平成21年度奨励賞(ジュニア部門)「滑り台の母」

ページ番号1002686  更新日 2022年2月15日

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第25回暁烏敏賞ジュニア部門奨励賞(中高生部門)

  • 作文題名 滑り台の母
  • 氏名 山縣 香奈
  • 住所 新潟県長岡市在住
  • 学年 新潟大学教育学部附属長岡中学校 3年

今の私の原点は、滑り台にある。
「順番を守りなさい。」
これが、母の口癖だった。幼い頃からずっと私はそう言いきかされて育った。

私が保育園に通っていた頃のことだ。私は一度も行ったことのない、大きな公園へ母と行った。その公園には、いつも行く公園と違い、とても多くの子どもが遊んでいた。私の大好きな遊具、滑り台を見つけ、「早く遊びたい。」と、駆けていこうとしたとき、母は言った。
「順番を守りなさい。」
私は、いつものように、「うん。」と頷き、滑り台めがけて走った。滑り台は大人気で、たくさんの子どもが滑っては登りを繰り返していた。私は、滑り台のうしろに並ぶ。しかし、他の子は私をどんどん追い越して滑っていく。滑り台の階段に足をかける。でも、すぐに足を降ろす。私は、いつが私の順番なのか、だんだん分からなくなってしまった。そして、立ちつくした。他の子どもが、私の横を過ぎ、押し合って滑っていく。私は、くるりと顔を母に向けた。母は、困ったように悲しそうに微笑んでいた。
「帰ろうか。」
母に手をひかれて、一緒に家に帰った。結局、私は一度も滑り台で遊ぶことができなかった。

以上が、私の幼い頃の記憶だ。三歳頃からの記憶は断片的にあるが、この記憶は最も鮮明に覚えている。大好きな滑り台で遊べなかったこと。そして見たことのない母の表情。この二つによって、はっきりと記憶したのだと思う。もう一つ、記憶に残っていることがある。それは、この日を境に母は、「順番を守りなさい。」と、言わなくなったことだ。

最近、母と私の幼い頃のアルバムを眺めていたとき突然、母は呟いた。
「“順番を守りなさい”なんて言わなければよかった。」
私は、思いがけない言葉に驚き、何も言うことができなかった。「なぜ、今になってそんなことを言うのか。」そのときは分からなかった。

母の母、つまり私の祖母も礼義や守るべきルールに厳しい人だった。だから、母も当然のように私に社会で守るべきルールを教えてくれた。しかし時代が変わった。祖母と母の時代と、母と私の時代は違うのだ。母の呟きには続きがある。「そう言いきかせてきたせいで、香奈は臆病になってしまったのかも。」今の、母と私の時代では、誰かを押し退けてでも何かをしようとしないと、損してしまう、そんな意味に受け取れた。

でも、私はそうは思わない。誰かを押し退けるのは、好きでない。それに、そんなことをする人は好かれないと思う。母を見ていて思うのだ。母は人から好かれている。街を歩いていると、見知らぬ人に道を聞かれるのは、いつも母だ。近所に三十も年の離れた友だちを作ったのも母である。それで、ルールを守る母だからこそ、人に好かれると思うのだ。ルールを守る、それは、自分に厳しく他人に優しくすること。きっと、ルールを守らない人は魅力的ではない。

私は行動や態度に魅力ある人になりたい。そう思って行動している。でも、やっぱりその思いを忘れてしまうときもある。疲れているときに、「バスの座席に座りたい。」と思ってしまう。そんなときは、母の言葉、「年配の方が優先ですよ。」が耳でなくて、心に届く。滑り台で見た、あの悲しそうな顔を思い出すのだ。滑り台の母は、私の弱い心の「滑り止め」でもあった。
「お母さん。ありがとう。」

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