水嶋村村御印

ページ番号1009489  更新日 2023年1月31日

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白山市指定有形文化財 古文書
水嶋村村御印(みずしまむらむらごいん)

〔所在地〕白山市西新町168番地1 白山市立博物館
〔所有者〕水島町町内会
〔員数〕1通
〔材質〕檀紙、続紙、包封
〔寸法〕縦37.3cm、横103.6cm
〔年代〕寛文10年(1670)
〔指定日〕平成5年12月7日

水嶋村村御印の写真

村御印は加賀藩が村々に下付した租税徴収令状のことで、その村の草高(田畑や宅地の面積を米の生産可能量で表したもの)と、免(税率)及び雑税額などが書かれた文書です。第3代藩主前田利常の黒印「満」が捺印されていることから村御印と呼ばれました。加賀藩では作柄の豊凶に関わらず、年貢は毎年一定の税率を村ごとに割り当てる「定免法」を採用し、村御印を下付することで税の納入を徹底させました。村御印は慶安3年(1648)から4度回収下付され、現在市内には4度目にあたる寛文10年(1670)のものが多く残されています。
住民にとって村御印は単なる年貢割付状ではなく藩主の象徴であり、御印箱に収め皮袋に包んで村肝煎(庄屋)の家の大黒柱に安置するなど、その取扱いは丁重を極めました。また、村の寄り合いは村御印の前で行われ、一度決定された事項に異議を挟むことができないという言い伝えも残るなど、明治に至るまでの200年間その権威は失われることはありませんでした。
藩政時代の集落規模や税率など農政・税制・産業を知る上で貴重な史料であり、また民俗学的にも大切な資料であるといえます。
水嶋村(現白山市水島町)は、集落内に北国街道(上街道)が走り、手取川右岸にも位置していたことから、隣接する源兵衛嶋村(現白山市源兵島町)とともに宿駅と定められていました。旅人が休息する茶屋はもとより、手取川が増水すると滞在を余儀なくされることから宿屋も建ち並び、馬借や人足などの運輸業者や商業者も居住していました。そのため定納米(年貢)や口米(年貢手数料)の一部を米ではなく銀納させるなど、通常の村御印とは若干異なる文面となっています。翻刻文は以下の通りです。

 加州石川郡水嶋村
壱ヶ村草高 内拾石明暦弐年百姓方より上ルニ付無検地極
一、三百五拾壱石
 免四ツ八歩 内六歩明暦弐年より上ル
百八拾七石三斗五升 定納口米共新京升
 内
百四拾五石九斗五升 年内可納所
弐拾六石 翌年三月中米ニ而可納所
拾五石四斗 同六月中銀子ニ而可納所
 此代銀五百弐拾三匁六分、壱石ニ付而三拾四匁充
一、弐百三拾五匁九分 夫銀 定納百石ニ付百四拾目充、八月中可上之
一、八匁 油役
 退転
一、拾五匁 紺屋役
 退転 (割印)
右之通可納所、但六月中納所之銀子相延、若百姓之勝手能事候者、七月中にも可上之、
奉行人幷十村肝煎・村肝煎誰々ニよらす、何角申事候共、此印面之外一円承引仕間敷候、
敷借米明暦三年より令免許者也

寛文十年九月七日(「満」黒印)
 水嶋村百姓中

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