金子鶴村撰 白山遊覧図記

ページ番号1009577  更新日 2023年2月3日

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白山市指定有形文化財 典籍
金子鶴村撰 白山遊覧図記(かねこかくそんせん はくさんゆうらんずき)

〔所在地〕白山市西新町168番地1 白山市立博物館
〔所有者〕白山市
〔著者〕金子有斐|撰、金子辰|校
〔員数〕2冊
〔形状〕紙本墨書、袋綴、四ツ目
〔寸法〕縦25.8cm、横17.3cm
〔墨付〕巻1~7 93,4丁、巻8~10 30丁
〔年代〕文政12年(1829)
〔指定日〕昭和63年3月12日

白山遊覧図記の写真

白山の地理・名勝・史跡・産物等を漢文体で詳記したもので、巻末には山中の見取図が挿入されています。同書には、文政3年(1820)3月付の鶴村の自序があり、白山を「実ニ天下之山」と評しているが、名山もその地誌がなければ名山と言えず、それゆえに同書の執筆を志したとあります。また、凡例には青年期の安永7年(1778)より数度にわたり登山し、あるいは諸人の話を聞き、各種の記録を参考にしたことなどが記されています。凡例の次には、鶴村の次男・金子辰(通称は章蔵、諱は鼎又は雋、号は盤蝸又は応陽)の師、江戸の増島蘭園(石原)による文政12年(1829)の序文が続きます。また、石原によるものと見られる句点や校閲が朱書きでなされています。同書はのちに浄写されたものが加賀藩を通じて幕府へ献上され、昌平坂学問所に納められました。
鶴村は石川郡鶴来村(現白山市鶴来地区)の角屋清右衛門の次男として生まれ、号は鶴村又は絢斎、諱は有斐(ありあきら)、通称は門屋吉次・劉助、字は仲豹又は君仲といいました。幼いころから学問に秀で、長ずるに及んで京都へ上り皆川淇園の門に学び、帰国後の寛政6年(1794)には小松に設立された集義堂で教授に任ぜられ、その後文化元年(1804)に加賀藩の宿老今枝氏に聘せられて儒学者となり、天保11年(1840)82歳をもって金沢で亡くなりました。絵画の技量にも優れ、著書には白山遊覧図記のほか、詩経訓解、中庸解、孫子伐柯、能登遊記、白山史図解譜、文範、詩範、隨筆等があります。

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