(1670)のものが多く残されています。
住民にとって村御印は単なる年貢割付状ではなく藩主の象徴であり、御印箱に収め皮袋に包んで村肝煎(庄屋)の家の大黒柱に安置するなど、その取扱いは丁重を極めました。また、村の寄り合いは村御印の前で行われ、一度決定された事項に異議を挟むことができないという言い伝えも残るなど、明治に至るまでの200年間その権威は失われることはありませんでした。
藩政時代の集落規模や税率など農政・税制・産業を知る上で貴重な史料であり、また民俗学的にも大切な資料であるといえます。
翻刻文は以下の通りです。

 加州石川郡曽谷村物成之事
壱ヶ村草高 内拾五石明暦弐年百姓方より上ルニ付無検地極
一、六百弐拾四石
 免六ツ三歩 先免六ツ七歩之内四歩万治元年より引
右免付之通、新京升を以可納所、夫銀定納百石ニ付百四拾目充、口米石ニ壱斗壱升弐合充可出之、
奉行人幷十村肝煎・村肝煎誰々ニよらす何角申事候共、此印面之外一円承引仕間敷候也
 同村小物成之事
一、四百九拾五匁 山役
一、五匁 蝋役
一、五匁 鳥役
 鷹場ニ付除
(割印)
一、拾九匁 油役
 退転
右定小物成若指引於有之者、断リニ及へし、印不改内者、此印面可出也、
ちり小物成之分者、出来・退転可有之条、十村又ハ取立人ニ吟味いたさせ可相極、
敷借米明暦弐年・同三年元利共ニ永代令免許者也

寛文十年九月七日(「満」黒印)
 曽谷村百姓中
 

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