島田 清次郎(しまだ せいじろう)略年表

ページ番号1002803  更新日 2022年2月8日

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写真:島田清次郎氏

明治32年

2月26日、美川町字南町に生まれる。父「常吉」、母「みつ」の長男。

明治34年(2歳)

父〔29歳〕、海難事故で死亡。

明治37年(5歳)

母と金沢へ出る。母の父「西野八郎」経営の『吉米楼』の針仕事で生計を立てる。

明治44年(12歳)

『地上』和歌子のモデル「赤倉和嘉代」に出会う。
野町尋常小学校を首席で卒業。
石川県立金沢第二中学校に進学。

明治45年(13歳)

祖父の米相場の失敗で、『吉米楼』に住めなくなり、東京の実業家の援助を得て、明治学院普通部2年に編入。
母「みつ」が浅草の鼻緒職人と再婚。

大正2年(14歳)

実業家と口論、一人金沢へ帰る。

大正3年(15歳)

橋場忠三郎から感化を受け、文学に興味を持つようになり、ドストエフスキー、トルストイに触れる。
暁烏敏を訪ねたり、同人誌を計画したりするようになる。

大正4年(16歳)

文学が思うようにいかず、母を頼り上京。長編作品を制作するが、認められず自殺を図る。そのことで母が離縁される。

大正5年(17歳)

母と二人で金沢へ帰る。

大正6年(18歳)

自伝的小説『死を超ゆる』を発表、好評を得る。

大正7年(19歳)

京都へ移り『地上』の執筆を始める。

大正8年(20歳)

評論家「生田長江」が『地上』を激賞。新潮社から刊行する。

大正9年(21歳)

『地上』第二部刊行。

大正10年(22歳)

『地上』第三部刊行。諸先輩に大言壮語し孤立、反感高まる。

大正11年(23歳)

『地上』第四部刊行。小林豊と結婚。全国に講演旅行。
清次郎ブーム起こる。
米・英・独・仏・伊を視察旅行。
『地上』総売上げ50万部突破。
妻実家に帰り、長男出産。

大正12年(24歳)

文壇での批判高まる。舟木事件が起こる。

大正13年(25歳)

金銭に困窮。警察に逮捕される。精神不安定になる。

昭和3年(29歳)

作品が発表され、健在ではないかと話題になる。

昭和5年

6年間の保養生活ののち、4月29日、肺結核により逝去 享年31歳。

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