暁烏 敏(あけがらす はや)略年表

ページ番号1002792  更新日 2022年2月8日

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暁烏敏師の写真

明治10年

7月12日、石川県石川郡出城村字北安田(現白山市北安田) 真宗大谷派明達寺に長男として誕生。敏と命名される。

明治20年(10歳)

父暁烏依念示寂。

明治30年(20歳)

「真宗仮名聖教」を通じて「歎異抄」に遇う。

明治32年(22歳)

清沢満之の膝下に集い、多田・佐々木等と共に浩々洞を開設する。

明治34年(24歳)

浩々洞より月刊誌「精神界」発刊。

明治35年(25歳)

山田房子と結婚。

明治36年(26歳)

「精神界」に「歎異抄を読む」を55回にわたり連載。
この頃より、全国各地で講演。
師清沢満之示寂。浩々洞代表として活躍。

明治45年(35歳)

7月 明治天皇崩御に接し、50日間の喪に入る。

大正2年(36歳)

妻房子死。この年思想崩壊し、凋落の年となる。

大正3年(37歳)

今川総子と結婚。この年蘇生の年となる。

大正4年(38歳)

浩々洞代表を辞し、明達寺に帰る。

大正9年(43歳)

蘇生の様を記した告白書「更生の前後」刊行。

大正11年(45歳)

個人出版社香草舎より月刊誌「薬王樹」発刊。

大正13年(47歳)

母暁烏千代野往生。

大正15年(49歳)

インド佛跡巡拝、ヨーロッパ各地等を旅行。

昭和4年(52歳)

ハワイ・アメリカを講演旅行。

昭和7年(55歳)

この年より日本精神を提唱。

昭和10年(58歳)

大報恩会厳修と大日本文教院設立を志願。

昭和11年(59歳)

大報恩会を1週間に渡り厳修。

昭和22年(70歳)

晩年の思想を貫く「皆当往生」を発表。

昭和25年(73歳)

蔵書5万余を金沢大学へ暁烏文庫として寄贈。

昭和26年(74歳)

1月 東本願寺宗務総長に就任。27年1月辞任。

昭和29年

清沢満之像を安置する臘扇堂が完成。
8月27日 示寂。(行年78歳)

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