枝 権兵衛(えだ ごんべえ)
枝権兵衛は、江戸時代末期文化6(1809)年、現在の白山市坂尻町に生まれ、17歳で組合頭になり、45歳で村の肝煎きもいり(村役人の代表者)、その後、富樫用水の責任者をまかされました。毎年のように繰り返し起こる洪水や日照り、水不足に苦しむ住民を見かねた権兵衛は、安久涛の淵(あくどのふち)(現在の白山市白山町)から岩をくりぬいて、300mのトンネルを堀り、水を取り入れる計画をしました。周囲からは反対の声もありましたが、加賀藩の小山良左衛門の協力を得て、慶応元(1865)年に工事を始めました。途中、工事費も少なくなり、工事に対する批判や人夫を拒否する者も出てきましたが、権兵衛は私財を投げ出してまで信念を貫き、明治2(1870)年ついに工事を完成させました。このおかげで流域農民は水不足や水害に悩むことも少なくなり、安心して生活できるようになったのです。
権兵衛と良左衛門の生涯をかけた大事業が、後の明治36(1903)年七ヶ用水の合口事業での取入口位置の参考となり、枝権兵衛が掘った一つの隧道(ずいどう)は七ヶ用水の予備取入口として昭和24(1949)年まで使用されました。
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