千代女略年譜

ページ番号1002776  更新日 2022年2月8日

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イラスト:加賀の千代女

元禄16(1703)年
2月、加賀国松任(現:石川県松任市八日市町6番地)、表具師福増屋六兵衛の長女として生まれる。
正徳4(1714)年 12歳

加賀国本吉(現:石川県石川郡美川町)の北潟屋半睡に俳諧を学ぶ。

享保元(1716)年 14歳
春、松任に帰り、素封家相河屋武右衛門宅に出入りする。
享保4(1719)年 17歳

8月24日、芭蕉十哲のひとり各務支考が、金沢の知角を伴って千代女を訪ね、宿泊して俳道に導く。

千代が支考に差し出した句「行春の尾やそのままにかきつばた」「稲妻の裾をぬらすや水の上」の二句をよむ。

享保5(1720)年 18歳
3月、金沢大衆免大組足軽福岡弥八に嫁ぐ。
享保6(1721)年 19歳
6月19日、沢露川が来訪。夏、越中の白椎が来訪。
享保7(1722)年 20歳

春、夫に死別し松任の生家に帰る。
この年、白椎の「鵜坂集」に「おしめども春はとまらで啼く蛙」「それぞれに名乗って出づる若葉かな」、露川の「北国曲」に「池の雪鴨遊べとて明てあり」

の句がはじめて句集に載る。

享保10(1725)年 23歳
春、伊勢に麦林舎乙由を訪ね、麦林・千代・蒼紫・風二・東棠・乙峰と「対加陽千代女」の俳諧連句なる。
享保11(1726)年 24歳
4月、金沢の紫仙女を訪ねる。
俳諧連歌2巻と発句25句を行善寺(現:松任市北安田町)に奉納する。
魯九が千代女を訪ねる。

享保12(1727)年 25歳

4月、廬元坊里紅が半睡らと千代女を訪ねる。
7月、一宇が来訪する。

享保14(1729)年 27歳

越中の洗耳が来訪する。

享保17(1732)年 30歳

初夏、京で乙由と会う。
9月9日、素心尼が西国巡礼の旅の途中、千代女を訪ねる。この年、越中の浪化が来訪する。

延享3(1746)年 44歳

6月12日、伊勢の麦浪が来訪する。

寛延元(1748)年 46歳

8月、金沢の里朝・珈涼・小松の山叩・本吉の大睡らと共に鶴来の金剱宮に発句の額を奉納する。

宝暦4(1754)年 52歳

神無月(陰暦10月)に剃髪して尼となり、素園と号す。
「髪を結ふ手の隙あけてこたつかな」

宝暦13(1763)年 61歳

朝鮮使節団の招待役として幕府より任命された加賀藩が、使節団の土産に千代女の俳句を選ぶ。(懸物6幅、扇子15本に21句を書く。)

明和7(1770)年 68歳

蝶夢の「芭蕉堂中所在三十六人肖像」に、智月尼の画像と題句を書く。

明和8(1771)年 69歳

既白編による千代尼句集後編「俳諧松の声」が刊行される。

安永2(1773)年 71歳

自画像に剃髪時の心境を詠んだ句を書く。

安永3(1774)年 72歳

2月、越中の几来来訪の折り、「寄合俳句帖」に序文を書く。
3月、蕪村の「玉藻集」の序文を書く。
冬、哥川が来訪する。

安永4(1775年)73歳

初孫の袴着を寿ぐ。
越中の壺子来訪する。
之甫の還暦に祝句を贈る。
9月8日、辞世の句「月も見て我はこの世をかしく哉」を遺して没す。

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