島田 清次郎(しまだ せいじろう)略年表

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明治32年 
- 2月26日、美川町字南町に生まれる。父「常吉」、母「みつ」の長男。
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明治34年(2歳) 
- 父〔29歳〕、海難事故で死亡。
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明治37年(5歳) 
- 母と金沢へ出る。母の父「西野八郎」経営の『吉米楼』の針仕事で生計を立てる。
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明治44年(12歳) 
- 『地上』和歌子のモデル「赤倉和嘉代」に出会う。
 野町尋常小学校を首席で卒業。
 石川県立金沢第二中学校に進学。
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明治45年(13歳) 
- 祖父の米相場の失敗で、『吉米楼』に住めなくなり、東京の実業家の援助を得て、明治学院普通部2年に編入。
 母「みつ」が浅草の鼻緒職人と再婚。
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大正2年(14歳) 
- 実業家と口論、一人金沢へ帰る。
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大正3年(15歳) 
- 橋場忠三郎から感化を受け、文学に興味を持つようになり、ドストエフスキー、トルストイに触れる。
 暁烏敏を訪ねたり、同人誌を計画したりするようになる。
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大正4年(16歳) 
- 文学が思うようにいかず、母を頼り上京。長編作品を制作するが、認められず自殺を図る。そのことで母が離縁される。
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大正5年(17歳) 
- 母と二人で金沢へ帰る。
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大正6年(18歳) 
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自伝的小説『死を超ゆる』を発表、好評を得る。 
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大正7年(19歳) 
- 京都へ移り『地上』の執筆を始める。
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大正8年(20歳) 
- 評論家「生田長江」が『地上』を激賞。新潮社から刊行する。
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大正9年(21歳) 
- 『地上』第二部刊行。
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大正10年(22歳) 
- 『地上』第三部刊行。諸先輩に大言壮語し孤立、反感高まる。
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大正11年(23歳) 
- 『地上』第四部刊行。小林豊と結婚。全国に講演旅行。
 清次郎ブーム起こる。
 米・英・独・仏・伊を視察旅行。
 『地上』総売上げ50万部突破。
 妻実家に帰り、長男出産。
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大正12年(24歳) 
- 文壇での批判高まる。舟木事件が起こる。
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大正13年(25歳) 
- 金銭に困窮。警察に逮捕される。精神不安定になる。
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昭和3年(29歳) 
- 作品が発表され、健在ではないかと話題になる。
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昭和5年 
- 6年間の保養生活ののち、4月29日、肺結核により逝去 享年31歳。
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