椋部村村御印

ページ番号1009379  更新日 2023年1月31日

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白山市指定有形文化財 古文書
椋部村村御印(くらべむらむらごいん)

〔所在地〕白山市西新町168番地1 白山市立博物館
〔所有者〕倉部町内会
〔員数〕1通
〔材質・形状〕檀紙、続紙
〔寸法〕縦34.8cm、横100.3cm
〔年代〕延宝8年(1680)
〔指定日〕平成6年7月22日

椋部村村御印の写真

村御印は加賀藩が村々に下付した租税徴収令状のことで、その村の草高(田畑や宅地の面積を米の生産可能量で表したもの)と、免(税率)及び雑税額などが書かれた文書です。第3代藩主前田利常の黒印「満」が捺印されていることから村御印と呼ばれました。加賀藩では作柄の豊凶に関わらず、年貢は毎年一定の税率を村ごとに割り当てる「定免法」を採用し、村御印を下付することで税の納入を徹底させました。村御印は慶安3年(1648)から4度回収下付され、現在市内には4度目にあたる寛文10年(1670)のものが多く残されています。
住民にとって村御印は単なる年貢割付状ではなく藩主の象徴であり、御印箱に収め皮袋に包んで村肝煎(庄屋)の家の大黒柱に安置するなど、その取扱いは丁重を極めました。また、村の寄り合いは村御印の前で行われ、一度決定された事項に異議を挟むことができないという言い伝えも残るなど、明治に至るまでの200年間その権威は失われることはありませんでした。
藩政時代の集落規模や税率など農政・税制・産業を知る上で貴重な史料であり、また民俗学的にも大切な資料であるといえます。
なおこの村御印は、椋部村(現在の白山市倉部町)宛ですが、村肝煎宅の火災によって寛文10年の村御印が焼失してしまったため、延宝8年(1680)に藩から再下付された珍しいものです。翻刻文は以下の通りです。

 加州石川郡椋部村物成之事
壱ヶ村草高 内弐拾石明暦弐年百姓方より上ルニ付無検地極、三拾三石万治三年検地出分高
一、八百拾七石
 免四ツ八歩
 右免付之通、新京升を以可納所、夫銀定納百石ニ付百四拾目充、口米石ニ壱斗壱升弐合充可出也
 同村小物成之事
一、弐拾目 猟船櫂役
 外弐拾目退転
一、百五拾九匁 外海引網役
 内七拾八匁出来
一、弐匁四分 六歩口銭
 出来
本米七拾弐石
一、拾四石四斗 敷借利足
 明暦弐年・同三年ニ令免除
右小物成之分者、十村見図之上ニ而、指引於有之者、其通ニ可出者也
寛文十年九月七日
 椋部村百姓中

右椋部村肝煎火事ニ逢、御印本紙消失仕旨、御郡奉行及断無之条、村御印写調遣置者也
 御算用場
延宝八年十一月十日(「算用場」黒角印)
 石川郡椋部村百姓中

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